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ようこそ日本へ 1920 - 30年代のツーリズムとデザイン 東京国立近代美術館

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前回の恩地孝四郎展の記事の冒頭に、東京国立近代美術館 (自称 MOMAT) の正面に掲げられていた看板の写真を掲載したが、その看板にこの展覧会の表示も含まれていたのだが、恩地孝四郎展と同じ 2月28日まで、この自称 (しつこいな) MOMAT で開かれている。これは非常に興味深い展覧会なので、もし恩地孝四郎展に出掛ける方がおられたら、ついでにご覧になることをお奨めする。何が興味深いかというと、二つの点を挙げることができる。ひとつは、恩地が代表する大正から昭和のモダニズムの時代、ツーリズムがいかに喧伝されていたのか。もうひとつは、外国からの観光客が急増している現代の日本が、これから 2020年のオリンピックに向けて、あるいはその先にいかなることを考えるべきなのかについてのヒントである。過去と現在をつなぐ、極めてヴィヴィッドな展覧会なのだ。

展示品は主に日本人のユーラシア大陸旅行と、外国人の日本旅行を盛り上げるポスターの類によってなっている。1910年代、大正初期の国内時刻表の展示に始まり、すぐに目に入るのは、1920年代には早くも満鉄 (南満州鉄道) によるユーラシア大陸の旅行の宣伝が始まっている様子である。日露戦争後のポーツマス条約によってロシアから割譲された長春から大連までの鉄道が、満鉄の基礎になっている。考えてみれば日本人は、あの平和な江戸時代に富士講やお伊勢参りなどで国内旅行を楽しんでいた民族だ。戦勝気分もあって、ちょっと海を越えて旅行でもしてみようと思ったものだろうか。このポスターの下の方には、今で言うとさながら宇都宮 - 東京 - 横浜というように (?)、東京 - 大阪 - 下関 - 釜山 - 京城 - 平壌 、そして哈爾濱 (ハルピン) や旅順までの経路が記載されている。何日かかったのだろう。「朝鮮へ満州へ」って言われても、そんなに長く会社休めないって (笑)。
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これはさらに前、1911年頃の満鉄の宣伝で、英語表示だが和服の女性を美しく描いている。ということは、ヨーロッパから鉄道と船を乗り継いで日本にやってくる人たち向けのものだということだろうか。なんとも気の長い話である。
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展覧会にはさらに、大連ヤマトホテルや奉天ヤマトホテルの宣伝チラシが飾られていて興味深い。またこれは、町田隆要という人のデザインによる、1918 - 19年頃の大阪商船株式会社 (現在の商船三井の前身らしい) のポスター。図録を見ても解説がないが、ここで旗を振っているのは明らかに、日本の神たる天照大神であろう。そして彼女の乗る五頭の馬は、満州国の掲げた五族協和を表しているに違いない。満州国についての客観的評価が定まっているとはとても思えず、なかなかに簡単な問題ではないにせよ、スローガンとしてはダイナミックなものだと思う。
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そしてこれは、同じデザイナーによる同じ会社のポスターで、横綱太刀山を描いた 1917年頃のもの。この力士、調べてみると 1877年生まれなので、えっ?! なんとこのとき 40歳。確かにそのくらいの年に見えるし、この翌年には引退している。幕内通算 195勝 27敗で、史上最強の力士とも謳われているらしい。足元をよく見るとアメリカ大陸とヨーロッパにまたがっている。すごいスケールではないか。
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先の記事で恩地孝四郎が芸術面での西洋の先進的な表現をいち早く取り入れていることに感嘆したが、この時代、日本のクリエーターのデザインは驚くほど斬新だ。これは作者不詳であるが、1917年の東洋汽船のポスター。今見るとキッチュな感じもするが、アールデコの雰囲気もあって面白い。
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そしてさらに、日本郵船が、今でも使われている NYK の会社名をあしらったこのポスター。1932年と若干時代は下り、デザインもジョスタ・ゲオルギー・ヘミングという西洋人だ。これなど、私の大好きなあのポスターの巨人、カッサンドルを彷彿とさせるではないか。ご存じない方のために彼の代表作の画像を挙げておく。まさに 1930年代を彩る感性だ。
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この流れにおける当時の日本のポスターの最高傑作も展示されている。里見宗次の「Japan (車窓風景)」、1937年の作である。一時期このポスターはいろいろな展覧会で見ることができて、見るたびにワクワクしたものだ。久しぶりの再会に、心の中で日の丸が踊る。
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これも有名なデザイナー、杉浦非水の 1916年の作品。外国人に対して日本の魅力をうまく簡略化して伝えていると思う。
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これは 1939年の日本の観光マップ。「日本文化を知る 1ヶ月の旅」ということだ。大きな地図は東京近郊だが、右上には北海道の大雪山が紹介されている。うーん、その時代、どのくらいの数の外国人がこれを見て日本を回ったのだろうか。
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さて、この展覧会にはほかにも、様々なイメージをもって日本を PR するポスターや資料が展示されているが、たった一点、本物の人物の写真をあしらったポスターがある。原弘 (ひろむ) という、その後大きな実績を残したデザイナーの 1936年の作品。
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誰あろう、これは昨年大往生した、原節子ではないか!! 調べてみると彼女のデビューは前年の 1935年、15歳のときだ。このポスターが作られた 1936年には、天才と謳われた山中貞雄の「河内山宗俊」(今年の新春歌舞伎の記事参照) に出演している。原との因縁浅からぬ小津安二郎の畏友であったが、1938年、28歳の若さで戦地で病死する。彼の「人情紙風船」は私も大好きだが、この「河内山宗俊」は見たことがない。原はこの後、日独合作映画「新しき土」に出演し、シベリア鉄道を使ってベルリンにまで行っているので、このポスターもそのような時代の流れと関係があるのかもしれない。

この展覧会を見ていると、日本人の外国人誘致という点では、既に 100年も前からやっていることが未だに続いているような気もするが、実際のところ、本当に日本人が外国人に自分たちのよさを分かってもらおうとしているか否か、時々疑問に思うこともある。ドナルド・キーンが言うように、日本人は自分たちが特殊だと思いすぎているのかもしれない。まあ理屈はともかく、モダニズム時代の興味深い表現の数々を楽しむだけでも意義の大きい展覧会だ。

by yokohama7474 | 2016-02-14 01:05 | 美術・旅行