ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏 東京ステーションギャラリー

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もう随分以前のことになる。バブルの頃だったかと思う。ある画商が、これから人気が出て値段の上がる画家として、ジョルジョ・モランディ (1890 - 1964) を挙げていた。私がこの画家を知ったのはその発言によってであった。一言で要約すれば、二度の世界大戦を経験した激動の時代に生きていながら、ひたすら瓶や容器などの物言わぬ静物を描き続けた人。その執拗な繰り返しに、何やらただならぬ雰囲気がある。
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彼はイタリア人。ボローニャを故郷とし、その 74年の生涯で故郷を離れたことがなかったという。普通画家なら、せめてイタリア国内のあれこれの美術を研究し、研鑽を積むものではないか。いやもちろんモランディとても、過去の巨匠を研究するため、ローマやヴェネツィアやフィレンツェやミラノを訪れてはいる。だが、彼はそれらの土地に居を構えたことはないし、時代の潮流には徹頭徹尾無関心で、自分のスタイルを異常なまでに貫いたのであった。ただセザンヌのことは大変尊敬していたらしい。そうだ。私はセザンヌを近代絵画の神と崇める人間であり、このモランディには並々ならぬ興味を抱いてきた一因はそこにある。なので、この展覧会は大変楽しみであった。今年は日伊国交樹立 150年だが、このモランディ展はそれとは関係ない模様。うーん、ここでも国と国の関係などという些事 (?) に興味のないモランディらしい取扱いだ (笑)。

この展覧会で最も早い時期の作品は、1919年。モランディ 29歳だ。この年号を見て思うのは、第一次大戦終了直後ということ。人類が経験した前代未聞の大惨事。さぞや若い画家の魂に深い傷跡を残したことであろう。
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えっ、これ? なんともきっちりした静物画で、世界の悲劇とここまで無縁でよいのだろうか (笑)。これは、確かにセザンヌの影響が見て取れるが、もう少し線がきっちりとしており、対象物とのある種の距離において、既にモランディの個性の刻印がはっきり捺されている。結局初期の頃から、彼の静物画探索は始まっていたのである。だが面白いのは真ん中にあるガラスの瓶だ。この後モランティが試行錯誤を続けて行くうちに、このような瓶そのものの色は失われて行き、白なら白に塗りつぶされることになるのだ。
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1930年代から 1950年代にかけて、同じような構図の作品をいくつも描いているが、この長い首の白い瓶は、もともと透明なガラスの瓶であるが、画家が乳白色の顔料を満たして色をつけたらしい。透明を避け、ただモノとモノの関係性にのみ心を砕いて、彼の静物画制作は続いて行った。それにしてもこの静謐さはどうだろう。何の変哲もないものであるが、でもそこには何かがあるのを感じる。いわば、神が宿ると言ってもよい作品群であろうと思う。描く対象の配列は異なれど、必ず影は左から右に向かって描かれているのも、何やら不思議な不変の節理を思わせる。
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もう少し複雑な構図 (?) のものもある。やはりここでも、モノがそこにある実在感とでもいうものが漂っている。ここには何らの人間的な要素や比喩の入り込む隙もない。明らかにセザンヌの静物画とは異なる領域である。セザンヌの場合、世界を再構築するような達観した視線があるが、モランディの場合は、ただ忍耐強く、瓶や容器の並び方から日常とは違う世界を見ているように思われる。
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彼は、かたちの面白さを追求していたのであろうか。このようなデッサンを見ると、隙間なく接した容器たちが、ひとつの塊のように思われる。ということは、上で見た静物画とは、少し趣を異にしていると言えるであろう。まぁ、多様性があるとまでは言えないが (笑)。
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それから面白かったのは、このような、隙間を遊びの要素としてしまう試みだ。ふと気づくと、制作年は 1950年代から 60年代。おっと、知らない間に第二次世界大戦も終わってしまっているではないか。
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このような長い瓶を描いた作品もある。瓶にこだわった映画監督には小津安二郎がいるが、彼の芸術はモランディの美学に通じるところがあるように思う。もちろん、小津がモランディを知っていたとはとても思えず、共通するメンタリティの芸術家であるというだけなのであるが。
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さて、今回の展覧会で興味深かったのは、モランディの手になる風景画である。1920年代から 60年代までに亘る期間の作品がいくつか展示されている。なるほどここでも、「世界は円錐、円筒、球に還元される」と唱えたセザンヌの影響があるように思われる。だが、静物画と同様、あたかも自らが神であるがごとく世界を再構築したセザンヌとは異なり、モランディの場合は、じっと飽くことなく世界を見て、そのありように思いを馳せているようだ。換言すれば、彼の風景画は、大きな静物画と呼んでもよいのではないだろうか。うーんでも、やっぱり素晴らしいなぁ。できるものなら一点くらい自分の手元に置いて、飽かず眺めていたい。
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もうひとつ特殊分野がある。花の絵である。これらはモランディが知人に贈ることを目的として描いたものであるらしく、禁欲的に静物画を描き続けた画家の、意外な一面を見せてくれる。心なしか、静物画を描くときよりは少しリラックスしたようにも見えるが、いかがであろうか。それにしても、こんな絵をもらった人は嬉しかっただろうなぁ。
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情報に溢れ、知らないところでストレスを溜めてしまいがちな現代の我々には、時にはモランディの作品のように上質な静謐さに触れることが必要なのだと思う。実は冒頭に掲げたポスターに使われている作品は 1955年作の静物画であるが、これはあの故ルチアーノ・パヴァロッティのコレクションであるそうだ。現在ではボローニャのモランディ美術館に寄託されているらしい。あの黄金の声の持ち主が、この絵を見て心の平安を感じたと想像してみるのも楽しいことだ。まさか、画商の推薦で、投機目的で購入したわけではない、と信じたい(笑)。
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Commented by PineWood at 2016-04-10 08:04 x
小津安二郎監督とメンタリテイで通じ合うというのは同感です。小津監督の家族の日常生活を淡々と何度も変奏曲のように描く姿が画家モランデイとオーバーラップします…。そう言えば小津もまた画家志望であり、俳句や絵コンテやタイトルデザイン、文字、卓袱台の上の容器にも拘ったデザイナーであったが。激動の時代を生きながら直接その激動を作品に表さずに秘めているあたりも共通するところかも知れない。何処と無くユーモラスなスタイルも♪
Commented by yokohama7474 at 2016-04-10 09:07
> PineWoodさん
コメントありがとうございます。私は以前から小津とモランディのメンタリティに共通性があると思っていたので、ご賛同頂いて嬉しいです。芸術家には戦争等の社会的な激動に敏感に反応する人とそうでない人がかなり明確に分かれますよね。よい悪いではなく、それぞれの芸術家に世界に対する見方があることだと思っています。また機会あればお立ち寄り下さい。
by yokohama7474 | 2016-03-21 10:41 | 美術・旅行 | Comments(2)