2016年 01月 24日
フランス組曲 (原題 : Suite Française / ソウル・ディブ監督)
これは、実に呵責なく人間の本質を描いた作品である。ここで描かれる恋愛は、平常時の安穏なものではなく、明日の命をも知れない人たちの、生きる意味を求めての切実なものであり、何の比喩でもなく、命がけのものだ。もちろん、恋愛だけでなく、他人へのいたわりや共存への希求、あるいは社会的なつながりの中での処世術や裏切り、レジスタンスへの熱意、嫉妬、怒り、恐怖、またその反証としての自尊心等々の人間の感情が様々に渦巻くさまが描かれている。原作を読んではいないが、プログラムの解説によると、ストーリーは原作の後半をかなり忠実に辿っているらしい。そうすると、この作家が描いているものは、当時実際に起こっていた世界大戦に翻弄される人々の生々しい姿である。実際にドイツ軍に占領されているフランスで、ドイツ軍兵士に恋するフランス女性を描くということは、どういうことか。後世の人間が想像力でストーリーを作ったものではなく、リアルタイムで戦争の時代を描いていることは大きな驚きだ。現代の我々は、その後連合国軍がドイツ軍を壊滅させてパリを解放したことを知っている。しかし、原作者のネミロフスキーがこれを書いていたとき、いや彼女がその生を終えるときでさえ、その後の世界が一体どうなるのか、誰にも皆目分かっていなかったわけだ。そのような時代にこれだけ深い人間描写ができたことに心底驚く。ナチに捕まる直前の彼女は、以下のようなメモを残しているらしい。
QUOTE
決して忘れてはならないのは、いつか戦争は終わり、歴史的な箇所のすべてが色あせる、ということだ。1952年の読者も 2052年の読者も同じように引きつけることのできる出来事や争点を、なるべくふんだんに盛り込まないといけない。
UNQUOTE
やはり、彼女の視線は目の前の悲惨な出来事を超えて、人間の真実の姿に向けられていたのだ。また上記のメモは、ただ単なる夢物語としての決意表明ではなく、小説執筆に関する極めて実務的な視点での発言であるように思う。感傷のない透徹した思いに、ただ感嘆する。ネミロフスキーのこの写真がいつ頃のものか分からないが、1903年ウクライナ生まれで、ロシア革命時にフランスに移住。既に 1920年代から人気のある作家だったという。
主役の恋人たちの描き方にも細心の注意が払われている。占領地の名家の嫁で、戦役中の夫の留守を義母とともに守っているリュシルと、その家に宿泊所と書斎を求めて住みつくが、リュシルとその義母に対して非常に礼儀正しいドイツ人中尉、ブルーノ。
つまりこの映画は、原作の素晴らしさを映画に置き換える才能をもった監督の手に委ねられたのである。1968年生まれの英国人監督、ソウル・ディブの名前は初めて聞くが、ドキュメンタリー出身で、劇映画ではキーラ・ナイトレイ主演の「ある公爵夫人の生涯」という作品を 2008年に撮っている。原題 "the Duchess (公爵夫人)" というこの映画のポスターは、当時ロンドンに住んでいた私はしょっちゅう目にしたものの、作品は見ていない。これがその撮影風景だ。
それから、原作は未完のままであるので、この作品の結末も、語りで終わっている。それは、現代から過去を見ての主人公の語りであり、物語の本当の終結を告げるものではない。だが、それはそれでよいのではないだろうか。ネミロフスキー自身の言葉にある通り、どんな悲惨な戦争にもいつかは終わりは到来し、その一方で、人間の文化活動の持つ力は、世代を超えて生き残って行くものであるから。ネミロフスキーが戦争の終結を知っていても知らなくても、彼女の描く人間像は、既に充分描きつくされているのだ。
一時期はシネコンでも上映されていたこの作品、今では東京では TOHO シャンテでのみ上映中だ。だが、私の見たときにはかなりの混雑であった。もしこれをただのメロドラマだと勘違いしている方がおられたら、是非だまされたと思って劇場に足を運んでみることをお奨めする。様々な予備知識を一旦忘れて、映画の流れに身を委ねればよいと思う。