水戸室内管弦楽団 (一部 小澤征爾指揮) 2016年 3月29日 サントリーホール

e0345320_23570509.jpg
水戸市の水戸芸術館を本拠地とする水戸室内管弦楽団は、1990年に設立された、日本を代表する室内管弦楽団である。メンバーは一流のソリストや内外のオケの楽員が中心で、サイトウ・キネン・オーケストラとも重複するメインメンバーも多い。なので、この言い方には語弊はあるかもしれないが、この水戸室内管弦楽団はミニ・サイトウ・キネンと考えれば、さほど間違っていないであろう。小澤征爾はこのオケとは設立時から深い関係を保って来たが、水戸芸術館の初代館長は彼の恩師の音楽評論家、吉田秀和。今小澤は同館の第 2代館長であり、同時にこのオケの芸術監督でもある。今回は第 95回定期演奏家の東京公演である。

小澤は病を克服してからここ数年、このオケとベートーヴェンの交響曲を演奏、録音してきており、既に 2・4・7・8番がリリースされている。今回は第 5番。一般に「運命」というあだ名で知られるが、最近では大仰なこのあだ名ではなく、ただ単に 5番と呼ばれることも多い。今回のポスターやプログラムもそうなっていて、私としては大いに同感だ。もともと小澤の指揮するベートーヴェンは、昔ながらの重々しいドイツ風ではなく、非常にすっきりとしたスタイルであって、それ自体の賛否は以前からあるものの、既に齢 80、自らの信じる道を進んで来た信念の人であるから、純音楽的に鳴ってくれるはずであり、大仰なあだ名は不要であろう。このベートーヴェン・シリーズ、私は 2014年 5月に水戸まで 7番を聴きに行ったが、その際には予想通り、集中力とオケとの呼吸が素晴らしいと思ったものである。

さて今回の演奏会、曲目は以下の通り。前半の 2曲は指揮者なし。後半のベートーヴェンのみ小澤の指揮。最近の小澤の演奏会では、最初から最後まで振り通すことが体力的に難しいらしく、残念だがやむを得ない。
 シベリウス : 悲しきワルツ (劇音楽「クオレマ」作品44から)
 モーツァルト : クラリネット協奏曲イ長調K.622 (クラリネット : リカルド・モラレス)
 ベートーヴェン : 交響曲第 5番ハ短調作品67

会場に入ると 1階ロビーに何やら献花台がある。
e0345320_00220952.jpg
これは、先ごろ 74歳で逝った水戸室内管弦楽団のティンパニ奏者、ローランド・アルトマンの死を悼むもの。彼は 1975年からウィーン・フィルの首席ティンパニだった人らしい。そしてこのような告知が。
e0345320_00344873.jpg
開演前、ホール内の照明が落とされ、オケのメンバーとともに小澤が入って来る。このときに残念だったのは、客席から盛んな拍手が起こったことだ。もちろん、上の「お知らせ」には、「演奏終了時の拍手はご遠慮ください」とはあっても、「演奏者入場時の拍手はご遠慮ください」とはない。また、この告知を見逃した聴衆もいただろう。だがそれにしても、照明が落とされて、演奏家が聴衆に挨拶せずに舞台に入ってくる場合に、盛大に拍手するのは常識的にいかがなものか。あるいは館内放送で説明すべきであったろうか。ともあれ、ここで演奏されたのは、サイトウ・キネンのテーマとも言われる (斎藤秀雄が厳しく指導した曲である)、モーツァルトのディヴェルティメント K.136 の第 2楽章。小澤は通常でもこの曲を極めて遅いテンポで演奏するが、今回は追悼演奏であり、さらに感情移入が深い。彼は以前、この種の機会にはほぼ毎回、バッハの G 線上のアリアを演奏していたが、いずれにせよ、彼がよく口にする「音楽による (宗教ではない) 祈り」は、曲のスタイルを超えて胸を打つものだ。

そして、指揮者なしで演奏された 2曲。最初のシベリウスの「悲しきワルツ」は、よくアンコールで演奏される小品であり、カラヤンの愛奏曲でもあった。低弦のピツィカートで静かに始まり、滑らかなメロディに移行して、その後加速する部分もあるので、指揮者なしで演奏するのはかなり難しいと思う。だがさすが水戸室内管、この曲でコンサートマスターを務めた竹澤恭子 (世界一流のソリストである!!) のもと、よく息のあった美しい演奏であった。最初の曲から追悼の雰囲気が、少し変形しながら続いているような感じ。次に演奏されたモーツァルトのクラリネット協奏曲は、作曲者晩年の傑作であり、この曲の第 2楽章も、あまりに美しすぎて追悼の音楽 (あるいは天国の音楽) にふわさしいと言ってよいだろう。ソリストは、このオケのクラリネット奏者であるリカルド・モラレス。本職は名門フィラデルフィア管の首席クラリネットだ。正直なところ、超絶技巧を聴かせるタイプではなく (またもちろんこの曲には超絶技巧は必要ないわけだが 笑)、びっくりする音楽ではなかったが、安心して聴くことができた。
e0345320_00492850.jpg
そして後半のベートーヴェン 5番。休憩終了時にふと 1階席の数列前を見ると、いつも見かける小澤ファミリー (夫人と、征良、征悦の姉弟) が後半から臨席だ。そして、実はホールに入った瞬間から SP の存在に気づいていたので、誰か VIP がおいでになることは分かっていたが、皇太子夫妻かと思いきや、なんと、天皇・皇后両陛下が、やはり後半の小澤の指揮だけを聴きに来られたのだ。何年かに一度はこのようなことがあるので特に驚かないし、いつも客席総立ちで両陛下に拍手を送ることになるのも、何やら一体感が醸成され、穏やかな気分にもなるので、大変結構なことである。以前ロンドンでチャールズ皇太子とカミラ妃臨席のコンサートがあったときには、あのひねくれものの英国人たちも一応全員立っていましたからね (笑)。日本なら当然こうなるでしょう。

