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フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展 六本木・森アーツセンターギャラリー

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東京では入れ替わり立ち代わりいろいろな展覧会が開かれていて、よく注意していないと知らない間に終わってしまって後悔することがよくある。現在東京では、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエル前派などの展覧会が開かれているし、カラヴァッジョ展ももうすぐだが、そんな中で今回採り上げるこの展覧会、あまり宣伝していないように思う。だが、その名の通り、世界を席巻した 17世紀のオランダが生んだ絵画の数々を鑑賞できるよい機会である。上に見える通り、フェルメールとレンブラントが来日していて、特に前者の人気はいつでも凄まじいものがあるので、例によって長蛇の列かと思いきや、私が見たときは意外なほどすいていて、フェルメールとじっくり相対することができて大変満足であった。今の混み具合はどうか分からないが、行くなら期間の早いうちがよいだろう。

ということで、本命の 2点をご紹介する。まず、ニューヨークのメトロポリタン美術館の所有する、フェルメール (1632 - 1675) の「水差しを持つ女」(1662年頃) だ。
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今月号の芸術新潮も、この展覧会の機会をとらえ、この絵を表紙としたフェルメール特集を組んでいるが、そこでは現存する真作は 32点とされている。以前読んだ朽木ゆり子の「フェルメール全点踏破の旅」では、あれこれの説を紹介しながらも、真作は 37点となっている。いずれにせよ、30数点という非常に限られた数であることは間違いなく、その中には正直、大傑作とは思えない作品もいくつかは含まれているが、欧米各地に分散して所有されているこの画家の全作品を踏破するのは並大抵のことではない。であるからこそ、日本にこの画家の作品がやってくる機会は非常に貴重なのである。この作品はまさにフェルメールならではの光と静寂が画面に定着している文字通りの逸品で、近くに寄って銀の皿に反射した赤いテーブルクロスの模様や、後ろの地図などの細部をつぶさに眺めるのは至福のひと時である。ここには物語は必要なく、ただ何気ない日常の一コマを細心の注意を払ってそこに再現することで、いわく言い難い崇高さまでを感じさせる画家の手腕に、ただただ唖然とするのみだ。展覧会の図録によると、赤外線写真撮影によって、この作品を完成するまでに画家は構図に何度も手を入れていたことが判明したという。左前景には最初椅子が描かれていたが、最終的には消されており、右奥の地図は当初はもっと大きくて、女性の頭を越えて左側にまで広がっていたという。何気ない構図でありながら、やはりそこには最新の注意が払われていたのだ。タイムマシンがあれば、世界の人々を未だに魅了してやまないこの画家の創作過程を見てみたいものだ。

そしてこれがもう一点の目玉、これもニューヨークのメトロポリタン美術館の所蔵になる、レンブラント (1606 - 1669) の「ベローナ」(1633年) だ。
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ベローナとは古代ローマの戦いの女神のひとり。ここでは鎧兜で武装し、メドゥーサの顔を刻んだ楯を持った姿で表されている。ただその表情は柔和で、ほかの作品でもモデルを務めている後の妻、サスキアを思わせるものがある。つまり、神々しさよりは親しみやすさを感じさせる。だがこの絵、実物の近くに寄ってみるとその鎧兜の質感や、なんとも言えない人物の存在感が圧倒的で、食い入るように眺めてしまうのだ。光と影の巨匠と称されるこの画家にしては、まだ若い頃の作品とあって、深いドラマ性を感じさせるところにまでは至っていないが、その技術の高さは驚異的である。この作品の依頼主は判明していないらしいが、ちょうどオランダがスペインから独立する頃の作品なので、そのような政治的状況において依頼された勝利の女神像であるかもしれない。

この 2点が、今回の展覧会のタイトルになっている 2大巨匠の作品であり、ほかは我々にあまりなじみのない画家の作品が多い。だが、メトロポリタン美術館以外にもアムステルダム国立美術館やロンドンのナショナル・ギャラリーから出展されており、また個人蔵のものも含めて 60点が展示されているので、まさに世界をリードした 17世紀のオランダの文化がよく分かる内容になっている。もちろん、上記の 2人の才能がいかに抜きんでたものであったかを知ることにもなるわけであるが、それでも、抜きんでた才能を生んだ時代や土壌のようなものが分かれば、フェルメールやレンブラントについての理解も同時に進もうというもの。以下、いくつか印象に残った作品をご紹介しよう。

