2016年 01月 17日
モーシェ・アツモン指揮 神奈川フィル (ヴァイオリン : 佐藤俊介) 2016年 1月16日 横浜みなとみらいホール
アツモンは 1978年から 5年間、東京都交響楽団 (都響) の首席指揮者を務めていた。私が単身東京に出てきたのは中学 1年、つまり満 13歳になる年、1978年であったので、ちょうどその頃、この指揮者は東京に頻繁に滞在して都響を振っていたはず。そんな時代、中学 1年か 2年のとき、とある日曜日に上野で何か美術展を見たあと、東京文化会館の横を通りかかったときに、都響のファミリーコンサートが開かれているのを知り、思いつきでそれを聴いたのが、私にとっての最初のオーケストラの生体験になったのである。メインは、当時私が唯一全曲を知っていた交響曲、ドヴォルザークの「新世界」、その前に花房晴美 (最近名前をあまり聴かないが、調べてみると、昨年11月、美智子妃殿下が彼女のコンサートに出掛けたとある) がソリストを務めたグリークのピアノ協奏曲、そして最初に何かの序曲があった。ウェーバーの「魔弾の射手」であったろうか・・・。さすがにこのときのプログラムは実家のどこかに眠っているのか、今手元にはなく、正確な日時と曲目は判明しない。だが、日曜の午後の東京文化会館の様子ははっきりと瞼に残っていて、それ以来モーシェ・アツモンの名は、私にとっては親しいものになったのだ。
しかしながら、実のところ私は、アツモンのよき聴き手というわけではなかった。ウィーン・フィルやベルリン・フィル (あのクラウス・テンシュテットがキャンセルした超大作マーラー 8番を代役で振るなど、目覚ましい活躍を見せた) を指揮した実績はあっても、超一流のオケのシェフを務めたという話を聞いたことがないし、何より音楽が手堅く職人的で、ハラハラドキドキという感じにならないというイメージがあったからだ。それから随分時間は経過したが、私は今でも相変わらずアツモンの真価を知らない人間だ。年を取るにつれ、ノスタルジーと加齢臭が日常生活の敵ということになってくるが (笑)、今回、神奈川フィルという渋いところでアツモンを久しぶりに聴けるとなると、やはり今後ますます聴くチャンスのある若手指揮者よりもこちらを選ぼうという気になったのである。今回の曲目は王道を行っており、ブラームス 2曲で、
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
交響曲第 2番ニ長調作品73
である。これは楽団が公開しているリハーサル風景。この写真でも想像できようが、実際に舞台に登場したアツモンは、とても 84歳には見えないしっかりした足取りであり、全く何の問題もなく立って指揮をする。最近の 80代は昔の 60代くらいのイメージではないか。
メインのブラームス 2番は、ブラームス的な重さというよりは、この作曲家にしては珍しくイタリア的な歌が必要になる曲である。この日の神奈川フィル、なかなかの熱演であり、決して東京のメジャーオケに負けない内容であったと思う。だがしかし、数限りない一流の演奏に触れることができる中、もう一歩突き抜けた音を聴きたかった気もする。いやもちろん、昨年ニューヨークで聴いたネルソンスとボストン響のこの曲の演奏のようなレヴェルはさすがに酷であるとは思う。だが、多分、もう少しお互いの音を聴きあうことができるのではないかという気もしたし、より緊密なアンサンブルから自然に熱が発するようになればもっとよいなと思った次第。もちろん、曲の歩みに連れて場面場面で移り変わるオケの主役がそれぞれに全体に貢献していたとは思うが、それぞれの音の糸がより合わさってウネウネと伸びて行くようになればさらなる高みが見えてくるものと思う。
84歳にして全く体力の衰えも見せずに指揮を終えたアツモンは、それは実に大したものである。その職人技には完全に脱帽だ。だが、正直なところは、私がそれまでに持っていた彼のイメージが変わるというところにまでは達しなかった。うむ。彼はまだ 84歳 (笑)。今後のさらなる円熟に期待するとともに、私にクラシック音楽という途方もない奥行きを持つ趣味を与えてくれたことに、心から感謝しよう。私の手元には、1995年に発行された都響の 30年史があって、パラパラとめくっていると、1980年にアツモンがベートーヴェン・チクルスを開いたとある。画像検索すると、このようなポスターが出てきた (交響曲以外に、ラドゥ・ルプーとピアノ協奏曲も全曲演奏したようだ)。35年前のアツモン。変わらないなぁ。その職人性で、日本の音楽界にこれからも貢献をお願いします。