佐渡裕指揮 東京フィル 2016年 3月 6日 Bunkamura オーチャードホール

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日本のメディアにおいては大変に露出度の高い指揮者である佐渡裕。その大柄な体格も堅苦しさとは無縁の印象で、一般的な人気を博すのもむべなるかな。私も、1990年に彼の師匠であるレナード・バーンスタインの提唱で札幌を舞台に始まったパシフィック・ミュージック・フェスティバル (PMF) の初回に横浜アリーナで開かれたコンサートでチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」を指揮するのを聴いて、粗削りながらそのスケールの大きな音楽に魅了されたものだ。だが、それから既に四半世紀以上。正直なところ、私は佐渡の熱心な聴き手とは言い難かった。彼は 1961年生まれで現在 54歳であるが、ほぼ同世代にくくってもよい、大植英次 (1956年生まれ)、広上淳一 (1958年生まれ)、大野和士 (1960年生まれ)、そして上岡敏之 (1960年生まれ) らと比較しても、スケジュールをやりくりしてそのコンサートを聴きに行きたいかという点において、私は佐渡を必ずしも高い順位に置いていなかったのである。上記に並べた面々には、それぞれに強烈な個性が見受けられ、ちょっと大げさに言えば、命を掛けて音楽に身を投じていることを感じることができる。ところが佐渡の場合、バーンスタインが言ったという「ジャガイモを見つけた」という言葉のイメージそのままに、自然児然とした存在として刷り込まれてしまったきらいがある。ベルリン・フィルへの登壇は大きな話題となり、私もテレビのドキュメンタリーや実際の演奏の放送を見たが、厳しい自己鍛錬に明け暮れる芸術家というよりは、何か人をほっとさせ勇気づける、そのような存在としての認識を新たにしたものである。だが、以前のパリでのコンセール・ラムルー管弦楽団の立て直しや、昨年のウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督就任など、ヨーロッパでの活動を深めて来た彼のこと。今回は虚心坦懐にその音楽に耳を傾けてみたい。

今回は東京フィル (通称「東フィル」) のシーズン最後の定期演奏会とのことで、定期会員を対象にリハーサルを公開するというサービスがあった。会場のオーチャードホールの 1階席後ろ半分の開放であったが、客席はびっしり。500名ほどが詰めかけたことになる。恐るべし佐渡人気。さて、リハーサルに先立って楽団の広報担当者の女性がマエストロにインタビューする時間が 15分。今年創設 105年になる東フィルよりもさらに 4年古いウィーンのトーンキュンストラー管の音楽監督というポジションについての質問が大半。佐渡いわく、1987年にタングルウッドでバーンスタインの教えを受け、その後ニューヨークに行きたかったが、バーンスタインの薦めによってウィーンに移り、バーンスタイン自身を含む数々の名指揮者の舞台に 3年間接してよい勉強になった。だが、やはり自分は指揮者になりたくて勉強していたので、聴くだけでなく指揮をしたいと考えていたとのこと。楽友協会大ホールの客席後ろの立見席でもっぱら聴いていたが、今ではそこの指揮台に立っている。どちらにせよ立っているだけで、なかなか座らせてもらえないとこぼし、聴衆から笑いを取っていた。そしてその後 1時間、リハーサルが公開されたが、曲はこの日のメインのラフマニノフ作曲交響曲第 2番ホ短調作品27。これは演奏に 1時間を要する大作で、ラフマニノフ最良の陶然たるロマンをいっぱいに湛えた名曲だ。このリハーサルは、実際のところ、リハーサルというよりはゲネプロ (本番前の通し稽古) で、きっとその前に細かい練習はなされていたのであろう、冒頭から 15分くらいは全く注意もなく、オケを止めることもなく演奏が継続。そして一旦停まってしまうと、少し進んだところからすぐに再開し、またそのまま数分間継続。注意は一切なし・・・という流れでとうとう 1時間が過ぎてしまうのであるが、第 2楽章スケルツォの途中で 1回だけ、ファゴット奏者が「すみません」と演奏を中断。遠くてよく声が聞こえなかったが、どうやら、弦が快速にリズムを刻むのに対して木管がちゃんと遅れずに演奏できているかという点が心配だったようだ。何度か演奏を繰り返し、コンサートマスターや隣のクラリネット奏者が、「大丈夫だよ」と声をかける。だがその間指揮者は、それほど主導的な立場で進めているようには見受けられず、オケのメンバーに任せているようであった。全体にオケの各パートはよく鳴っていて、この調子なら本番でもかなり充実した演奏になりそうな気がしたものだ。
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そして本番である。今回、メインのラフマニノフの前に 2曲が演奏された。それは以下の通り。
 ジョン・アダムズ作曲 : 議長は踊る
 キース・エマーソン作曲 (吉松隆編曲) : タルカス

