マスネ作曲 歌劇「ウェルテル」(指揮 : エマニュエル・プラッソン / 演出 : ニコラ・ジョエル) 2016年 4月 3日 新国立劇場

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フランスの作曲家、ジュール・マスネ (1842 - 1912)。いくつかそこそこ知られた管弦楽曲もあるが、最も有名な彼の作品は、ヴァイオリン独奏による「タイスの瞑想曲」だろう。夢見るような旋律が大変美しく、このマスネという作曲家の本質的な資質のよく表れた曲だ。これは実は彼のオペラ「タイス」の間奏曲である。この作曲家、25曲ものオペラを作曲しており、19世紀後半から 20世紀初頭にかけての重要なオペラ作曲家であったのだ。この「ウェルテル」は彼のオペラの中でも、「マノン」と並んで有名な作品であろう。新国立劇場では既にこの 2作に加え、「ドン・キショット」(あの名バリトン、ルッジェロ・ライモンディ主演であった) も既に上演済であり、ヴェルディやワーグナーだけではなく、フランス物にもなかなかの上演実績を誇っているわけだ。しかも今回の「ウェルテル」は、2002年上演のプロジェクトの再演ではなく、新たな演出だ。未だ 20年に満たない歴史しかない新国立劇場が、既にして「ウェルテル」の 2つめのプロダクションを舞台にかける意義を確かめたい。

この「ウェルテル」という作品は、その題名で明らかな通り、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を原作としており、大変劇的で美しい旋律に溢れた名作である。しかしながら、日本ではそれほど多く上演されておらず、なんと上記の 2002年の新国立劇場での前回の上演が原語での初演であった由。私自身はそれは見なかったのであるが、1999年 7月にマドリッドのテアトロ・レアルで、ジュリアス・ルーデル指揮、ラモン・ヴァルガス主演の舞台を見た。また 2009年には、大野和士が手兵のリヨン歌劇場管弦楽団との来日公演で演奏会形式で上演したのも素晴らしい音楽的事件であった。

今回の上演、私にとって最も興味があったのは指揮者である。1933年生まれ、今年 83歳になる現代最高のフランス音楽の解釈者、ミシェル・プラッソン。長らく音楽監督を務めたトゥールーズ・キャピタル管との数々の録音に加え、日本にはドレスデン・フィルと来日したり、単身で N 響を何度か振りに来ているし、二期会でも「ファウストのごう罰」「ホフマン物語」などで素晴らしい音楽を聴かせてくれた名匠。・・・ところが、会場にはこのような貼り紙が。
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主役を演じる予定であったテノールのマルチェロ・ジョルダーニとともに、指揮者も交代になってしまっている。転倒による骨折とは、やはり高齢によるものなのだろうか。心配である。そして代役の指揮者の名は、エマニュエル・プラッソン。
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これはどう見ても息子であろう (笑)。主役と指揮者の交代は随分前から判明していたらしく、プログラムには既に両者の名前も写真も経歴も印刷されている。ま、親子で指揮者という例は珍しくないが、親父のキャンセルを息子が穴埋めするというケースは珍しい。この際、期待を持って臨もうではないか。

この作品のあらすじは至って簡単。ウェルテルという若い男がシャルロットという女性に一目ぼれする。だがシャルロットにはアルベールというフィアンセがいて、彼と結婚してしまう。そして絶望したウェルテルはピストルで自殺。これだけだ。なんという純愛。なんという悲しい情熱。振られた腹いせのストーカー殺人などが人々の気持ちをいやーな気分にさせることも多い現代の日本。たまにはこのような青春の清い情熱に触れて、新鮮な気持ちで人生の意味を見つめ直すのも悪くない。いやもっとも、死んではいけません。失恋くらいで、何も死ぬことはない。私は以前マドリッドでの舞台を見たあとに原作も読んだが、書簡形式のロマン主義的な作品だ。文字で綴る文学という分野なら、情熱の発露という点の表現形態として、最後が主人公の死でも成立しよう (この作品の発表当時、影響を受けて自殺する若者が多かったらしいが、それは 18世紀後半から 19世紀前半の、欧州全体がのべつ戦争に巻き込まれていた時代であったことによる厭世観とも関係しているのでは?)。でもオペラともなると、少し工夫が必要だろう。朗々と歌うだけでは作品にならず、管弦楽がロマン主義的感性を表すべく雄弁に語る必要が、どうしてもあると思う。そしてこのマスネの「ウェルテル」は、まさにそのような曲なのだ。マスネはワーグナーの一世代下だが、楽壇の巨人ワーグナーがパリでも大きな影響力を持っていた時代に生きた。ここで頻繁に聴かれる甘美な音だけ取ってみればワーグナー的ではなくとも、音がドラマを作るという基本構造は、やはりワーグナーなしには考えにくいだろう。

