ブリッジ・オブ・スパイ (スティーヴン・スピルバーグ監督 / 原題 : Bridge of Spies)

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スピルバーグの名前は現代映画界においてヒットを約束する魔法の呪文であり、製作作品ではなく彼自身が監督した作品は、ロングラン間違いなしと思っていた。この映画の封切は 1月 8日 (金)。まだ 3週間しか経っていない。まだ全然大丈夫だと思っていたある日、私がよく行くシネコンでは、あろうことか 2月 4日 (木) で上映終了とあり、慌てて見に行く羽目になったのである。もちろん、映画好きたるもの、スピルバーグの新作を封切で見逃すようなことはあってはならないのだ。

実際に見てみて、あまりヒットしない理由もなんとなく分かるような気がした。それにはいくつかの理由があるので、以下で考えてみたいと思う。まず、予告編では、「普通の人に重要な使命が与えられた。さあどうする?」というイメージで宣伝されていた。ところが、トム・ハンクス演じる実在の弁護士ジム・ドノヴァンはいかなる意味でも凡庸な人ではない。日本はともかく、米国では明らかに最も重要な職業である弁護士であり、しかも凄腕であり、第二次大戦後のドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判では検察官を務めた実績もあるのだ。だから「普通の人」云々はこの際忘れよう。次の理由。これはスパイを題材にした映画である。最近のスパイ映画はこのブログでも採り上げてきたが、「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」「キングスマン」「コードネーム U.N.C.L.E.」「007 スペクター」に比べてこの映画の娯楽的要素はいかがか。1950 - 60 年代に実際に起こった事件をもとにしたこの映画、人間ドラマではあっても、決して超絶的な能力を持っているスパイの映画ではない。この点においてのみ、主役のジム・ドノヴァンを普通の人と呼んでもよい。そして第 3の理由。日本ではスピルバーグは未だ子供向けの映画の監督だと思われているのではないか。だが普通に映画の好きな人なら、この監督が随分以前から娯楽作品とシリアス作品との両方を撮ってきたことを知っているはず。
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そして彼の撮るシリアス映画は、どれひとつとして現代と切り結ばないものはない。この映画もそのひとつで、ユダヤ人であるスピルバーグが戦後のドイツ分裂を扱っている点に、既に歴史的な価値が生じている。だからこの映画は、面白いとか面白くないとかいうレヴェルで見てはならない、人類の宝なのだ。加えて脚本があのジョエルとイーサンのコーエン兄弟だ。これまたユダヤ人の兄弟だが、私の見るところ、スピルバーグと同レヴェルの、現在を代表する最高の映画監督である。
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それからもうひとつの課題は邦題だ。そこには表れていないが、上に見る通り、原題は "Bridge of Spies" と、「スパイ」という語が複数形なのだ。この映画のクライマックス、お互いの人質を交換するシーンはベルリンの西の郊外に実在する橋、グリーニッケ橋が舞台となっているので、その橋が題名になっているとの解釈は可能だ。だが私には、これは Double Meaning であると思われる。主役のジム・ドノヴァンこそが、スパイとスパイをつなぐ橋になっているのだろう。上に掲げた日本語のチラシでは、「オブ」の上下に赤い線が引かれているが、英語版では以下の通り、"i" (アイ) の文字が二つ、赤くなっている。これこそ、「I = 私 = ドノヴァン」が橋渡し役であるという意味でなくてなんであろう。そして、2箇所の赤は二人という意味で、コーエン兄弟の象徴でもあるのだろう。
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そんなわけで、この映画が一般受けしない理由はそれなりに分かった。では私自身の評価はというと、グッと親指を立てるのだ。まずはそのリアリティ。映画の性格上、英語のみならず、ドイツ語、ロシア語が出てくるが、それらには字幕が出てこない。誰のアイデアかは分からないが、この時代特有の緊張感ある敵愾心を表すには、効果的な手段である。それから、時間の経過の描き方。漫然とスクリーンを見ていただけでは、この映画の中で何年時間が経ったのか分からないが、数年を経た交渉であったことを、これから私が証明しよう。

