ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン ブルックナー・ツィクルス第 2回 2016年 2月10日 サントリーホール

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バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリン (ベルリン国立歌劇場管弦楽団) のブルックナー・ツィクルスの第 2弾。曲目は以下の通り。
 モーツァルト : ピアノ協奏曲第 20番ニ短調K.466 (ピアノ:ダニエル・バレンボイム)
 ブルックナー : 交響曲第 2番ハ短調

この日は祝日の前日ということもあってか、初日よりは入りのよい状態で、客席には、ちょうど来日中の NHK 交響楽団首席指揮者、パーヴォ・ヤルヴィの姿も見られ、もし私の見間違えでなければ、金曜・土曜にブラームスのコンチェルトでヤルヴィ / N 響と共演するヴァイオリニスト、ジャニーヌ・ヤンセンの姿も見られた。私が常日頃唱えている、世界の中のクラシック音楽の中心都市のひとつである東京で、そのような世界トップクラスの音楽家が他の世界トップクラスの音楽家のコンサートにでかけるという事態は、大変意義深いことである。

モーツァルトのピアノ協奏曲第 20番は、以前も触れたことがあるが、2曲しかない彼の短調のピアノ協奏曲のうちのひとつで、その悲劇的な雰囲気は、優雅な音楽を求めていたモーツァルトの時代の貴族の聴衆には、まさに驚天動地の強烈な響きであったことであろう。だが今日我々は、この協奏曲が人類の音楽表現のひとつの可能性を切り拓いたことを知っている。おそるべきコンチェルトである。ところが今日のバレンボイムは、前日の 27番の平穏なコンチェルトと本質的に違いのない、温和な表情で演奏を始めた。モーツァルトの心情の赤裸々な吐露という様相はあまりなく、繊細かつ慎重なタッチであったと思う。これは明らかに円熟と言ってよいだろう。バレボイムが本質的にロマン的で重厚な音楽を志向するとすると、その方向とは若干異なる演奏であったかもしれないが、もちろん、頻繁に表れる濃密な音楽的瞬間に、この指揮者とこのオケならではの真実の響きを聴き取ることができた。

ブルックナーの 2番はあまり人気のない曲ではあるものの、なかなかに充実した内容である。番号順に彼のシンフォニーを聴いて行くことで見えてくることもある。その意味では、1番から続いているブルックナーの真摯な創作活動を辿ることができる今回の連続演奏会は、やはりなんとも貴重な機会なのだと思われる。私はこの曲が結構好きで、冒頭のチェロのメロディには一度聴いたら忘れない迫力とロマン性があるし、楽章の途中では、弦が朗々とではなくピツィカートで歌う箇所や、ほかの楽器が沈黙して木管だけで合奏するシーンもあって面白い、第 2楽章は、ブルックナーの後年のシンフォニーのあの壮大な緩徐楽章とは趣きが異なり、ホルンのつぶやきなどがちょっと第 4交響曲の第 2楽章を思わせる、昼下がりの倦怠 (?) のような感じで独特だし、スケルツォはまあいつものブルックナーだが、終楽章はまた、川の流れのように始まって音楽的情景が遷り変わる様子が、聴衆の予想を裏切る盛り上がりを見せ、終結部は比較的あっさりしている。総じて、若書きの魅力といったものがそこここに聴かれて、一般的な人気がないのも理解できるものの、知れば知るほどに興味の沸く作品だ。バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンの演奏は、ここでもパワー全開かつ微妙なニュアンスにあふれる素晴らしいもので、聴いているうちに、このシリーズはこの指揮者としてもブルックナー演奏の集大成という気概を持って臨んでいるのだろうという気がしてきた。大変いい音が鳴っている瞬間に、客席にいるヤルヴィの反応を見てみたが、沈思黙考しているかと思いきや、隣に座った連れの日本人女性にしきりと何事か話しかけていた (笑)。彼自身、9月には N 響でこのシンフォニーを振るので、そちらも楽しみだ。

このように、シリーズは上々の滑り出しだ。短期間にブルックナーの交響曲を連続で聴くことの意味も見えてきたし、連続もののドラマを見ているようにも思えてきた。毎回重い内容のドラマだが (笑)、存分に楽しみたいと思う。
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by yokohama7474 | 2016-02-11 07:42 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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