鎌倉 杉本寺、覚園寺

鎌倉でひとつ、好きな寺を挙げろと言われたどうするか。建長寺や円覚寺という著名な寺、あるいは大仏のある高徳院、または長谷寺。そういった寺が候補になるものと思う。だが、もし仏像が好きな人なら、なんと言っても覚園寺 (かくおんじ) と答える人もそれなりに多いのではないだろうか。鎌倉市二階堂、鎌倉宮から細い道を左奥に入っていったところにある寺で、その雰囲気は鎌倉時代そのまま。薬師三尊像とその眷属、十二神将像の合計 15体が揃って国の重要文化財だ。だが、観光客を野放図に迎え入れることはなく、一日 5回、決まった時刻に係の人の案内でのみ境内及び堂内を拝観できるという硬派な寺である。私は過去に 3 - 4回ここを訪れているが、前回は多分 15年くらい前。そろそろ行かないと、心に垢の溜まった状態になってしまう。

だが、せっかく鎌倉を訪れるのだ。時間の許す限り、ほかの寺にも詣でよう。ところがあいにく、東京から車で鎌倉に向かう途中で事故や故障車による渋滞が発生し、あまり時間がなくなってしまった。このようなときは、短い訪問時間で済む寺を選ぼう。そうだ。朝比奈インターから覚園寺に向かう途中に、私も過去に何度も行ったことがある、ちょうどよい寺がある。その名は杉本寺。実に天平時代、光明皇后の命により行基菩薩が自ら十一面観音を刻んで創設したという、鎌倉で最も古い寺である。入り口はこんな感じ。
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そして門をくぐり登って行くと、このような石段が現れる。善男善女の往来によって石段が擦り切れてしまったため、現在では登ることはできないが、その苔むした佇まいにいにしえの時を感じることができる。
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そして本堂。
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あちこちに掲げられているのぼりにある通り、十一面観音を祀っているのだが、この古色蒼然たる本堂の内部に入り、最奥部にある神秘的な空間に身を置く人は、普段宗教心がなくとも、敬虔な思いにとらわれるであろう。写真撮影は許可されていないが、厳重な錠のかかった扉の奥には三体の十一面観音像が安置されており、わずかにそのお姿を拝むことができる。うち二体は国の重要文化財。有名な仏像であるが、今ネットで写真検索してもなかなか出てこないので、私の手元にある本から撮った写真を掲載する。右側の仏様はふくよかで、左側の仏様は凛とした雰囲気だ。
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さて、残る一体は実は行基作と言われるものであるが、この像を安置する堂の前で馬を乗り回すと落馬するという言い伝えがあり、蘭渓道隆 (建長寺を開いた高僧) がその像に覆面をかぶせたところ、落馬がなくなったということで、今でも覆いがかけられているということだ。願わくばこの三体をつぶさに拝したいものであるが、実は本堂の奥にこのような収蔵庫のような鉄筋の建物が出来ており、そこに収蔵されているので、文化財管理上の理由があることが分かる。なんでも、毎月 1日と 18日には収蔵庫の扉の前まで入れて頂けるようなので、一度来てみたい。
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さてそれからメインの覚園寺である。土曜日というのに、14時の拝観ツアーの参加者は、私を含めてたったの二名。一時期の暖かさから後退して底冷えのする日、しかもこのような山の中となれば致し方ないか。さて、覚園寺の拝観システムについての貼り紙はこのようなもの。大人料金が改定されているが (笑)、500円です。貴重な自然と文化財に触れる 50分の拝観料としては、充分価値ある値段だと思う。
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入り口はこのような感じ。最近きれいになったように見えますな。
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門を入ると手入れされた庭の向こうにお堂が見える。これは愛染明王を祀る愛染堂だ。
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ここでツアー開始時刻まで待つわけであるが、実はこの愛染堂にも素晴らしい仏像が何体か祀られている。これも、普通にはあまり写真を手に入れることはできないと思うが、私の秘蔵の本から、白黒ながら貴重な写真をご紹介しよう。まずこれが本尊の愛染明王。文化財指定はないようだが、鎌倉時代の堂々たる仏像だ。近くの寺の本尊であったものが、明治の廃仏毀釈を経てこの寺に移されたもの。
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また、この堂に祀られている阿閦 (あしゅく) 如来は、鎌倉十三仏のひとつに指定されているらしい。素朴な作りで、一見薬師如来のようだが、解体修理をすると阿閦如来と書かれていた由。
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もうひとつ、珍しい仏様がおられる。鉄製の不動明王像。関東三不動のひとつ、伊勢原市の大山寺 (おおやまでら) の本尊、鎌倉時代の鉄製不動明王を思わせるが、一回り小さい。なんでも、大山寺の像を作る前に試しに作ってみた不動明王であるとのこと。可愛らしいお顔ではないか。
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さてそれから、久しぶりに本堂で薬師三尊とその眷属、十二神将と再会。有名な仏像であるが、やはりネット検索ではよい写真が出てこないので、また書庫から別の本を取り出して撮影してみました。神韻縹渺たるお姿とは、まさにこのこと。数百年の時を経て現代に伝えられたこと自体が奇跡と言ってもよいだろう。
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この寺はもともと 1218年に執権北条義時によって創建された大倉薬師堂が始まりで、その後北条時貞が元寇の再来がないように本格的な寺院となった。その後足利尊氏からも手厚く扱われ、この堂の天井には、尊氏直筆と言われる誓願文が嵌め込まれてている。この薬師三尊、創建当初からの御本尊と思っていたのだが、今回案内の方に聞いたところでは、基本的には室町時代の作品で、鎌倉時代のものと言えば、ただご本尊の首だけだということだ。ただそれにしても、冷たい収蔵庫ではなく木造のお堂に鎮座まします三尊の存在感は、ちょっとほかにないほどだ。光背や台座などをつぶさに眺めるのも興味つきない。月光菩薩の光背の天女の動きが大きくて、まるで西洋の天使の姿のようであったり、また、三尊ともに台座の連弁が大きく開いていて、いかにも像の重みを支えているように見える。本当に幾星霜を乗り越えてきた歴史の重みがひしひしと感じることのできる特別な空間だ。