これは、アブラハム・ブルーマールト (1566 - 1651) の、「ラトナとリュキア人の農民」(1646年)。オヴィディウスの「変身譚」によるもので、ユピテルの子供 (アポロとディアナ) を生んだラトナが、嫉妬に駆られたユピテルの正妻ユノに狙われるが、リュキアという場所の農民が彼女を襲おうとしたとき、ユピテルがその農民たちを蛙に変えて助けたというもの。手前で 2人の赤ん坊を抱えているのがラトナで、その右手に体をよじっている男性が見えるが、実はその隣に大きな蛙が描かれており、おそらくこの男も蛙に変身する前ということなのであろうか。一見すると風景画であるが、小さくマニエリズム風の長い手やよじれた姿勢の人物が描かれている点が面白い。でも、イタリア人ならこんなもったいない画面の使い方をせず、題材を真ん中に持ってきたのではないか (笑)。
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オランダという国は、狭くて山もない平坦な国であり、埋め立て地の多いところであるゆえ、オランダ人の中には、峨々たる岩山や断崖絶壁の嵐ではなく、のどかな田園風景を描くことに技量をかけた人たちがいた。この、エサイアス・ファン・デ・フェルデ (1587 - 1630) の「砂丘風景」(1629年) はどうだろう。
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画面全体の写真ではないので細部の詳述は避けるが、小さく描かれた行きかう人々の動きがそれなりに活力を感じさせるものの、全体の雰囲気は淋しく、なにやら作者の不安を表す心象風景のようではないか。遥か 250年後にこの国が輩出したヴィンセント・ヴァン・ゴッホの先駆的な作品だと言うと言い過ぎであろうか。だが、ゴッホのような突然変異的な天才の精神形成にすら、母国オランダの画家たちの自然への対峙方法が一役買っているとは言えるような気がする。

