井上道義指揮 NHK 交響楽団 2016年 3月12日 鎌倉芸術館

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以前は藤沢とか横浜南部に住んでいたことがあり、その頃には鎌倉には結構遊びに行ったし、また、鎌倉芸術館のホールにも何度もコンサートを聴きに行ったものだ。今回、久しぶりにその鎌倉芸術館に出掛けることになった。それは、上のチラシを目にしたからである。指揮者井上道義が、あの NHK 交響楽団 (通称「N 響」) を振る。あまり実現していない顔合わせのようである。そしてタイトルは「いざ、鎌倉への道」となっており、今回が最終章とのこと。鎌倉芸術館はなかなかよいホールだが、私がとりわけ気に入っているのは、中庭に作られた竹林だ。人工のものゆえ、背の高い竹を支える木枠が下の方に作られているが、竹が風に揺れているのを眺めていると、鎌倉らしい品格を感じることができる。
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そうして、今回の曲目はこれだ。

 ブルックナー : 交響曲第 8番ハ短調

このブログでも今年に入って既に 2回、この曲の演奏をご紹介している。ひとつは 1月に開かれた、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮読売日本交響楽団 (ちょうど今日、3月13日に NHK E テレで放送される)。もうひとつは 2月に開かれた、ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン。そして 3月がこれだ。この曲は、正面から生と死を見つめた作品として、西洋音楽の中でも遥かなる高みに位置する。そんな曲を毎月聴いてよいものかという気がするが (笑)、やはりこれは聴いてみたい。なぜなら、井上は 2014年に咽頭がんの手術を行い、半年後に復帰してからは、そんなそぶりも見せないような活躍ぶりであるものの、大病を克服したその精神力には感服する。激しい痛みやいろいろな不便、家族の協力等々あっての復帰劇であったろう。きっと病気をする前とした後では、彼の中で何かが変わっているに違いない。正直なところ、私のこれまでの井上体験は、玉石混交という感じがあったのだが、年初に BS で放送された、演出の野田秀樹と組んだ「フィガロの結婚」が、なんとも清澄な素晴らしい演奏であったので、このブルックナー畢生の大作でも、きっと聴きごたえのある指揮をしてくれるに違いないと思ったものだ。
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これまで知らなかったが、この井上と N 響の鎌倉シリーズは 2011年から開かれていて、すべてブルックナーの交響曲をメインとした演奏会であった。最初に 1番、そして 7番、4番、9番と来て、最後にこの 8番に至ったらしい。私は今回、初めてこのシリーズを聴くが (そして今回が最終回であるが)、開演前に指揮者がひとりでプレトークを行い、これが滅法面白かった。もともとこの井上という指揮者、なんともユニークなキャラクターであるが、その語り口には、飄々とした中にもピリリと辛いものがあり、通り一遍の無難なトークとは一味もふた味も違う。今回彼が語るには、病気を経験し、既に死を恐れるという気持ちがなくなってしまった。但し死に際は大事で、極力ほかの人たちに迷惑をかけずに死にたい。「あれ、いなくなっちゃったね」という死に方が理想で、最近その秘策を思いついたが、ここで言うことはできない (笑)。また、宗教心の薄い日本はもちろん、ヨーロッパでも宗教的なものを尊いと思う気持ちがなくなって来ているのは問題だ。人と人の関係が希薄化している。自分は子供の頃に教師や母親に厳しく教育され、体罰も受けたが、それは自分を思ってのことであったことが分かっていたので、苦痛ではなかったと。それから、今年の 11月だかに、ショスタコーヴィチ 12番をメインとする曲目で彼は N 響定期に登場するが、今回のような特別演奏会ではなくこのオケの「定期演奏会」に出るのは、実に 30数年ぶりとのこと (私の手元で今分かるのは、1981年 5月にネルソン・フレイレと共演してラフマニノフのピアノ協奏曲 2番や、ドビュッシーの「海」等を指揮していることだ)。それは N 響と喧嘩別れしたからであるが、実際に喧嘩をした相手方は既にこの世になく、自分はどっこい生きている。この若返りした N 響との演奏は楽しみである。等々、プレトークにしては内容濃すぎませんか (笑)。あ、それから、現在は作曲にも取り組んでいて、岡本太郎を題材にしたタロウというオペラを書いている由。初演の予定は分からないが、なかなか面白そうではないか。

ともあれ今回の演奏、逃げも隠れもできない大変な曲目での 90分。全体のテンポは遅めであったが、重く引きずるというよりは、ひとつひとつ音楽的情景を確かめながらの丁寧な行程であったと思う。圧巻は第 3楽章アダージョで、これは、いわゆる老巨匠の、涙なくしては聴けない深遠な演奏とは一線を画した、充分な生命力を保ちながら、感情の川とも言うべき巨大な音楽を、非常にくっきりと描いた演奏であった。その一方で、無駄な力は抜けており、演奏する間にもオケとの信頼関係ができあがって行くように感じられた。すべての楽章で最高の音が鳴っていたということではないにせよ、そもそも音楽の醍醐味とは、その場にいて同じ空気を吸っている演奏者と聴衆が、一緒になって何か共通の体験をするということであるとすると、別に音の鳴りだけがすべてではない。全員の向かう方向が感じられることが重要だ。井上はもともと、話すほどにはその音楽は過激ではないが、今回の演奏では、天下の大曲に対するオーソドックスな態度に好感が持てた。彼は今年 70歳になるが、指揮者としてはいよいよこれからだ。機会あればなるべく聴くようにしたい。

ひとつ思い出したことには、もう 10年以上前だが、私はこのマエストロと一度電話で話したことがある。とある音楽家の方が携帯で電話をし、それを私に回してくれたものであったが、その時私は、しばらく前に彼が東京交響楽団を指揮して演奏したオルフの「カルミナ・ブラーナ」が無類に面白かったので、その話をしたのだ。この演奏、熱狂ぶりもさることながら、指揮者自身が担当した日本語字幕も大変面白く、劇場的な感興を覚えたので、「例えばあのような公演を 1ヶ月連続でやれば、結構お客さんが入ると思いますがどうでしょうか」と私は尋ねたのであった。どこの馬の骨とも知らない男の勝手な思いつきにマエストロは真面目に応対して頂き、「まあ、日本じゃダメだろうねぇ」と、いつものおどけたような言い方でおっしゃったのである。青臭いことは言わず、斜に構えたように見えるが、その音楽への取組は真摯で、人一倍情熱を持っている人だと思う。今回聴いたブルックナーのような自然体の演奏が、これからどんどん深まって行くことを期待したい。

by yokohama7474 | 2016-03-13 01:10 | 音楽 (Live) | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2016-03-14 09:56 x
私は野田秀樹は欠かさず観に行くので、去年のフィガロは二回行きました。井上さんへの印象が変わりました。それで、金沢のオケとの公演も行きましたが、確信に変わりました。解釈への納得性が高まりました。最初に高校一年の時に勧められて聴いてから気になる指揮者でしたが、ようやく好きになりました。
Commented by yokohama7474 at 2016-03-14 21:31
> 吉村さん
野田秀樹ファンでいらしたのですね。ちょっと意外です (笑)。いろいろな音楽家との巡り合わせというものもありますから、何かのきっかけでこれまでと違う聴き方ができるなら、それはまた音楽ファンの特権と言えるのではないでしょうか。
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