アロンドラ・デ・ラ・パーラ指揮 NHK 交響楽団 (チェロ : ナレク・アフナジャリャン) 2016年 1月31日 Bunkamura オーチャードホール

日本を代表するオーケストラである NHK 交響楽団 (通称 N 響) は、大変に多忙なオーケストラであって、毎月 3種類のプログラムの定期公演が各 2回ずつあるほか、各種地方公演や特別演奏会などを行っている。その中に、渋谷にある東急 Bunkamura のオーチャードホールを舞台にしたシリーズもあって、「オーチャード定期」と名付けられている。さすがに毎月の開催ではなく、大体 2ヶ月に 1回のようであるが、このホールを訪れると、毎シーズンのオーチャード定期が一覧となったポスターを見ることができる。それを見るともなしに見ていると気づくことには、このシリーズに登場する指揮者には、もちろんスラトキンとかブロムシュテットという、「本物の」定期に登場する巨匠たちも交じってはいるものの、ほとんどはあまり名前を聞かない指揮者が多い。つまり、未だ「本物の」定期に招聘する前に、オーケストラがその腕前を試すために若い指揮者を呼んでいるのではなかろうか。先に N 響定期デビューを果たした山田和樹も、初めてこのオケを指揮したのは、このオーチャード定期であったはず。それからこのシリーズ、ほとんど必ず協奏曲が入っていて、若手・ベテラン色とりどりのソリストを聴く場にもなっているのだ。・・・というわけで、通常なら冒頭に掲げる写真もなしに無駄口をベラベラ喋っている (笑) のにはわけがあって、今回の指揮者が誰であるか知っている人をじらそうという私の意地悪なのだ。はっはっは。では、今回の公演のチラシをお見せしよう。
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なになに、「美貌のマエストロ、アロンドラ・デ・ラ・パーラ 情熱のタクトを携え N 響オーチャード定期デビュー!」と、びっくりマークつきで宣伝文句が書かれている。なるほど。この写真はまるで女優ではないか。この人が指揮をするなら、ちょっと興味を惹かれるのが人情というもの。いやもちろん、指揮者だから客席に背を向けて演奏するわけで、しかもこのホールにはステージの横とか裏には客席はないから、いかに美貌の持ち主であっても、演奏中に顔を正面から見ることは叶わない。そもそも音楽とは、顔で演奏するものではないし、ちょっと見た目がよいからと言って、いい演奏をするとは限らない。なので、私がこのコンサートを聴きたいと思ったのは、一義的には音楽を聴きたいと思ったからなのである。・・・今日はなんだか無駄口が多いような気がするなぁ・・・。

真面目な話、最も私の興味を惹いたのは、この曲目である。
 ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
 ショスタコーヴィチ : チェロ協奏曲第 1番変ホ長調作品107 (チェロ : ナレク・アフナジャリャン)
 ストラヴィンスキー : バレエ音楽「春の祭典」

1曲目と 2曲目はともかく、メインの「春の祭典」は、野性味あふれる凄まじい難曲。非力な女性指揮者では (あ、もちろん非力な男性指揮者でも) 手におえない難物だ。それをこの女優のような指揮者がいかに捌くのか、大変興味がある。これが「新世界」とか「カルメン」なんかだと、きっと行っていなかったに違いない。なんだか、つい最近見た「スター・ウォーズ フォースの覚醒」の主役、レイを思わせる強さを持つ女性指揮者なのではないかと、勝手に想像したりする。

このデ・ラ・パーラ (が苗字ということでよいのだろうか) は、1980年にニューヨークで生まれたメキシコ人。経歴を見てもコンクール優勝歴の記載はないようだが (もちろんミスなんとかという経歴も!)、23歳でニューヨークを拠点に 20ヶ国の若者をメンバーとするフィルハーモニック・オーケストラ・ジ・アメリカズを組織してメキシコをはじめとするアメリカ音楽の紹介に努めているという。かなり行動力のある人のようだ。これまでに指揮したオーケストラとして、パリ管、国立リヨン管、スウェーデン放送響、ウィーン・トーンキュンストラー管、サンフランシスコ響等の有名オケの名がある。また、2012年に東京フィルを、2014年にはオーケストラ・アンサンブル金沢と兵庫芸術文化センター管も指揮しているらしい。
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今回はこのような長い髪ではなくショートにして、燕尾服の代わりにノースリーブの黒いジャケット(もちろん、黒い長袖シャツを下に着ている)にパンツといういでたちであったが、驚いたのはその靴だ。真っ赤な光沢を放つエナメルの、スニーカーのようにも見える靴。なかなかに大胆である。また、指揮台から客席に投げる微笑みも、なかなかに爽やかだ。さて、肝心の音楽やいかに。

最初の「牧神の午後への前奏曲」について彼女はインタビューで、ドビュッシーは一番好きな音楽家であると述べた上で、「和音でもメロディでも管弦楽法でも、音楽の世界を変えた、と思います。私は、この曲のエロティックなところが大好きです。すべての旋律が際どい」と語っている。だがこの日彼女が冒頭のフルートに入りを指示してからゆっくり棒を振り出したのを見て、「なんとも色気のない振り方だなぁ」と思ってしまったのだ。右手はしっかりと棒を握りしめ、かなり機械的に拍子を取る。左手はそれにそえられるのみで、さほど自由に動き回ったりはしないのだ。正直、これだけ見ると失礼ながら素人の指揮ぶりのように見える。だが、それにもかかわらず、鳴っている音は徐々に不思議な情感を醸し出し、大変に充実した演奏になったのだ。これは不思議であった。やはりオケを動かす何かを持っている人のようだ。