その点、今回のプラッソン息子 (という言い方は失礼だが・・・)、素晴らしい成果を挙げていたと思う。オーケストラは東京フィルであったが、弦楽器がつややかにドラマを歌いあげると同時に、木管楽器が素晴らしい積極性を発揮していて、なんとも表現力豊か。プラッソンの指揮は決して要領がよいようには見えなかったものの、非常に丁寧にオケに指示を与えていて、音楽の大きな流れを創り出していた。これだけ振れるのなら、父の辿った道をさらに超えて、フランス音楽の使徒になってもらいたい。

主役のウェルテルとその相手役シャルロッテは、結果的に両方ロシア人となり、どちらも今回が新国立劇場デビューだ。ウェルテル役のディミトリー・コルチャックは、既に国際的なキャリアを持つテノールで、今回の「ウェルテル」に加え、今年秋のゲルギエフ指揮のマリインスキー歌劇場の来日公演では、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」のレンスキーを歌う。ともに抒情性が重要な役であるが、今回のウェルテル役を聴く限り、レンスキーも大変楽しみだ。最初に舞台に登場したときには少し声量がどうかとも思われたが、歌い進むうちに、今日これだけ美しいリリコもそうはいないだろうと思われた。有名な第3幕のアリア「オシアンの歌」も実に素晴らしく、よくぞこれだけの代役を探し当てたものだ。
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普通テノールの相手方はソプラノが多いわけであるが、ここではメゾ・ソプラノだ。今回シャルロッテを歌ったエレーナ・マクシモワは、やはり世界の主要オペラハウスに出演している歌手で、今回は演技も含めて難しい役柄を、素晴らしい表現力で演じた。来シーズンにはこの新国立劇場で「カルメン」を歌うとのこと。かなり期待できると思う。
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シャルトッテの夫となるアルベールを演じたのは、オーストリア人のアドレアン・エレート。おっと彼は、先日の小澤征爾音楽塾での「こうもり」で、アイゼンシュタインを飄々と演じていたあの人ではないか。ここでは一変して、落ち着いた雰囲気のイヤな奴を見事に歌っていた。あ、もっとも、このオペラのひとつの特色は、本物の悪人がひとりも出てこないこと。このアルベールにしても、ウェルテルの横恋慕に対して、立派に大人の対応ぶり (?) だ。誰も悪人がいないからこそ、青春の情熱が巻き起こす悲劇が、悲劇たらしめられるのであろう。
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その他日本の歌手の皆さん (児童合唱も含め) それぞれに見事で、大変見応えのある舞台であった。歌、オケ、ともに国際水準をクリアした素晴らしい舞台でした。そして演出を担当したのは、フランス人のニコラ・ジョエル。
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このオペラでは、あれこれ余計なことをやられると音楽が活きて来ず、作品のよさを殺してしまうと思うが、その点彼の演出は非常にオーソドックスで無駄な動きもなく、練達の演出であったと言えるであろう。第1幕は木洩れ日の差す屋外、第2幕はアーチの下の半屋外、第3幕は家の中で完全な屋内、そして第4幕は大量の本が並ぶ、天井裏とおぼしきウェルテルの窮屈な部屋で、徐々に狭いところに追い込まれて行くウェルテルの心理をそれとなく暗示していたと思う。以前、藤原歌劇団がグノーの「ロメオとジュリエット」を上演したときも彼の演出であったことを後で知ったが、実は今回、会場でプログラムに彼の名を発見したときに、妙なデジャヴを覚えたのだ。それは、上に記した通り、私がこれまで唯一舞台でこの作品を見た機会であるマドリッドでの公演プログラムを、事前に自宅で引っ張り出して見ていたからだ。
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そこで、休憩時間に早速自宅にいる家人にメールを打ち、そのプログラムのスタッフ表の写真を送ってくれるように依頼。そして送られてきた写真にはしっかりと、ニコラ・ジョエルの名が。
