フランソワ・グザヴィエ・ロト指揮 東京都交響楽団 2016年 4月 7日 サントリーホール

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あれは 2007年のことだったと思う。ロンドンで弁護士と面談していて、なぜか音楽の話になった。彼が言うには、休暇で米国に遊びに行って、ロサンゼルス・フィルの素晴らしい演奏会を聴いたと。指揮者名を問うた私に、しばらく考えてその弁護士が紙に書いた名前は、"François-Xavier Roth"。苗字を「ロト」と発音していた。へー知らないなぁ、フランス人だろうけどスペイン風の響きもあるかなと思い、どうせ大したことのない指揮者が間違ってロス・フィルの指揮台に立ったのだろうと決めつけ、その場では適当に話を切り上げたのである。さて、そして数年。恐らく日本では、ストラヴィンスキーの「春の祭典」初演 100年で沸いた 2013年頃からであろう、彼の新譜 CD が軒並み話題となったのは。ま、とはいえ、所詮はマイナーなクラシックの世界。別に彼について書かれたブログが炎上することもなかっただろうし、連日テレビのバラエティ番組で彼の新譜について芸能人が興奮して語るということもなかったろう。だが、2003年に彼自身が結成したオリジナル楽器 (曲の書かれた時代の楽器) による楽団、「ル・シエクル」(世紀という意味) と録音した「春の祭典」が 2014年の日本レコードアカデミー賞の、しかも大賞 (いわばグランプリだ) を受賞。つまり、その年に発売されたクラシックの CD の中で最優秀と、日本の批評家たちが評価したということだ。既にその前、毎年ゴールデンウィークに開かれるラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに、2008年に手兵ル・シエクルと共に参加しているほか、その後 SWR バーデン=バーデン・フライブルク交響楽団と来日したり、また N 響に年末の第九を振りに来たり、昨年は読響を振ったりして、来日を重ねている。だが私は、ああなんという怠慢か愚鈍な男か。そのいずれにも足を運ぶことなく、また、クラシック界で話題騒然の彼の CD を 4枚購入しながら、最近に至るまで 1枚も開封することすらなかったのである。そして今回、この東京都交響楽団 (通称「都響」) との演奏会に接して、前非を深く悔いるに至った。こんなに面白い演奏会は、そうそうあるものではない。以下、何がそんなに面白かったのか、書いてみよう。
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フランソワ・グザヴィエ・ロト。1971年パリ生まれのフランス人である。あまり若くは見えないものの、まだ今年 45歳という若手指揮者だ。経歴を調べても、なんとか指揮者コンクールで優勝したという記述は見当たらない。2010年音楽之友社発行の「最新 世界の指揮者名鑑 866」(物故者を含めて 866人の指揮者を紹介した本) を開いても、彼の名前は見当たらない。それだけ過去数年で急速に評価を高めた人なのである。現在、SWR バーデン=バーデン・フライブルク交響楽団の首席指揮者であるとともに、ケルン市音楽総監督として、同地に所在するケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とケルン・オペラを率いている。それにくわえ、自身が結成したレ・シエクルとともに、いわゆるバロックの古楽演奏だけでなく、20世紀前半のレパートリーを意欲的に演奏・録音しているのである。

今回は都響に初登場であろうか。曲目は以下の通り。

 シューベルト (ウェーベルン編) : ドイツ舞曲 D.820
 リヒャルト・シュトラウス : メタモルフォーゼン
 ベートーヴェン : 交響曲第 3番変ホ長調「英雄」作品55

先月行われたローター・ツァグロゼク指揮の読響のコンサートでも、似たような組み合わせの曲目が演奏され、「メタモルフォーゼン」を含む演奏会については私も記事を書いた。そう、クラシックファンなら誰でも知っている通り、この「メタモルフォーゼン」は、ベートーヴェンの「英雄 (エロイカ)」交響曲の第 2楽章、葬送行進曲がテーマとなっている。だが、今回のプログラムの凝り方はそれだけではない。プログラム冊子に寄せられているロトのメッセージを要約しよう。いわく、プログラム作成は、組み合わせによって曲が異なって聴こえる機会を作ること。ベートーヴェンが「エロイカ」を作曲したときには未来を見ていただろう。一方、シュトラウスが「メタモルフォーゼン」を作曲したときには過去を見ていただろう。未来へ向かう視点と過去へ向かう視点という異なる時間軸が、今回のプログラムには存在する。加えて、最初のドイツ舞曲は、近代の作曲家ウェーベルンが過去のシューベルトの作品への敬意を持ってモダンにオーケストレーションしたゆえに、ひとつの作品の中に 2つの時間軸がある。・・・なるほど、なんという慧眼。それがどのように音になるのであろうか。

