勅使川原三郎 佐東利穂子 青い目の男 2016年 1月22日 カラス・アパタラス

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現代日本を代表する前衛舞踏家の勅使川原 三郎 (てしがわら さぶろう) の名は、一般的にはどのくらいポピュラーなものであるか知らないが、私にとってはもう 30年近く前から、まさに第一級の芸術家なのである。学生時代の 1988年に友人から、NHK で放送された彼のダンス「夜の思想」(モデルの山口小夜子をフィーチャー) がすごいと聞き、彼からヴィデオテープを借りてダビングしたのがそもそもの始まりで、その衝撃的なビデオは、DVD にコピーして未だに手元にある。・・・と自慢したが、なんという便利な時代か。今や youtube で全編見ることができるではないか!! ご興味おありの向きは、是非検索を。ともあれ、無機的、無性別、あるいはあたかも生命体と無生命体との垣根を自由に飛び越えるようなこのダンスは、何かそれまでに見たことのない異様なものとして映ったが、空間を切り裂いてあたかも彫刻を刻むような、ある場合には痙攣的な激しい動きが、同時に神秘的な美しさをも湛えていて、その画像に釘づけになったものだ。それから、騒音をバックに激しく踊るかと思うと静かな音楽でスローな動きに転じるという転換も素晴らしく、レハールの「金と銀」という、それまで能天気なワルツだと思っていたものが、実は大変に毒と退廃を含んだ音楽であることを気づかせてくれた。それ以来、銀座で天王洲で、あるいはニューヨークのブルックリンで彼のパフォーマンスを見てきたが、それでも熱烈なファンと言えるほどの回数は実際の舞台に接していないことを残念に思っていた。最近彼のダンスを見たのは、2010年 5月、渋谷のシアターコクーンでの「オブセッション」という舞台で、既に 5年半以上経過している。そんな昨年 12月のある日、既にこのブログでも採り上げた、神奈川県立近代美術館 鎌倉 (カマキン) に行った際に、上の写真のようなハガキ大の案内が置いてあるのを見て、今回は久しぶりに見ないといけないと思ったのであった。

久しぶりに見たいといけない理由も、上の写真にある。「原作 ブルーノ・シュルツ」。おー、そういえば勅使川原は、最近このポーランドの作家の作品へのオマージュを捧げていると聞いたことがある。芸術映画ファンにはおなじみの名前であろう。クエイ兄弟の傑作人形アニメ短編映画、「ストリート・オブ・クロコダイル」の原作者だ。
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この映画が日本に紹介されたとき (やはり私の学生時代だ) の衝撃は忘れられない。そして、聞きなれないブルーノ・シュルツという名前。1892年に生まれ 1942年に路上でナチによって銃殺されたこの作家の日本への紹介は、この映画の公開のあと、集英社の「世界の文学」シリーズ第 12巻、「ドイツIII、中欧、東欧、イタリア」が最初だったと記憶する。今書棚から手元にこの本を引っ張り出してくると、発行は 1989年とある。ちょうどベルリンの壁が崩壊した年で、世界の秩序の転換期。美術需要の面では、19世紀末芸術がブームになっていた頃だ。上記の通り、勅使川原の名前が知られるようになってきたのもこの頃。バブル時代の日本の文化シーンに、そのような退廃的前衛性がよく合ったということか。

ブルーノ・シュルツはもともと美術を志したらしいが、このような、上目使いのなんともひねくれた自画像を描いている。20世紀末の私は、ここに表れている 19世紀末の雰囲気 (例えばオーストリアの画家クービンを思い出さないか) から、彼の心の奥の闇を嗅ぎつけ、そこに多大な興味を抱いたわけだ。ユダヤ人としてナチに路上で銃殺されたという最期も、何やら運命的な雰囲気が濃厚ではないか。
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さて、例によって長い前置きになっているが (笑)、「ストリート・オブ・クロコダイル」のイメージを通じて、私には早くから、勅使川原とシュルツの間には芸術上の類似性があるという感覚が強くあり、それゆえに、カマキンで見つけたこの公演の案内に感覚を大いに刺激され、強く背中を押されたのであった。