小澤はこのオケを指揮するときは以前からそうなのだろう、指揮台がない。そして、なぜだか使わない譜面台が置いてあって、そこには何も乗っていない。指揮中に座れるように、座面が横長で足がしっかりした椅子が置いてあり、その横にはパイプ椅子。その横長の椅子は結局使われず、終始立っての指揮であったが、楽章の間 (第 3楽章と第 4楽章は続けて演奏されたので、使用回数は 2回だけだったが) には小澤はパイプ椅子にどっかり座り、ヴィオラの店村眞積からペットボトル入りの水を受け取ってゴクゴクやるのである。今の彼にとって、指揮をするとはそれだけの重労働なのであろう。
e0345320_00572347.jpg
小澤はこのベートーヴェン 5番を過去 3回録音している。キャリアの初期に RCA にシカゴ響と。活動全盛期にテラークにボストン響と。そして、旧フィリップスに全集の一環としてサイトウ・キネンと。私はもちろんすべて所持しているが、今回の演奏に先立ち、その最初の 2枚を CD 棚から久しぶりに取り出して事前に聴いていた。今回の生演奏まで含めた結論としては、いずれの演奏も、テンポを含めた演奏スタイルには大きな変化はないと思う。ただ今回の演奏は、コントラバス 2本という、室内管弦楽団でもとりわけ小さいサイズの編成であり、自然、管が浮き出る効果があるので、響きが新鮮である一方、やはりこの曲の鬼気迫る音の畳みかけという点では、多少の不満があることは否めない。弦はどこを取っても美しくてニュアンスたっぷり。だが半面、最近の古楽器演奏などで耳にする鋭い切り込みはあまり聴かれず、現代におけるベートーヴェン演奏の難しさを思い知るのである。だがもちろん、この半世紀、世界のトップで活躍して来た大家が、流行に右顧左眄する必要はなく、彼の信じるベートーヴェン像に敬意をもって聴き入るべきだと思う。ひとつ言えることは、小澤の身振りがそのまま音になっていたように感じたことで、これは彼の全盛期の指揮ぶりと同じである。私には何よりそれが嬉しかった。終演後、すぐにスタンディングオヴェーションが始まり、両陛下を含む聴衆全員がまさに総立ち。小澤は楽員全員と握手を交わし、オケはすぐに退場した (両陛下の警備上の問題もあったのかもしれない)。このような情景は、まさに小澤の演奏ならではであろう。

小澤は、4月初旬には久しぶりにベルリン・フィルの指揮台に復帰し、これもまたベートーヴェンの、「エグモント」序曲と合唱幻想曲を指揮する。私は彼が前回ベルリン・フィルを振った 2009年 5月のメンデルスゾーンの「エリア」は現地で聴いたが、今回はベルリンまで飛んで行くことはできない。だが今回の調子なら、ベルリンの聴衆たちに楽しんでもらえるだろう。この小澤という人、もちろん自分には大変厳しい芸術家だが、その人当たりのよさに、天性のピュアな精神を見ることができる点、ほかの指揮者たちと違うのだ。今回のプログラムに、亡くなったティンパニ奏者ローランド・アルトマンへの追悼の言葉が掲載されているのでご紹介しよう。

QUOTE

ローランはまっすぐの人だった。音楽に対しても私達友人に対しても。
そしてやさしい人だった。
ウィーンで家族テニスによんでくれ、ロッテ (夫人) の手料理。想い出がたくさんつまってる。
元気でニコニコしてたのに何と悲しいことか。

UNQUOTE

なんという真実の想いに溢れた、心に沁みる言葉であろう。素朴で飾らないこの言葉、いわゆる日本的なエラい人には到底無理な、透明な感性であると思う。ちなみに、「まっすぐの人」という表現は原文のままで、「まっすぐな」ではない。

最後にもうひとつ。たまたまこのコンサートを聴いた日の昼間に、あるカメラ会社のショールームを通りかかったところ、昭和を彩った様々な文化人・芸能人の写真が展示されていて、その中に若い頃の小澤の姿を発見。1963年だから、実に今から 53年前。
e0345320_01314083.jpg
ちょうどバーンスタインの下でニューヨーク・フィルの副指揮者をしていた頃であろう。まだ 20代の若者である。実はこの表紙に使われた同じ写真が別に展示されていて、こちらでは背景を見ることができる。
e0345320_01341486.jpg
これは明らかにカーネギーホール。聴衆の姿はなく、また、燕尾服は着ているものの、音楽をするときの彼の集中した動きのある姿勢には見えないから (笑)、コンサートでないのはもちろんリハーサルでもなく、この撮影用の特別なセッションであったのだろう。時の流れは様々なものを変えて行くが、変わらないものもあるものだ。これからも小澤征爾の情熱を感じ続けて行きたい。

by yokohama7474 | 2016-03-30 01:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)