東京・春・音楽祭 ワーグナー作曲 楽劇「ジークフリート」演奏会形式 (マレク・ヤノフスキ指揮 NHK 交響楽団) 2016年 4月10日 東京文化会館

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このブログの記事でもご紹介した、3月16日のリッカルド・ムーティ指揮による日伊国交樹立150周年記念オーケストラのコンサートによって開幕した今年の東京・春・音楽祭。一般的な知名度は分からないが、大変規模の大きい音楽祭で、上野地区を舞台に 50以上の大小のコンサートが開かれる催しなのである。私自身、全体のプログラムを見ながら、できればあれもこれも聴きたいなぁと思うのであるが、なかなか時間の捻出には苦労し、どうしても優先順位をつけざるを得ない。そして今年も、音楽祭の目玉のひとつであるこのシリーズだけは聴きに行かないわけには行かない。2014年に始まったワーグナーの大作オペラ、「ニーベルングの指環」の第 3回目、楽劇「ジークフリート」の公演である。指揮を取るのは 1939年生まれ、今年 77歳を迎えるポーランドの名指揮者、マレク・ヤノフスキ。
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この音楽祭では、ヤノフスキと、名実ともに日本を代表するオーケストラ、NHK 交響楽団 (通称「N 響」) との協演で、毎年 1作ずつ、このワーグナーの「指環」(全 4部作) を演奏しているのである。但し、通常のオペラの舞台上演ではなく、オーケストラがステージに上がり、歌手がその前で出入りしながら歌う、演奏会形式だ。舞台の奥には大きなスクリーンがあって、CG 映像が流れているが、抽象的なものではなく、実際の情景をなぞらえたもので、本当に最小限の情報が音楽に加わるのみである (その演出は田尾下 哲が担当。彼は先般、神奈川県民ホールでの黛敏郎の「金閣寺」を演出していた)。ワーグナーは、スタイルを確立して以降の自らの作品を、歌劇ではなく楽劇と名付けたが、その意味は、オーケストラが主体で奏でられる音楽によって劇が進行するからである。よってここには、アリアと呼べるものは基本的に存在しないし、歌手が拍手喝采を受けるためのオケの休止もない。始まったら最後、1幕 70 - 90分の間、停まることなく音楽が渦巻き、歌手の肉体は歌唱とともに演技に酷使され、聴いている方も否応なくそこにつきあうこととなる、ワーグナー独特のド S な世界。だからこそ、このような演奏会形式でじっくり音楽と対峙することも、作品の真価を知るための有効な手段となる。但し、オケが優秀であればの話だが。その点、その歴史において数々のドイツの名匠 = 極め付けのワーグナー指揮者を指揮台に頂いて来た N 響ほど、この舞台にふさわしい日本のオケはないであろう。しかもこのシリーズ、必ず客演コンサートマスターを迎えている。それは天下のウィーン・フィルのコンサートマスターで、日本でもよく知られたライナー・キュッヒルだ。
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先にこの点だけ書いてしまうと、これまでの 2回にも増して、今回のキュッヒルの貢献は大きかったと思う。彼の豊麗かつ独特のゆるさのあるソロ・ヴァイオリンは、まさにひとりウィーン・フィル。この「ジークフリート」では、森のささやきのシーンでソロ・ヴァイオリンが入るが、その変わらぬつややかな音にほれぼれした。もちろん、ソロにとどまらず、この休憩を含めて 5時間を要する超大作のオーケストラ・パートを、素晴らしい力で彼が牽引したのだ。N 響が燃えていたのは、もちろん一義的には指揮者の功績であろうが、このキュッヒルの貢献も大であったことは明らかだ。実際、今回の演奏によって、このオペラ全体を通じて弦楽器は本当に休む間もないことが視覚によって実感できたし、改めて「指環」のオーケストラ・パートの重要性を再認識した次第。そしてヤノフスキの的確かつ、時にごくわずかテンポを揺らす有機的な指揮に、N 響が本当によくついて行ったと思う。素晴らしい名演であった。