まず冒頭の設定が 1957年であることが明らかにされる。米国でソ連のスパイとして逮捕されるルドルフ・アベルが、彼の弁護士を務めることになったジム・ドノヴァンと相対する場面でラジオから音楽が流れている。恥を忍んで言えば、最初私も、緩やかな弦楽合奏を聴いて、それが何の曲であるか分からなかった。だが、ピアノソロが入ってきたところではっきりした。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第 2番だ。この曲は作曲者が息子マクシム (その後指揮者となり、父の最後の交響曲、第 15番を初演する。最近の活動ぶりは聞かないが、未だ現存のはず) のために書いた、軽やかでパロディ感覚あふれる曲だ。その初演はまさに 1957年。映画の中でアベルとドノヴァンがショスタコーヴィチについて会話を交わす。この楽しい協奏曲を私は大好きで、バーンスタインが弾き振りした CD で過去 25年以上楽しんできた。実はこの年、ショスタコーヴィチは交響曲第 11番も作曲、初演している。スターリンの死後書かれた謎めいた第 10番のあと、11番と 12番は、ロシア近代の歴史を題材としている。この映画で描かれているシーンでは、この壁画的な大交響曲でなく、優しく穏やかな協奏曲の緩徐楽章を使用することで、この 2人の間の交流が巧まずして立ち現われる。
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もうひとつ私が注目したシーンは、トム・ハンクスが東ベルリンの電話ボックスから妻に電話するシーン。カメラがパンするうち、どうやら映画館らしい建物が映るが、そこにはっきり読み取れる「スパルタカス」の文字。この題名は、ハチャトゥリアンのバレエ音楽にも存在するが、映画である以上は、あのスタンリー・キューブリックの初期の作品、カーク・ダグラスが取り仕切って撮影されたというあの映画しかありえない。調べてみるとこの映画の公開は 1960年。アメリカ映画が東ベルリンで上映されていたのか否か分からないが、ここでは明らかに時間の経過が表されているのだ。

この映画で描かれる執念は凄まじい。トム・ハンクス演じる主役は、巧みな交渉術で、米国政府の思惑を超えた次元での解決策を実現する。ビジネスマンたるもの、これを見習わずしてどうするか。愛とか平和とか、そんなぬるま湯では御しきれない、非常時に試されるその人の真価である。映画の最後に、実在のドノヴァン弁護士が、この映画の時代のすぐ 2年後、1962年にキューバに囚われた米国の人質を解放するため、カストロ議長との交渉に当たり、結果的に 9,700人 (!) を超える人々を助け出したという実績が説明される。これは並大抵のことではない。この映画のラストシーンは、雪のベルリンの橋の上で人質交換を無事終えてはるばる自宅に帰ってきたドノヴァン弁護士が、ベッドの上に倒れ込んで眠っているわけであるが、私がここに見るのは、仮想の死としての眠りである。ドノヴァンは 1970年、54歳の若さで死亡している。これが過労死でなくてなんであろう。

もうひとつ、印象に残ったシーンを書いておこう。トム・ハンクスがベルリンの列車の窓から見る残酷な風景。建設後まもないベルリンの壁を越えようとして東側の兵士に無残にも撃ち殺される市民たち。それに対してニューヨークのブルックリンでは、子供たちが自由に柵を越えている。平和が尊いことは言うまでもない。だが私が心震えるのは、戦後 70年を経た現代、東西ドイツ合併が果たされてからでも四半世紀を経た今でも、ベルリンを訪れると、壁こそもはや存在せず、銃殺は起こらないものの、この映画で描かれているのと大差ない、寒々とした風景を列車から見ることになるのだ。戦争の爪痕は、70年程度の時間では治癒しない。全く人類という奴はとんでもない大馬鹿者の集合だ。
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またこの映画の冒頭まもない箇所では、スピルバーグとしては珍しい、実際の場所でのゲリラ風撮影が、ニューヨークの地下鉄を舞台に展開する。このあたりにも、彼の真摯な思いが結実した映画であるとの思いを抱く。2つの大国が世界の秩序を二分する時代は過去のものとなったが、いつの時代にも異質なもの同士の架け橋は必要なのだ。この映画からはそのようなメッセージこそを受け取ろうではないか。
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by yokohama7474 | 2016-01-30 23:05 | 映画 | Comments(0)
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