ジョン・アダムズはミニマル系の米国の現代作曲家 (1947年生まれ)。建国間もない頃の米国の大統領で同姓同名の人がいたが、多分子孫ではないと思う (笑)。私は彼の音楽が大好きで、セット物やオペラを含めて、あれこれ CD も持っている。今回演奏された「議長は踊る」は、オペラ「中国のニクソン」の一部として書かれた12分ほどのリズミカルな曲で、佐渡の持ち味にはぴったりだ。オケも迫力ある音をなかなかクールに決めて、胸がスカッとするような演奏であった。これがジョン・アダムズ。実際に響く音楽よりも真面目そうに見える。そういえば、彼の最大の問題作、オペラ「クリングホッファの死」を 2014年にメトロポリタン歌劇場で見たときには、警察がものものしい警戒態勢を敷き、実際の演奏中にも客席から過激なヤジが飛んで、ヒヤヒヤしたものだった。実際、彼の音楽の政治的メッセージには極端に危険な要素はあまり感じないが、決然とした意志をもって作品を発表し続けている作曲家だと言うことは言えよう。
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2曲目はちょっとユニークな曲で、ロックバンド、エマーソン・レイク & パーマー (略して ELP) のメンバー、キース・エマーソンが 1971年に発表したいわゆるプログレッシブ・ロック (略して「プログレ」) の代表作のひとつ「タルカス」を、現代日本の作曲家、吉松隆がオーケストラ用に編曲したもの。ELP は私にとっては最近まで、デビュー盤のその名もズバリ「エマーソン、レイク & パーマー」と、作曲家 = 評論家の諸井誠が絶賛した「展覧会の絵」のロック版のレコードを通してのみ知識があったが、ピンク・フロイドとかキング・クリムゾンとともに、プログレ自体にはもともと昔から漠然と興味があったので、この「タルカス」も、吉松版の CD が出たときに、もともとの ELP 版とともに購入した。タルカスとは凶暴なアルマジロのような架空の怪物で、以下が ELP 盤と吉松盤の、それぞれのジャケットだ。この間に世紀をまたいでいるという雰囲気も味わえよう (笑)。
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今回の演奏は、いかにも佐渡らしくリズムが躍動するものではあったが、正直なところ、もしこの演奏とオリジナルのプログレの演奏とどちらがよいかと訊かれれば、私は躊躇なく後者を選ぶ。近代オーケストラのスタンダード編成は種々のレンジの音が多様に鳴るようにうまくできてはいるものの、ドラムを通常の編成として含んではおらず、恐らくそこがいわゆる「クラシック音楽」と「ポピュラー音楽」の差であると思うのであるが、では、ポピュラー音楽をクラシック音楽として演奏したり聴いたりすることに、さて一体どのくらい意味があることであろうか。吉松によるとこの「タルカス」は、現代音楽におけるミッシング・リンクだそうであるが、うーん、そこをクラシックの編成で埋める必要がどのくらいあるであろうか。プログレはプログレとして楽しめばよいのではないか。因みに、私はあの美しい「朱鷺によせる哀歌」以降、吉松隆の大ファンであり、彼のプログレへの思いはよく分かっているつもりである。その私にして、この編曲にはいささか戸惑い気味なのである。今回の聴衆の拍手にも、少なからずためらいが聴かれたように思う。

そしてついにメインのラフマニノフ第 2交響曲である。上記の通り、本番前にほぼ通し稽古を聴いていた関係で、この指揮者とオケのコンビの目指すところには、ある程度好感を持ったまま全曲を聴き終えたのであるが、さて、作曲者はここで何を聴衆に訴えたかったものであろうか。以前の記事でも書いたが、映画「バードマン」でこの曲は短いながらも非常に効果的に使われており、つまらない日常を超えて何か素晴らしい超現実的なことが起こることの象徴のようであった。
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そもそも世の中ではラフマニノフは未だに「ハリウッド的作曲家」と見下されているようだが、真実は、ラフマニノフ調の音楽をハリウッドが勝手に模倣しただけのこと。作曲者の思いはとてもそんな甘ったるいものではなかったに違いない。だからと言ってラフマニノフをブルックナーのように演奏する必要はないだろうが、作曲者がこの第 2交響曲に込めた万感の思いには、傾聴に値するものがあると思う。まさに畢生の大作であると思うのである。今回の演奏では、大変に見通しがよく分かりやすい音楽が提示されていたと思うし、充実した演奏であったと思うが、あともう一歩、本当にもう一歩、ナイーヴな作曲家の内面を思わせるものがあればもっとよかったのになぁと思う。このような大男の内面のナイーヴさ。
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それぞれの指揮者にいろんな持ち味があるので、このような音楽を入れ替わり立ち代り聴くことのできる東京は、本当にすごい街であると改めて思う。この記事をご覧の方には、もしかしたら違う意見の方もおられると思うが、それは大変に健全なこと。同時代に生きる者たちとして、それぞれにとってかけがえのない音楽を見つけようではありませんか。私も佐渡さんの次の演奏会に期待します。

by yokohama7474 | 2016-03-07 23:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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