また、左右に並ぶ眷属の十二神将も室町時代の作で、解体修理によって仏師の名も判明したとのこと。だが一体だけ、戌年の守り神のみ、仏師の名前が出なかったという。この像だけはほかよりもほんのわずか背が低いこともあり、創建時の鎌倉時代のものではないかという説もあるらしい。
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もうひとつ、今回初めて知ったことには、堂内向かって右側に安置されている阿弥陀如来には何かいわれがあるらしい。これも廃仏毀釈の際にほかの寺から移されてきたもので、鞘阿弥陀と呼ばれている。県指定文化財であるようだ。
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この像は川端康成が終生愛したということ。彼はもともとここ鎌倉の二階堂に住んでいたし、実は自殺前日、自宅のある逗子からわざわざやって来て、この仏様を一心不乱に見つめていたらしい。日本が生んだ天才の内面に何かを訴えかけた仏様である。

さて本堂を出てから、近年移築されてきた昔の庄屋の家とか、鎌倉独特の岩を穿って作った礼拝場所であるやぐらなどの案内を受け、そして、この寺の誇るもうひとつの重要文化財、黒地蔵を拝観。厳しいながらなんとも端正なお顔で、襟を正したくなりますね。素晴らしい。
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ところで案内の方は、境内の植物についてもあれこれ説明して下さるが、私はその分野には全くの門外漢としか言いようがなく、ここでは説明を省略します (笑)。だが、ひとつだけ覚えたので、ご紹介しよう。帰る間際に、案内の方から 1枚の葉をもらった。なんでも、なぎという木のもので、非常に強くてなかなか切れないことから、昔の人たちは、娘の嫁入りの際に、縁が切れないようにと、そっとこの葉を忍ばせたとのこと。それが転じて、女性のお守りとされているらしい。ふーん、初めて聞いた木の名前であるが、帰宅したら早速家人に渡しておこう。タダでポイント稼ぎ (笑)。きっと霊験あらたかだと思う。
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短い時間であったが、鎌倉らしい情緒に触れることができて、心身ともにリフレッシュしました。

by yokohama7474 | 2016-03-13 00:11 | 美術・旅行 | Comments(0)