秋山和慶指揮 東京交響楽団 (トランペット : マティアス・ヘフス、ピアノ : 小曽根真) 2016年 1月16日 サントリーホール

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私の週末の生活としては決して珍しいことではないのだが、この日はコンサートのダブルヘッダーで、横浜みなとみらいホールからサントリーホールに移動し、またまた私の敬愛する秋山和慶指揮の東京交響楽団 (東響) の演奏会だ。上のチラシにある通り、「日本指揮界の至宝 秋山和慶による ≪リズムは踊る≫」という内容。私はこの曲目を見たとき、ケルシェックという作曲家は知らないな、まさかクルシェネクとかケックランのタイポではないだろうしな、とは思ったが、それ以外は私のある面の好みにぴったりの曲たちで、もちろんマエストロ秋山の指揮ということでもあり、即チケットを購入した。

昨年末、28日と 29日に第九の演奏会を指揮したあと、秋山と東響は、大晦日に川崎でミュージカルナンバーを含むジルヴェスターコンサート、年明け、9日には恒例の「新世界」その他のニューイヤーコンサート、そして 16日にこの盛りだくさんのコンサートと、年末年始、非常に精力的な活動である。この演奏会は、一言でいうと、重々しいクラシックとは一線を画した、いわば軽音楽 (という言葉はまだ存在しますかね?) に分類されるべき内容を含んでいる点に特徴がある。順番に見て行こう。

まず最初は、ドイツの作曲家、パウル・ヒンデミット (1895 - 1963) の「ラグタイム」という 4分ほどの曲。1921年の作で、ジャズの雰囲気を持ちながら、大編成のオーケストラが愉快でゆがんだ旋律を不器用に奏でる珍曲。「バッハが 1920年代に生きていたらどんな曲をつくるだろうか」と自問自答して作曲したものらしい。大変珍しい曲なのだが、実は私はよく知っている曲なのだ。というのも、もともと 1920年代に関する興味は非常に高く、この曲も、ゲルト・アルブレヒトが 1987年に発見してベルリンで世界初演した演奏が、歌劇「ヌシュヌシ」などとともにFM で放送されたときにエアチェックし、何度も聴いていたからだ。そのカセットテープも、探せば出てくるはずだ。うーん、さすが秋山と東響。クレイジーな響きに潜むどこか典雅な感覚が、ヒンデミットにぴったりだ。
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2曲目は、ドイツの現代作曲家、ヴォルフ・ケルシェック (1969 - ) の、「トランペット・ダンス」という曲。ソロを吹くのはやはりドイツ人の、マティアス・ヘフス。19歳でハンブルク州立歌劇場管の首席トランペットに就任、ソリスト、ハンブルク音楽大学の教授、またブラス・アンサンブル、ジャーマン・ブラスのメンバーとして、世界の第一線で活躍している。
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この曲、協奏曲なのに、演奏開始時には指揮者しか出てこない。開始後数分経ってからようやく、ステージドアから演奏しながらトランペットが登場するのだ。ヘフスの技術はなんとも素晴らしく、もう舞台の袖から登場しただけで、その音が耳をとらえて離さないのだ。曲自体も、いわゆる現代音楽的前衛性は皆無で、その気の利いたあの手この手の曲想の変化が、聴衆を飽きさせない。全 4楽章からなり、順に、1. オープニング「冒険」、2.「何が望みだったのか」タンゴ、3. 優雅だが悲しいワルツ、4. バルカンの子供たちの踊り。作曲者ケルシェックは現在ハンブルク大学でジャズを教えているとのことで、ヘフスとは職場仲間ということになる。ドイツ人と言えば思弁的で、現代音楽も小難しいものばかりと思いがちだが、あのブラームスを輩出したハンブルクでこのような音楽が生まれているとは知らなかった。