舞台に現れたロトは、指揮棒を持たずにすべて譜面を見ながらの指揮であった。だが、最初の曲とメインの「エロイカ」ではヴァイオリンの左右対称配置を取ったにもかかわらず、「メタモルフォーゼン」ではそうではなく、舞台に向かって左手側に第 1ヴァイオリンと第 2ヴァイオリンを混在させ、真ん中にチェロ、そして右側にヴィオラ。その奥にコントラバスが並ぶという変則的な配置。この曲は敗戦間近のドイツで老巨匠が書いた痛ましい音楽なのであるが、副題に「23の独奏弦楽器のための習作」とある。そう、これは弦楽合奏のための曲ではなく、23人の弦楽ソリストの集合体のための曲なのだ。昔のカラヤンの 2度の録音以来、耳になじんだ曲ではあるが、実演に接したことはさほど多くない。だが今回のロトの演奏で初めて曲の副題の意味を理解することができた。CD で聴いているだけでは分からないし、生演奏でも座席によっては視覚で確認しにくいだろうが、この曲の各パートは、本当にそれぞれが独立しているのだ。例えばコントラバスは 3本だが、3人揃って弾くところもあれば、1人であったり 2人であったり、またその 2人も、組み合わせが異なる場合がある。その他のパートでも、いわゆる首席奏者でない人だけが演奏する箇所もあるのだ。そして最後に現れる「エロイカ」の葬送行進曲のテーマを奏するのは、ヴァイオリンでもチェロでもなく、コントラバス。言うまでもなくベートーヴェンの時代には、この楽器がメインのメロディを演奏することなどないので、原曲の「エロイカ」には出てこない音に集約するのが、このシュトラウスの作品なのだ。ロトの指揮は決して流れがよいわけではないが、この曲のいわばモザイク状の構造を、面白いようにあちらこちらで次々取り出してみせる。聴いているうちに、この切れ切れの音たちは、断ち切られた希望、あるいはバラバラになってしまった文化のようなものではないかと思うようになった。だがその破片たちには、それぞれが夕日を反射しているかのような美しさがある。だからこれは、ただ感傷に沈んで行くような曲なのではなく、滅び行くものが持つ深い美をも表しているのであろう。ロトの指揮によって、初めて曲の本質に触れたような気がしたのだ。

順番が逆になったが、最初のドイツ舞曲も、表面上はなんとも流れの悪いギクシャクした演奏で、そうであるがゆえに、永遠の前衛作曲家アントン・ウェーベルン (1883 - 1945) の目指した極小世界の本質を表すものであろう。いつもながら都響の演奏能力は高く、聴き手をはっとさせるロトの際立った解釈を、見事に音にしていた。そういえばウェーベルンは、戦後の混乱の中、米兵の誤射によって1945年に 61歳で命を落としている。シュトラウスの「メタモルフォーゼン」も戦争末期の所産であるし、また「エロイカ」も、ナポレオン戦争と密接な関係がある。つまりこのプログラム、戦争のイメージも見え隠れしているのだ。これは若い頃のウェーベルン。神経質そうだが、実は非常に感情豊かな人でもあったようだ。
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そして今回のメイン、ベートーヴェンの「エロイカ」だが、この何百回聴いたか分からない曲に、実に新鮮な思いを持って接することができたのは、なんとも嬉しい驚きであった。以前、作曲家の諸井誠だったと思うが、面白いことを言っていた。ベートーヴェンが交響曲第 2番からこの第 3番へ大きな飛躍を達成したことは間違いないが、よく聴いてみると、スフォルツァンド (局部的に音を大きくすること) の多用という点で両者は共通すると。確かに 2番は明るく楽しい曲だが、目まぐるしく動く音楽の中に、痙攣的なアクセントが頻繁に出現する。一方この「エロイカ」は、冒頭の 2つの和音が、いわばその継続の象徴のようであり、全曲においては多くの箇所でやはり痙攣的なアクセントが現れる。確かに雄大なスケールを持つ、音楽史上前代未聞の大作交響曲にはなったものの、曲想にはそのような過去のしっぽが潜んでいる。今回の演奏では、そのような指摘を思い出したのだ。ロトの指揮からは、ありきたりの劇的な交響曲は出現せず、鳴っている音の細かいところまでくっきりと表された、またもやモザイクのような構成が見えるようであった。もちろん迫力に不足することはない。ヴィブラートは最少であったがゼロではなく、音の持つ重みは充分に重視されていたと思う。音の情景は多様で、同じ音型も、立ち現われる度に違う新鮮さを持って迫ってくる。また、終楽章主部開始間近の、通常は弦楽合奏が無窮動的な音形を刻む箇所が、弦楽四重奏 (第 1、第 2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのそれぞれソロ奏者のみ演奏) になっていた。この解釈、以前も聴いたことがあるような気がするが、思い出せない。そのような出版譜もあるのだろうか。

