ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る (エディ・ホニグマン監督 / 英題 :Around the World in 50 Concerts)

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たまたま前回の記事でオランダ 17世紀の絵画を通じてこの国の文化的伝統について考えてみたが、この映画についての記事では、同じ国の音楽について考えてみることとしよう。オランダが誇る世界有数の名オーケストラ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が 2013年に創立 125周年を祝って世界ツアーを行ったときのドキュメンタリー映画だ。アムステルダムにある、たとえようもなく美しい響きのホール、コンセルトヘボウ (なんのことはない、「コンサートホール」というそのものズバリの意味だ!) を本拠地とするこのオケについては、既にこのブログでも、昨年 11月の来日公演の様子を、しかも名古屋と東京の両方のものについて書いたし (決してユジャ・ワンについてだけ書いたのではないですよ!!)、音楽好きの方には今更説明の必要もあるまい。だが、やはり日本における知名度から言えば、ベルリン・フィルやウィーン・フィルにはひけをとっていると言うしかないだろう。この映画も、全国で東京・渋谷のユーロスペースと、大阪のシネ・リーブル梅田の 2館でのみの上映となっている。この手の映画こそ早く見ないと終わってしまうと思い、NHK ホールに行く前に、12:20 の回を見ようと出かけたのだが、時計を見ると劇場到着は上映開始寸前。まあ、クラシック音楽に興味のある人しか見ない映画であろうし、世の中ではクラシック音楽ファンなんて、大変にマイナーな存在であるから、どうせガラガラだろうと思いきや、あにはからんや、劇場はほぼ満席の大盛況。ここでまた常套句を繰り返そう。恐るべし、東京。

さてこの映画は、世界 32都市 (当然そこには東京と、それから川崎が含まれる) で行われたツアーの中から、アルゼンチン、南ア、ロシアでの演奏会の様子やそれぞれの土地の人たちの音楽との関わりを伝えており、そこに本拠地アムステルダムでの光景、楽団員のインタビューやホテルでの様子などを加えた構成だ。オケの現在と、聴き手にとって音楽がいかなる存在でありうるかという点に焦点を当てているので、楽団の歴史とか、音楽監督マリス・ヤンソンスのインタビューなどはない。もちろん音楽ファンとしては、ヤンソンス以外に指揮を取っているシャルル・デュトワや、ソリストのデニス・マツーエフやジャニーヌ・ヤンセン (彼女はオランダ人で、もうすぐ来日してリサイタルと N 響との共演があるはず) から、何か言葉を聞けないものかなぁと思ってしまうが、その期待は満たされない。だがその代わり、音楽をするという行為が人々の心を動かし、人々の生活を豊かにするものなのだという、言葉にするとちょっと恥ずかしくなるようなことを改めて実感させる、そんな映画である。
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面白いのは、映画が始まる前にフルート奏者とファゴット奏者がインタビューに応じているシーンが挿入されているが、そこでこのオケの特色を語る際に、楽員の間で家族のような一体感があるという話が出て来る。いわく、「ここではミスをしても許し合える寛大さがある」と。これ自体はよく分かる話だが、私が昨年 11月の記事で採り上げた通り、名古屋と東京で起こったことは以下の通りだった。
・まず、名古屋での「シェエラザード」の演奏で、ファゴットのパートが 1か所抜け落ちてしまった。
・その演奏会のカーテン・コールで指揮者のグスタヴォ・ヒメノ (もとこのオケの楽員出身) は、そのミスをしたファゴット奏者を最初に起立させた。
・数日後、東京での同じ「シェエラザード」の演奏では、ファゴットは無事ミスなく演奏。
・その日のカーテン・コールでも、ヒメノは (華麗なソロを吹くはずもなく、普通は最初に起立することはない) ファゴット奏者を最初に起立させた。ファゴット奏者は苦笑。
この映画の冒頭で語っているうちのひとりは、件のファゴット奏者だ。そうすると私が目撃した上記の光景は、図らずもこのオケの特色を表す貴重な機会であったわけだ。・・・と思って画像検索などしてみると、この写真を発見。どうやら雑誌「モーストリー・クラシック」の取材時のものらしい。
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記憶は定かではないが、この服装は冒頭のインタビューのシーンと同じではないだろうか。「モーストリー・クラシック」の取材??? そうすると上記の発言は、日本での「事件」の直後のものなのかもしれない。確証はありませんが・・・。因みにこのファゴット奏者、ウルグアイ出身のグスタヴォ・ヌニェス・ロドリゲスで、プログラムに掲載されているオーボエの宮本文昭の文章によると、サイトウ・キネンで一緒に演奏したこともあるとのこと。尚、昨年の日本公演の指揮者であったグスタヴォ・ヒメノも、打楽器奏者としてちらっとこの映画で映っていて、コンサート終演後に仲間とスペイン語で何やら話している。

映画の中で取材されている一般の人々は、クラシック音楽が精神の均衡を保つために必要と語るブエノスアイレスのタクシー運転手、昔メニューインを聴いたと語る、子供に楽器を教えている南アの黒人男性や、太鼓を叩いて音楽に歓びを見出す貧しい少女、また、名家の出身ながらスターリン、ヒトラーによって運命を翻弄されたロシア人の老人など。特に、その表情が誠に印象的な南アの少女は、コンセルトヘボウとは直接関係はないものの、未だに各地に残る大きな貧富の差という現実の中で、音楽がいかに平和で平等なものであるかを示すことで、音楽の意義を再認識させてくれるのだ。
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数々の楽曲が出て来て、音楽ファンは当然楽しめるが、大詰めでロシアの老人がその長い人生でなめてきた辛酸を語り、そしてマーラーの「復活」交響曲のクライマックスが高らかに鳴り響くシーンは、音楽ファンならずとも、冷静ではいられないだろう。きれいごとではなく、音楽から勇気をもらうことがいかに感動的であるのか、平和ボケの日本にいてはなかなか実感できないことを、この映画を見る観客は実感することができるのである。

監督のエディ・ホニグマンは、ドキュメンタリー専門で、1951年ペルーのリマ生まれの女流監督だそうだ。あ、そうすると、映画の中でインタビューする女性の声は、この監督のものだったのか。山形国際ドキュメンタリー映画祭でも何度も賞を取っているらしい。なるほど、通りいっぺんのオケの紹介ではなく、上に書いたような、深いところでの人々にとっての音楽の必要性を描く点からも、優れたドキュメンタリー映画の制作者としての知見が光っている。ヤンソンスとかデュトワが、このオケの美点をいかに語ろうとも、それはクラシック音楽ファンという狭い層にしかアピールしないが、南アの貧しい少女が音楽に没頭するシーンは、より広い観客に対する強いメッセージになる。
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本当はヤンソンスのこととか、このオケの今後のことなどを書こうかと思ったが、映画を見て、それはやめようと思い直した。この写真が彼らの本拠地コンセルトヘボウだが、私の残りの人生において、またこのホールで音楽を聴くとき (できる限り多く実現するよう頑張ります)、この映画で描かれた人々のことを思い出さずにはいられないなぁ、と思うと、いつになくセンチメンタルな思いにとらわれてしまうのであります。
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by yokohama7474 | 2016-02-07 22:00 | 映画 | Comments(0)
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