歌手陣も、過去のプログラムと照らし合わせてみると、アルベリヒのトマス・コエニチュニー、ヴォータン (さすらい人) のエギルス・シリンス、ファフナーのシム・インスン (彼は「ワルキューレ」ではフンディングだった) 等、シリーズに一貫して出ている人たちが多い。特別に有名な歌手は今回は出ていないものの、経歴を見ると、それぞれに世界的に活躍している。特に題名役のアンドレアス・シャーガーは、バレンボイムの指揮のもとスカラ座で「神々の黄昏」のジークフリートを歌った実績があり、チョン・ミョンフンが東フィルで「トリスタンとイゾルデ」を採り上げたとき (私はどうしてもチケットが入手できずに断念したが)、トリスタンを歌ったらしい。昨年末のバッティストーニ指揮東京フィルの第九もよかったが、今回も素晴らしい出来で (最後にはさすがにほんのわずかの息切れを感じたものの、人間だから仕方ない 笑)、これからますます活躍の場を広げることであろう。
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とにかく、演奏の質は非常に高く、このシリーズでも白眉であったと思われるが、聴衆の方にも余裕が見え、さすが東京のワーグナーファンは耳が肥えているなという感じ。これはきっと演奏者も感じたことではないか。よい演奏では演奏者と聴衆の間に相互作用があると思うが、今回はそれが実際に起こったと思う。例えば、第 3幕開始前、オケのチューニングを待つタイミングで、誰かが 2回立て続けに大きなクシャミをしたのだが、会場のあちこちから笑いが漏れたのだ。それだけ聴衆もリラックスしていたということだろう。演奏の成功がそのような空気を生み出していたとも考えられる。

さて、指揮者ヤノフスキであるが、今年と来年、ワーグナーの聖地、バイロイトでこの「指環」を指揮することになっている。確認していないが、多分バイロイト・デビューであろう。昨年 8月に私が現地で見た、フランク・カストルフ演出、キリル・ペトレンコ (ベルリン・フィル次期音楽監督) 指揮の演奏は、このブログでも現地で記事を書いたが、まあそれはそれは、衝撃の演出であって、申し訳ないが私はもう二度と見たくない (笑)。ペトレンコの降板は、音楽監督を務めるミュンヘン・オペラのスケジュールとの兼ね合いという説明であるようだが、本音のところは演出に辟易したということがあっても全く不思議ではない。ただ、そんな演出ではあったがオケの鳴りには凄まじいものがあって、さすがバイロイトと唸ったものだ。今年からヤノフスキが指揮者となっても、やはり同じように説得力溢れる音楽と、呆れるような過激な演出という組み合わせになるのであろう。このヤノフスキにとって、「指環」は特別な曲であるはずだ。というのも、彼のレコーディング・デビューがこの作品であったからだ。未だ東独時代のシュターツカペレ・ドレスデンを指揮してデビューした無名の若手指揮者であったが、やはり「指環」の録音で名を上げたショルティの再来という宣伝もあったと記憶する。だが、その録音が世界を席巻したというイメージはなく、ヤノフスキはどちらかというと地味な指揮者として現在に至っている。だが、今にして耳にする彼の指揮ぶりには、もはやドイツの巨匠の雰囲気が漂っているのである (ポーランド人だが若い頃からドイツで生活している)。従って、これからが本当に楽しみな指揮者と言えるだろう。今回会場で売られていた CD で、現在の手兵であるベルリン放送響とも、この「指環」全曲を含む数々のワーグナーを録音していることを知った。実際、バイロイトのライヴ盤以外で 2種類の「指環」の全曲盤を録音した指揮者は、バレンボイムを例外とすると、ほかにいないのではないか。素晴らしいことである。

ちょっと思い立って、レコード芸術誌が毎年付録として作成している、その年に国内で発売された録音・録画をすべてまとめた「レコード・イヤー・ブック」を引っ張り出してみた。私の手元には 1980年以降のものが揃っているが、最近では年々薄くなっているのは致し方ない (笑)。ヤノフスキの「指環」の第 1弾「ラインの黄金」は 1982年に発売されている。「指揮のヤノフスキは現在最も注目を集めているポーランドの新進」と書いてある。
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そして全 4部作の発売は 1984年。なになに、「大作『リング』の CD での初の全曲盤である」とな。歴史を感じますなぁ (笑)。
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そんなわけでヤノフスキにはこの夏、奇天烈な演出に負けない立派な音楽を期待したいと、心から思います!!

by yokohama7474 | 2016-04-11 00:53 | 音楽 (Live) | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2016-04-11 12:22 x
私は半休とって7日に行きました。大学の時に二期会による日本初演を聴いた時に比べると、日本でもワーグナーを充実したかたちで聴けて幸せですね。
また、演奏会形式だから、歌手も歌に集中できて良いですね。
帰宅して、なんども1幕の最後のジークフリートのパート歌ってました!
Commented by yokohama7474 at 2016-04-11 23:28
> 吉村さん
半休を取られたのですね! 私の「指環」生演奏初体験は、朝比奈隆指揮による新日本フィルの演奏会形式でしたが、まさにその頃とは隔世の感がありますね。今度是非、ジークフリート役の歌をお聞かせ下さい!!
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