休憩後の 3曲目は、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第 1番ハ短調作品35。ピアノ独奏の伴奏は、弦楽合奏とソロ・トランペットだ。ここでもヘフスがトランペットを吹き、ピアノは人気のジャズピアニスト、小曽根 真 (おぞね まこと)。
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私は彼のピアノを一度生で聴いたことがあるが、正直そのときにはあまり感心しなかった。曲が確かガーシュウィンだったか、ジャズでもなければクラシックでもないという中途半端さを感じたのを覚えている。だが今回のショスタコーヴィチは素晴らしい出来で、まさに天才的なきらめきを見せてくれた。高音の切れも素晴らしいし、疾走感もある一方、沈滞する部分も充分な表現力で、これだけのショスタコーヴィチ演奏はそうそう聴けるとは思えない。また、秋山も例によって全く危なげなしに伴奏をこなし、ともにプロフェッショナルの技だ。ピアノは舞台下手、トランペットのヘフスは上手に座り、ちょうどピアニストとトランペッターが目と目で合図できるような位置での演奏であった。小曽根はアンコールとして自作の "My Witch's Blue" という曲を弾いたが、これまた、ちょっと進んでは悩んで立ち止まるがまた動きだし、そうするともう止まらないという感じのしゃれた曲で、小曽根の真骨頂である。ちょうど今日 (1/17) の深夜、NHK BS で、彼が昨年の大みそかにアラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルと共演したコンサートが放送されるので、楽しみだ。

そして最後を締めくくったのは、同じショスタコーヴィチのジャズ組曲第 2番。1950年代にソ連の国立ジャズ・オーケストラのために、過去の自作の映画音楽なども転用しながら書かれた曲。政治に翻弄され、生来のシニカルな要素に死神が乗り移ったかのような作風になって行ったショスタコーヴィチの、ある一面を如実に表す曲である。この曲は日本には、リッカルド・シャイー指揮のコンセルトヘボウ管の録音 (1991年) によって紹介されたが、なんと言ってもあの、スタンリー・キューブリックの遺作、「アイズ・ワイド・シャット」で使われたワルツを含むという点、文化に興味のある人なら当然ご承知であろう。いやーあの映画 (原作はウィーン世紀末を代表する作家、シュニッツラーだ) の怪しい雰囲気に、冒頭からこのワルツのけだるさは本当によく合っていた。また邦題も原題そのままというのがよいではないか。「両目をぱっちり閉めて」ではどうもしまらない。もちろん、「福島県では井戸をすぐに掘ることができる」という意味と間違えられるリスクはあったわけだが、幸いにしてそのような誤解は聞いたことがない。ええっと、「会津は、井戸シャッと」・・・。ともあれ、この曲も演奏会で聴くことはほとんどない。だが、私は実は過去に一度だけ演奏会で聴いている。10年以上前に、モスクワのチャイコフスキー記念コンサートホールでのことだ。そのとき、表示がキリル文字ばかりで詳細がよく分からず、何やら 1曲ずつ解説つきでロシアの曲が演奏されていったのだが、この曲だけは「おおー!!」と思い、ノリノリの演奏を楽しんだ。ホテルのコンシェルジュから、指揮者は「ポンキン」という人だと聞かされたが、どういう人か不明であった。今検索してみると、あ、ありますね。わけの分からない雨後の竹の子のようなロシアのオケ事情について解説したサイトに、確かに名前が出ている。だが、この人のオケはもう存在しないかもしれないとのこと。それに比べて秋山 / 東響の正当性たるや、比較にもならない。このノリノリの曲も真剣に、しかも音楽の楽しみを鮮やかに描き出したこの演奏、そうそう聴けるものではないだろう。

そんなわけで、一歩間違えばゲテモノコンサートになりかねないリスクのある演奏会であったが、今回も盤石の秋山。本当に日本の音楽界にとって至宝といってよい存在だ。実は前回の記事で彼の古いアナログ録音を紹介したせいで、同様のレコードをこのところオークションで買い漁っている。ここでは割愛するが、面白いものもあるので、いつか機会あれば、そのコレクションをご紹介したいと考えている。次回の秋山のコンサートも既にチケットを購入しているので、その記事を書く日まで、お楽しみに。でもこの方、いくらてっちゃんといったって、天下のマエストロがそんなサービスすることないでしょう。困ったお方です。
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by yokohama7474 | 2016-01-17 02:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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