深水黎一郎著 最後のトリック

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昨年 6月にこのブログを始めてから読書の時間がほとんどなくなってしまっていることについては、以前にもぼやきを書いたが、気を取り直して、効率的に進められる読書の道を探ってはいる。もうすぐ読み終わる本も硬軟取り混ぜて何冊かあるが、ここで採り上げるミステリーは、出張を利用して読み進めたもの。先週の今頃から米国に出張であったため、機内での映画鑑賞 (往復で 3本見たが、劇場とはいろんな意味で環境が異なるので、私にとっての「映画鑑賞」の範疇には入れないようにしており、よってブログの対象ともしない) に加えて、一気呵成に読書する機会であるととらえ、出張直前に本屋で適当な本を物色し、これを選んだものだ。

上の写真の帯には「読者全員が犯人」とあって、題名が「最後のトリック」と来た。なになに、そうすると、この本を読む読者が殺人事件の犯人になるという、文字通りミステリー史上最後に残された究極のトリックを扱ったものであるのか。本の背表紙にあるあらすじにも、「ラストに驚愕必至! この本を閉じたとき、読者のあなたはかならず『犯人は自分だ』と思うはず?!」とある。最後が !! でなく ?! であるあたりに一種の保留を見る (笑)。だが、試してみようではないか。

この種の本を紹介するのは本当に難しい。ネタを明かさずに感想を言うことに腐心するからだ。よくこの種の本の最後に記載されている解説に、あらすじと引用が満ち満ちているのを目にするが、冗談じゃない。今その本を読み終えたばかりの人に、あらすじを教え、本文を引用してどうしようというのか。そんなものは解説を書く人の原稿用紙のマス目埋めに過ぎない。だから、原稿用紙を使っていない私はこう言おう。この本を閉じたとき、読者の私は『なるほど、読者を犯人にするという発想には工夫はあるけど、私は犯人ではないよ』と思ったのである。要するに、読み終わる前に作者の苦労が分かってしまうのである。それは、「読者が犯人」という (作中でも散々に不可能だと位置づけられている) 無理なトリックと、連続する挿話の涙ぐましい関連に読んでいる途中で気付くからである。ここで誓って言おう。私は誰も殺していない。いかにこの本の作者が凄もうと、私には殺したという意識がないのであって、そうである以上、この本を読んで心底恐ろしくなる読者は、残念ながらほとんどいないであろう。

もっとも、挿話の中に面白いシーンがいくつかあったことは事実。双子の姉妹が隔離された部屋でカードの柄を当てあうところなど、人物像もよく描かれていた。身なりを気にしない博士が、お互いに音を聞きあうことができない構造を表現するのに、「隣の部屋でシカゴ交響楽団がベルリオーズの『テ・デウム』を演奏しても気づかない」と発言する点など、クラシックファンとしてはニヤリである (私の知るところ、このオケはこの曲を録音したことはない)。また、天文学に関する詳細な記述にもリアリティがある。だが、このような大仰なトリックを大上段に構えて主題に据えた作品である以上、読み終えてしまえばそのあたりの印象は、あまり強く残っていないのが実情だ。

作者、深水黎一郎 (ふかみ れいいちろう) は、1963年山形生まれ。慶応の大学院文学研究科博士課程修了後、ブルゴーニュ大学とパリ大学で学んだという。これまでにメフィスト賞や日本推理作家協会賞短編部門を受賞している。なかなかの教養人とお見受けするので、究極のトリックなどより、人間世界に実際に存在しているミステリーを題材にされる方が興味深い作品になるのではないでしょうかなどと、勝手な感想を抱いております。

by yokohama7474 | 2016-03-06 21:37 | 書物 | Comments(0)
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