これら以外にも、かなり精密な風景画があれこれ並んでいて、なかなか興味深いが、このアールト・ファン・デル・ネール (1603/04 - 1677) の「月明かりに照らされる村」(1645 - 50年頃) なる作品は、不気味なまでの精密さで、夜の空間における人の営みと、沈黙する建物を描いていて忘れがたい。この画家、困窮の中、家賃を 15ヶ月も滞納して亡くなったらしいが、時代を超えたユニークな天才であったようにも思える。
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かと思うとこのヤン・バプティスト・ウェーニクス (1621 - 1659/61) の「地中海の港」(1650年頃) は、その題名の通り、イタリア的風景だ。実際にイタリアに 4年間滞在したらしいが、オランダに帰国後、記憶を頼りにイタリア的風景を描き続けたという。きっとそのような需要があったのだろう。左手前の犬など、何か物思いにふけっているようで、イタリア的楽天性はあまりないようだが、まあそれも愛嬌か (笑)。
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面白いジャンルとして、主として教会の内部を専門的に描いた画家たちの作品が紹介されている。私がこのジャンルに興味惹かれたのは、この展覧会を見ているうちに、20世紀オランダで面白い画家がいたことを思い出したからだ。それについては後で記すが、これまでにも見てきたように、17世紀オランダの画家たちは、凝りに凝った写実性と、不思議なイマジネーションの混淆が面白い。その中には、誰もいない教会 (どういう用途で描かれたものか) を描いた画家たちもいて、その佇まいは既に明らかなシュールレアリズムの先駆と言ってもよい雰囲気が醸し出されている。以下はピーテル・サーンレダム (1577 - 1665) の「聖ラウレンス教会礼拝堂」(1635年)。実在の教会を描いているが、実は画面左奥の祭壇画は想像上のものであるらしい。簡素で閑散とした教会の内部に、画家は何を見たのであろうか。
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さらにユニークなのはこのエマニュエル・デ・ウィッテ (1617 - 1691/92) の、「ゴシック様式のプロテスタント教会」(1680 - 85年頃)。これは完全に空想上の建物であるらしい。上記の作品と異なり、ここでは作業途中の墓堀人が知人と話し合っていたり、犬同士がじゃれあっていたりして、現実社会の営みが描きこまれている。だが、ここは実在の場所ではなく、あるいは登場する人たちは既に命なき者たちであると想像したらどうだろう。時空を超えた不思議な感覚に襲われる作品である。
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また、海洋国オランダであるから、船の絵も何点か展示されている。これは、コルネリウス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン (1577 - 1633) の「港町の近くにて」(1615 - 20年頃) の中に描かれた帆船。実在の船として同定できないことから、一般的な海洋画であるらしいが、この描写の細かいこと。三国間貿易で世界をリードしたこの国において、船舶は非常に重要な国富の象徴であったことだろう。
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また、オランダには静物画の伝統もある。もともと西洋における静物画には、現世の儚さを象徴するような宗教性がある場合が多いが、プロテスタントの国として国富を増したオランダでは、自国に入ってくる珍しいものの数々が、多くの静物画で描かれた。これは、フローリス・ファン・スホーテン (1585/88 - 1656) の「果物のある静物」(1628年)。大変にリアルでおいしそうだ (笑)。また、後ろの壁に影が差しているのも、まるで現実の風景のようだ。
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肖像画でもいくつか名品が展示されている。これは、フランス・ハルス (1582/83 - 1666) --- おー、やっと知った名前が出てきたか (笑) --- の「ひだ襟をつけた男の肖像」(1625年)。ちょっとヴェラスケスを思わせるほどの繊細な筆致で、人物の内面まで描きこんでいる。
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それから、プロテスタントの国の作品として特徴的であるのが、庶民の生活を描いた風俗画のジャンルだ。フェルメールはこのジャンルに属しているわけだが、あのような突き抜けた作品ではなく、ちょっとほっとするような、あるいはリアルであるがゆえに描かれた人物に反感または共感を覚えるというタイプの作品もまた多く存在する。これは、ヘラルト・テル・ボルフ 2世 (1617 - 1681) の「好奇心」(1660 - 62年頃)。左に立っている女性が、恐らく恋文 (机の上に置いてある) をもらって茫然としており、分別のあるほかの女性に返事を代筆してもらっている。それを後ろから覗き見する女性。そして犬までが人間たちのやりとりを椅子の上で興味深そうに見守っている。当時の上流階級での日常的な一コマを、若干誇張して描いているが、色調は暗く沈んでおり、微笑んでよいのか神妙に見た方がよいのか、ちょっと迷ってしまう (笑)。
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今回、代表作 2点以外で私の目を最も引いたのは、このピーテル・デ・ホーホ (1629 - 1684) の「女性と召使のいる中庭」(1660 - 61年頃)。
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この画家については一切知識がないが、フェルメールと同世代である。いやそれどころか、同じデルフトで活動しており (但しデ・ホーホはロッテルダム生まれで、後年アムスに移住したので、デルフトに住んでいたのはほんの数年)、フェルメールに影響を与えたとも言われている。この作品は屋外の風景であり、フェルメールの典型的な題材とは異なっているが、空など書き割りではないかと思われるほど、室内劇の様相を呈している。その汚れまで極めてリアルに描かれた流し場で、召使は魚を洗っていて、それに指図をしているらしい後姿の女性が描かれている。左の奥からは帽子をかぶった紳士 (家の主人であろうか?) が歩いてくるのが見える。この光景は、もちろん宗教的なものではなく、日常のごくありふれたものであるとも見えるが、そこには何か不思議な空気が漂っていないだろうか。細部がリアルであるゆえに、人物たちの何気ない行為が、見えない絶対者に操られているかのように思われる。それは、フェルメールの作品群とどこか通じ合う雰囲気があると思うのだ。

このように、私がこの展覧会から感じ取ったことは、オランダ絵画の諸相がこの時代の絵画に刻印されているということであり、いかなる天才もその流れから全く独自に才能を開花させたわけではないということだ。そして、特に教会の内部を描いた作品と、上記のデ・ホーホの作品のシュールな感覚に、なぜか既視感を覚えたのである。帰宅してよくよく思考を巡らせてみると、確か以前、オランダ絵画の歴史を回顧する展覧会で、「魔術的リアリズム」という名前で分類される一派があるということを知ったはず。書棚をひっくり返して取り出したのは、1986年に西武美術館で見た「オランダ絵画の 100年」という、ゴッホ以降のオランダ絵画の展覧会の図録だ。そこで紹介されていたカレル・ウィリンク (1900 - 1984) という画家の、「悪い知らせ」と題する 1932年の作品。
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これは、お隣ベルギーのマグリットの作品とも、もちろんダリやタンギーやエルンストの作品とも違う、独特のシュールさを持った作品だ。オランダ絵画の流れを辿るうちに、私の脳髄の奥底から蘇ったこの作品との邂逅に、なにやらただならぬ感覚を覚える。ヨーロッパの国々には、共通するところも多々ありながら、自然環境や気候や宗教や、あるいは文化的伝統によっても、違いもあれこれ存在する。オランダという小国に脈々と息づく高度な文化は、これらの絵画作品たちを結びつけている。そのことの意味は、これからも私なりに考えて行くことになるだろう。

by yokohama7474 | 2016-02-07 00:16 | 美術・旅行