ところが、今回の上演会場は、「カラス・アパラタス B2 ホール」とあり、どうも聞いたことがない。カラスというのは、彼が率いるグループ、KARAS のことであろうが、アパラタスってなんだろう。荻窪駅から徒歩 3分とあるが、私にとってはなじみのない土地だ。ともあれ、駅から少し歩くとすずらん通りという商店街があり、勅使川原三郎とすずらん通りかぁ、どうにもそぐわないなぁとひとりごちながら歩いて行くと、お、ありましたありました。普通の町並みの一角のマンション。隣は庶民的な食堂だ。
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このステージ、料金が非常に良心的だ。前売り 2,500円。当日 3,000円。こんな安い値段で世界的舞踏家のステージを見てしまってよいのだろうか。入り口で受付を済ませると、マンションの地下に行けと案内されるが、壁には勅使川原のこれまでの国内外のステージのポスターが貼ってあって、なかなかにオシャレである。
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地下 1階のスタジオ (練習場?) に場所に通されて、そこで地下 2階の劇場が会場するまで待つ。我が家にもあるような芸術に関する日本書・洋書の本棚や、KARAS に因むのであろう、カラスのはく製などがある。三々五々、老若男女の観客が集まってくる。
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さて、開演 10分前に、さらにもうひとつ下の階の小さな劇場に通される。そこは黒一色の空間で、何のセットもない狭い舞台に、40名程度しか収容しない客席があるだけだ。なんとも閉ざされた空間だが、舞台と客席との距離が限りなく近く、舞台上で起こることに観客も他人ではいられない環境だ。

舞台は全くの暗闇から始まるが、最初は、KARAS の代表的なメンバーで、最近は勅使川原とデュオで出演しているらしい (2010年に見た「オブセッション」もそうだった) 佐東 利穂子と、どうやら若手有望株らしい鰐口 枝里が激しいダンスを踊るところから始まる。このステージを通して、美術は皆無。照明も何種類かのトップライトがあるのみだ。音楽はもちろん録音で、ほぼ全編流れ続け、そこにシュルツの短編「夢の共和国」の朗読の、やはり録音が重なる。 あとで分かったことだが、読んでいるのは佐東自身である。
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正直、以前の KARAS の舞台を思い出すと、集団で「勅使川原風」ダンスを踊るのが少し痛々しい気がしたものだ。つまり、勅使川原の踊りはそれほど突出していて、いかにほかのダンサーたちが同じような動作をしても、体のキレはもちろん、関節のひとつひとつ、筋肉のひとつひとつが織りなす動きの残像が全く段違いであったのだ。最近は群舞よりも少人数での活動が中心なら、その方がよいように思う。ここで見る佐東のダンスは、もちろん勅使川原風とは言えるものの、男女の性差は当然踊りに反映しているし、その表現力の点でも、勅使川原自身とはまた違った鋭さが備わっている。このデュオは、あるときは反発しあい、あるときは同調しあい、ダンス自体にストーリー性があろうがなかろうが、激しく空間にその動きの軌跡を刻んで行く。踊り手の息遣いまではっきり聴き取れるこの劇場は、大ホールにはない緊密さを観客に感じさせてくれる。非常に貴重な経験である。
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シュルツの作品は、上述の集英社の世界の文学シリーズで訳出された短編集「肉桂色の店」(「ストリート・オブ・クロコダイル」の原作を含む) だけでなく、その後平凡社ライブラリー (良書を多く含んでいるシリーズだ) のひとつとして、彼の全小説が 2005年に発売されている。今回の公演に備えて、原作である「夢の共和国」を読もうと思い、シュルツ全小説を購入しようとしたのだが、既に版元品切れで、Amazon の中古で最も安いものでも 5,000円 (定価 1,900円のところ) はする。まあしかし、やむない。大枚 5,000円払ってその本を購入した。「夢の共和国」は、たかだか 10ページほどの小編、いや掌編と言うべきだろうが、抽象的で幻想的言辞に覆われてはいるが、どうやら作者が幼時に抱いた夢想、大人たちの支配を離れた子供たちの共和国を描いているようだ。青い目の男とは、その子供たちの夢想を現実のものとする指導者のようだが、その真意は明確には描かれていない。1936年の作品で、未だ第二次世界大戦は始まっていないが、全体のトーンはメルヘン的というよりも荒涼としており、無機的な感じがして、その点で勅使川原のダンスには合っていると言えよう。今手元で本を開き、この日の朗読を思い出してみると、「ワルシャワ」というような具体的な地名への言及のある箇所は飛ばされているが、全体の半分くらいは読まれていたのではないだろうか。記憶の限りでは、朗読の流れは小説の順番のままであった。ダンスの動きはときに小説のシーンを描写し、ときに抽象化していたと思う。個別の動きの解釈を試みる必要はないと思うが、言葉に呼応したその動作の流れを感じる必要はあるだろう。シュルツの原作から印象深い箇所を引用するときりがないが、作品の終結部を以下に転載しよう。決して子供の夢想というイメージではなく、人類の指導者というイメージかもしれない。