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正直なところ、そのときの演出はよく覚えていないが、今回のものとは別だったと思う。だが同じように無駄のないオーソドックスな演出であったように記憶する。2回しか実演で見ていないオペラの演出家が 2回とも同じとは、妙なご縁もあるものだ。ついでにご紹介すると、スペインと言えば、このウェルテルを当たり役とした偉大なテノールがいた。そう、アルフレード・クラウスだ。このときのプログラムにはクラウスが演じるこの役の写真が小冊子として添付されている。スペイン語なので何が書いてあるが分からないが、この上演の 2ヶ月後、1999年 9月にクラウスは 71歳で死去。当時病床にあった国民的テノールへのオマージュであったのだろうか。
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またこのときマドリッドで主役を歌ったメキシコ人のラモン・ヴァルガスは、ヴェッセローナ・カサロヴァと組んだ録音で名唱を聴かせている。
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このように、実際に見た舞台からあれこれの連想が飛んで、それがまた作品体験に跳ね返ってくる。私にとってそれほど身近でないはずのこのオペラに、様々な発見がある。そこで最後に、作品中で気になるセリフがあるのをご紹介しよう。それはこのオペラに出て来る脇役カップルが口にする言葉だ。名前はブリュークマンとケートヒェン。この作品のあらすじを書いた文章にも、ほとんど出てこない名前だと思うが、実はこの二人、ウェルテルとシャーロッテの分身であるらしい。それは、上記のヴァルガスの CD の解説に出て来る説明で、そういえば確かに、第 1幕でウェルテルとシャーロッテが出会う場面では仲睦まじく、そして別離に至る第 3幕では、男が女を探しているのだ。これらのキャラクターはオペラの創作であろうと思うが、面白いのは、第 1幕で彼らが口にする「クロプシュトック」という言葉。実はこれは、原作ではシャーロッテの呟くセリフ。そして、この響きのよい言葉は、ゲーテよりも一世代上の、18世紀ドイツの詩人の名前なのである。この詩人への敬意を通して二人は情を通わせるという設定だが、またまたこの CD の解説によると、当時の若者にとってこの詩人の名前は、1960年代の若者にとってのビートルズに匹敵しただろうとのこと。もともと原作はゲーテの実体験 (人妻シャルロッテ・ブフへの恋情と、友人カール・イェルーザレムのピストル自殺) が下敷きになっているが、さしづめこのクロプシュトックという名前も、ゲーテ自身の青春の中にあった偉大な憧れであったのであろう。ところでこの詩人の名、クラシックファンにとっては既におなじみのはず。あのマーラーの第 2番「復活」の終楽章、あの感動の合唱によって歌われる歌詞は、クロプシュトックによるものなのである。18世紀に書かれた詩であるが、マーラーの作曲した時代は既に 19世紀後半。文化の諸相に見える絶えざる変化と、時代を超えた不変のものが、ここにも共存している。

そんなわけで、いろいろ考えるヒントをもらった公演となった。新国立劇場の意欲的な上演に改めて拍手を送りたい。

Commented by desire_san at 2016-04-04 22:39
こんにちは。
私もマスネのオペラが大好きなので、いつもながら音楽と演奏をよく聴き込んで書かれているブログを熱心に読ませていただきました。今回はウェルテル役のディミトリー・コルチャックは甘く当面感のある超えてウェルテルの純な愛を歌い上げ、シャルロッテ役のエレーナ・マクシモワのアリアなども大変魅力がありました。

私もマスネの傑作「ウェルテル」の感想と、マスネの音楽のイタリアオペラやワーグナーとは違う魅力について書いてみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。トラックバックも大歓迎です。




Commented by yokohama7474 at 2016-04-05 19:50
いつもコメントありがとうございます。ブログ拝見致しました。マスネの音楽は劇的で美しく、ドイツ物ともイタリア物とも違う独特なものですね。またお立ち寄り下さい。
by yokohama7474 | 2016-04-04 00:41 | 音楽 (Live) | Comments(2)