2曲目のショスタコーヴィチでは、別の驚きを覚えることとなった。ここで登場したソリストのアフナジャリャンは、1988年生まれのアルメニア人で、2011年のチャイコフスキーコンクールの優勝者であるとのこと。このチェロが素晴らしかったのである。
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彼は晩年のロストロポーヴィチに学んだとのことだが、このチェロを聴いて私はすぐにこの 20世紀後半のチェロの巨人の音を思い出した。もちろん、変幻自在のテクニックという点でもそうであるが、なんというべきか、非常に繊細でいて豪胆な、艶やかにして深く鳴る、あの独特のチェロの音である。指の無窮動から紡ぎ出される音が、もうこれしかないという確信とともに空中に淀みなく次々と立ち昇るこの感覚は、まさにロストロ以外に聴いたことのないものである。もちろん、それはアフナジャリャンが偉大なる先人を真似しているということではなく、彼自身の音楽として鳴っているのだ。この若さでこれができてしまうとは、驚くべき才能である。このチェロ協奏曲第 1番は 1957年の作で、先に「ブリッジ・オブ・スパイ」の記事でご紹介したピアノ協奏曲第 2番と同じ年に書かれているが、こちらはよりショスタコーヴィチらしい、痛々しく陰鬱なパロディ精神を持った曲である。まさにロストロポーヴィチのために書かれて、彼が初演した曲であるが、そのような曲の精神がこのような優れた後継者によって日本で再現されるとは、本当に意義のあることだ。ここでは聴衆も美人指揮者を忘れて非凡なチェロに聴き入ったのである。そしてアフナジャリャンは、ニコリともせず、一言も発することなくアンコールを演奏したが、冒頭でも途中でも、あたかもコーランの祈りのような歌を、チェロ奏者自身が歌うと思うと、目もくらむような超絶技巧がそれに続く不思議な曲。見事な演奏に客席が沸きに沸いたが、会場の表示によるとこれは、イタリアの作曲家、ジョヴァンニ・ソッリマ (1962年生まれ) の、「ラメンタツィオ」という 1998年の作。この作曲家の名前はどこかで聞いたことがあるが、はっきりとは思い出せない。調べてみると、ミニマリズム風の作風を持ち、あの英国の鬼才ピーター・グリーナウェイ監督の映画「レンブラントの夜警」では彼の作品が頻繁に使われているという。おー、なんということ。心から敬愛するこの監督の近作を私が知らないなんて。2008年の作品で、私が日本を離れていたときのものだ。無知を恥じて、近く DVD で見てみることにしよう。それにしても、おそるべしアフナジャリャン。この長い名前を覚えておこう。

さて最後の「春の祭典」。私は、よくオケが鳴っていたと思う。リズムのキレもよく、金管の咆哮や、決め所の打楽器も申し分ない。ただ、欲を言うならば、もっと遊びが欲しい。あの機械的な棒の動きでは、オケも羽目を外す本当の熱狂には立ち至らないのではないか。正確な指揮で、変拍子も丁寧に振っている一方で、数か所は、通常の演奏より大きな表情づけがあったり逆にテンポが速かったりもしたが、命がけののめり込みまでは感じられなかった。いやしかし、彼女の指揮のよい点は、独りよがりの陶酔がないということだ。ただ派手に指揮棒を振り回し、大汗かきながらオケを混乱させるよりは、この曲の場合はこのやり方の方がよいのかもしれない。私の席からよく見えた第 1ヴァイオリンの人たちは、足でリズムを取りながらダイナミックに演奏していて、そこには日本を代表するオケとしての矜持が見えたような気がする。ひょっとすると指揮者は、自分があまり大仰に振らずともオケが鳴るので驚いたかもしれない。ちょっと気になったのは、終演後のカーテンコールで、最近はよく見かける、オケから指揮者への拍手がなかったこと。他意はないのかもしれないが、N 響の昔の保守的な体質をふと思い出したりもした。私の思い過ごしであればよいが。まさか、彼女の赤い靴が気に入らないとか、そんな理由ではないでしょうね (苦笑)。

指揮者に求められる資質は、まずは職人的な正確さであろう。その意味で、この不器用な棒を振る美人指揮者は、その点の基礎がありながらも、それ以上にカリスマを発揮できる場面は未だ限られているのかもしれない (例えば今回は最初の「牧神」で片鱗が見えたと言えないだろうか)。インタビューで、最も尊敬する指揮者をカルロス・クライバーと答えている彼女は、実はあの究極のカリスマを夢見ているのであろうか。もちろん、クライバーの真似をしてできるくらいなら、他の指揮者も皆やるだろう。第 2のクライバーは存在しないし、する必要もない。そんなことは、座ってただ聴いているだけの私がエラそうに言わずとも、やっている指揮者の人たちが当然分かっていること。かくなる上は、デ・ラ・パーラ自身の音楽を、自ら確信を持って演奏して行ってもらうしかない。だがしかし、こんな顔をしていると、注目してもらえる点は得だろうが、音楽家としては逆に真価を認めてもらう妨げにもなりかねませんね。
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これからの活躍を期待しております。

by yokohama7474 | 2016-02-02 00:35 | 音楽 (Live) | Comments(0)