ところでこの曲の終楽章は、ベートーヴェン自身、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」にも使用しているテーマによる変奏曲であるが、人類に火をもたらした英雄としてのプロメテウスへの思い入れは、いかにもベートーヴェンらしいと語られることがある。だが今回の演奏で私が想像したのはむしろ、火を盗んだため、ハゲタカに内蔵をむしばまれるという拷問を受けたプロメテウスが、その再生能力によって内臓を復元させることで、果てることのない拷問に苦しんだということだ。そう、英雄プロメテウスの繰り返される苦しみ。テーマが展開するにつれて少しずつ音楽的情景が変わるこの曲は、もしかするとそのような意図で作られているのではないか。ふとそんなことを考えたりした。これはルーベンス描くところのプロメテウス。
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私は音楽の専門家でもなく、演奏家でもないので、音楽の聴き方が情緒的かもしれないし、思い込みも激しいかもしれない。でも、ただどの音が正しいとか美しいとかいうことだけで音楽を語るよりも、演奏家の表現力や曲の文化的背景などを、充分に味わいたい。そのような人間にとって今回のロトの演奏は、凡百のオーケストラ演奏にはない、知的興奮を煽る箇所が多く存在しており、そうは出会えない刺激的なコンサートになったのであった。かくなる上は、心して手元にある彼の CD を聴き、最初に彼の名前を手書きで教えてくれた英国の弁護士に、改めて感謝するとしよう (笑)。ロトと都響の演奏会は、来週 4/12 (火) には、今度はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と「火の鳥」全曲という垂涎のプログラムが組まれている。残念ながら私はそれは聴きに行けないが、今後の彼の来日公演には、万難を排して出かけるつもりである。


Commented by やすぷんた at 2016-04-08 12:50 x
終演後3時間でこれだけの考察ができるのですね!

英雄に関しては全く同感で1楽章あたりでは朝比奈さんの演奏が懐かしいなとか感じていたのですが、2楽章あたりでアーノンクールや、鈴木秀美さんらのやりたいことがはっきりとわかったような気がして俄然楽しくなりました。

音楽は仕掛けや遊びに満ちていて、それを伝えようとするロトのアプローチに都響がしっかりと応えていたと思います。

4楽章の弦楽四重奏部分?では私はシェーンベルク編曲のブラームスのピアノ四重奏曲を連想しました。

ウェーベルン、リヒャルトシュトラウス、シェーンベルク達は古典が大好きだったのではないかと思わせる今回のプログラム構成に脱帽です。

終演後友人と話していたら、もしかしたらヤルヴィN響の第9も同じようなアプローチだったのにオーケストラの反応が異なるということなのかもしれないと指摘されました。

なるほどアーノンクール世代の好きなアプローチが明確にあるんだなと感じた私も初ロト体験でした。

ストラヴィンスキー堪能してまいります。
Commented by yokohama7474 at 2016-04-09 01:09
> やすぷんたさん
コメントありがとうございます。私の場合、時間が経つと忘れてしまうことが多いので、できるだけ記憶が新鮮なうちに記事を書くように心がけています。但し、いつも書き出すまでは自分でも何をどう書こうか決まっておらず、ほぼ毎回アルコールを摂取しながら、思うに任せて即興で書き連ねております (笑)。ベートーヴェンの演奏は、本当に多様になりましたね。ただ、アイデアだけ先行するのではなく、聴いていて面白いとか感動するとか、そういった演奏は結局スタイルに関わらずやはり「よい演奏」なのだと思います。ロトのストラヴィンスキー、絶対期待できますよね!!
by yokohama7474 | 2016-04-08 00:55 | 音楽 (Live) | Comments(2)