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人間の生む作品は、いったん完成すると、それ自体のなかに閉じ籠り、自然と断絶し、自らの原則の上に安定するという特性を有する。藍色の目の男の作品は、宇宙の大いなる結びつきから抜け出さず、却ってそこに根ざし、ケンタウロスのような半人半獣となり、自然の大いなる周期に縛られ、未完成でいながら成長をつづける。藍色の目の男は万人を継続へ、建造へ、共同制作へと呼びかける --- われわれはひとり残らず天性の夢想家であり、牙を徴 (しるし) とする種族の兄弟、天性の建築家ではないかと ---

UNQUOTE

使用音楽だが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第 2番の第 2楽章と、ドヴォルザークの「新世界から」の第 2楽章という、ともによく知られた緩徐楽章が繰り返し使われていた。上述した「金と銀」のときのような衝撃はなかったが、それでも、特にラフマニノフには、この曲独特の限りない抒情を、ロマン性のないところで身体表現するという点に、「甘ったるいラフマニノフ」とは違う面を感じることができた。またドヴォルザークの方は、私の聞き間違えではなければ、指揮者のかすかな唸り声と、ほんのわずかの聴衆の咳が入っていたように思う。とするとライヴ録音。この曲のライヴで有名なのは、それこそソ連が崩壊したあとにラファエル・クーベリックがチェコ・フィルを指揮したもの。全くのドス勘であるが、もし使用 CD がその演奏なら、日本にシュルツが紹介された前後の時期の録音ということになり、勝手にその組み合わせの妙を夢想しております (笑)。

さて、このような狭い場所での上演の特権と言うべきか、1時間ほどのパフォーマンス終了後、勅使川原と佐東が舞台上で喋るというサービスまでついていた。勅使川原によると、これは昨年両国のシアターχ (カイ) で上演したものの再演で、最近取り組んでいるブルーノ・シュルツ・シリーズのひとつ。このカラス・アパラタスではなるべく多くの回数の上演を続けたくて、今年も年明けから、シューベルトのピアノ・ソナタを使用した演目と、今回の「青い目の男」を踊っていて、とても忙しい (数えてみると、1月 7日から 23日の 17日間に 13回公演がある)。そこで急に佐東にマイクが渡され、予期していなかったらしくびっくりしていたが、そのわりには非常によいことを喋っていた。つまり、このカラス・アパラタスを本拠にして 3年、細々とだけれども自分たちのやりたいことを独立独歩でできるようになった。シュルツの「夢の共和国」を読むと、この劇場を作り上げる過程とオーバーラップしてしまうと。そしてまた勅使川原が引き取って言うには、人間の細胞が日々死んで行きながらまた新たな細胞が生まれて人間という存在が続いて行くなら、自分たちが死んでもそこには何かが残るはず。このシュルツの作品はそんなことを教えてくれる。青い目の男というには、何も目が物理的に青いヨーロッパ人のことではなく、自分たちのように黒い目であっても、青空を見上げればそこに反射して青くなる、そんなイメージなのではないかと。・・・いいことおっしゃるじゃないですか。

この勅使川原、もともと年齢不詳なイメージだが、実に 62歳。えっ、ということは、私の会社のあの役員や、定年退職したあの方よりも年上ということか (笑)。実は上演を見ながら、昔の彼の、ズドンと倒れては無重力のように起き上がる動きが延々続いたパフォーマンスを思い出して、今回はそのような動きがないことから、まあやむないことだけれど、どんな天才ダンサーでも年を取るのだなと思っていたものだから (無常感とは言わないまでも、時の流れを感じるという思い)、時の流れについての彼の上記の発言にポンと膝を打ったのであった。スピーチ終了後は二人とも笑顔で観客の送り出しをしていて、なんとも親近感の持てるステージであった。その一方で、やはり若い頃のダンスが懐かしいという思いも、なかなかに消し難いものがある。久しぶりに引っ張り出してきた彼の 1994年の公演、「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH NOIJECT」(分かる人にはすぐ分かるように、宮沢賢治に材を採ったもの) のプログラムからの写真を掲載しておこう。
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怪しいまでの前衛性で、とても終演後に笑顔で観客に話しかける雰囲気ではない (笑)。でも、まさに古い細胞は死に、新しい細胞が生まれて、人は時を過ごして行くもの。若い力とは異なる武器が、今の彼にはあるはずだし、彼のような天才ではない我々凡人でも、通り過ぎる時を顔に刻んで、青空を仰いで生きて行こうではないか。
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お、青い目の男ならぬ、青いジャンパーの男ですね。今後も応援していますよ、勅使川原さん!!


by yokohama7474 | 2016-01-23 02:13 | 演劇 | Comments(0)
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