カラヴァッジョ展 国立西洋美術館

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日伊国交樹立 150年を記念して行われている展覧会のひとつ、カラヴァッジョ展。ダ・ヴィンチ、ボッティチェリに続く名前としては申し分ないビッグネームだ。だが、会場に掲げられている駐日イタリア大使のメッセージには、「このイタリアの巨匠はまだ日本ではそれほど知られていないかもしれませんが」とある。いやいや大使、日本を侮って頂いては困ります。過去 30年くらいの間にこの画家の名は広く知られるようになっているはず。有名ですよ、有名。だが、実際にこの画家の個展となるとさすがに多くなく、私が知る限りでは、2001年に東京都庭園美術館で開かれた展覧会くらいではないだろうか。その意味で、この記念の年に幾つかの大変貴重な作品を含むこの展覧会が開かれる意義は大きいだろう。

ミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジョ (1571 - 1610) は、いわゆるバロック期の画家として分類されているが、一言で言ってしまうと、その光と影の効果を最大限に利用した劇場的な絵画は、それまでに、いやそれからも、誰もものしたことのない強烈なもので、その独創性はまさに比類ない天才を示していよう。私自身、この画家との出会いをはっきりと思い出すことはできないが、恐らくは英国の鬼才デレク・ジャーマンが監督した「カラヴァッジョ」という映画ではなかったか。調べてみるとこの映画の制作は 1986年。ちょうど私は学生で、深く尊敬する美術史家の若桑みどりが大学の講師であったので、その講義において主としてマニエリスム (定義としては後期ルネサンスからバロックへの移行期と言えようか) を学んでいた頃でもある。若桑先生は惜しくもその後亡くなってしまったが、私の手元にある何冊かの彼女の著作のうち、「薔薇のイコノロジー」という代表作にも、カラヴァッジョのことが少し出てくる。決闘によって殺人まで犯してしまい、その後逃亡生活を送った人なので、かなりの荒くれ者というのが一般のカラヴァッジョの評価であろうが、当時、NHK の日曜美術館で、「この画家はどんな人だったのでしょうね」というアナウンサーの問いかけに、若桑先生がこともなげに「普通の人だったと思いますよ」と答えていたのが強く印象に残っている。人殺しといったエキセントリックな面にだけ光を当てると、返ってカラヴァッジョの歴史的意義に曇りが生じるという信念をお持ちであったのだと思う。この画家とは、先入観を排して正面から向き合わないといけない。
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さて今回の展覧会であるが、カラヴァッジョの作品が 11点展示されていて、残りはカラヴァジェスキと呼ばれる追随者の作品が主だという。うーん。上にも書いた通り、この画家はまさに唯一無二の天才なので、追随者の作品を見る意味が果たしてどのくらいあるのだろうか・・・というのが最初の印象。展覧会には総数で 51点が展示されており、私の最初の印象は、展覧会を見終わったときには、率直なところ当たったと申し上げておこう。だが、ことはそう単純ではない。カラヴァッジョ以外の作品にもいくつか大変興味深いものがあったので、追って触れることとしよう。

今回来日している 11点には、未だ初期の、スタイルを模索している時代の作品も含まれる。例えばこの「女占い師」(1597年) は、画家の 20代の作品。後年のドラマ性はないが、街のどこにでもいる人をモデルにした雰囲気で、しかも題材はカトリック国イタリアとは思えない世俗的なものだ。今回展示されているのは、ローマのカピトリーノ美術館所蔵のもので、カラヴァッジョ真筆と判断されるまでには時間がかかったという。同じ構図の作品がルーヴルにも所蔵されている。
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この「トカゲに噛まれる少年」(1596 - 97年頃) も初期の作品ながら、美しい花の間に潜んでいたトカゲに手を噛まれた少年の様子は、なんらかの比喩としての教訓があるのではないかと思われるほど怪しい。イッテッテ。
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この雰囲気はカラヴァッジョ絵画のひとつの典型となろう。上に掲げたポスターになっている二つの作品、つまり「果物かごを持つ少年」(1593-94年頃) と「バッカス」(1597-98年頃) も、この系列に属する絵画である。あえて言及するまでもなかろうが、かねてよりその同性愛的な嗜好を云々されるカラヴァッジョ (これこそまさに、エイズでこの世を去ったデレク・ジャーマンの生涯のテーマでもあった) の本領発揮の作品と言えるだろう。とにかく、同性愛者でない者までうっとりさせるということは、これらの絵画には時空を超えた力があるということだ。

それからこの絵は、私としては子供の頃に読んだ妖怪図鑑のメドゥーサの欄に載っていたのを見て、怖い怖いと思っていたもの。この禍々しい鮮血のリアルさ、見開いた目に浮かぶ恐怖心と恍惚、我関せずとのた打ち回る蛇たち。・・・だが実は、今回展示されているのは個人蔵の珍しい作品であって、1990年代までは知られていなかった作品らしい。有名な同じ構図の作品はウフィツィ美術館の所蔵されている。いやぁ、貴重な作品を見ることのできるチャンスであったわけだ。しかも赤外線撮影によって、当初の目の位置や表情が異なっていたことも判明している。天才の試行錯誤の軌跡である。
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そして画家はその後、1606年に決闘で人を殺めてしまい、逃亡生活に入るのだ。その 1606年に書かれた「エマオの晩餐」。ミラノのブレラ美術館の所蔵になる。
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ここで遂に、彼特有の光と影のドラマが姿を現す。現代に暮らす我々は、映画において様々なライティングによるドラマティックな映像に慣れているが、今から 400年前、日本で言えば江戸時代最初期に、これだけのドラマ性を持った作品がイタリアで生まれていたことに感嘆の念を禁じ得ない。

そして今回の展覧会の目玉である、同じ 1606年に描かれた「法悦のマグダラのマリア」。これはつい最近カラヴァッジョの真筆と認定され、この展覧会が世界初公開である由。天才がいよいよ並ぶ者のない天才になったことを思い知る。分かったような解説は忘れ、ただひたすらこの絵の前で時間を忘れよう。
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この作品には 15くらいの模写があるとのことだが、近年発見されたこの作は、画家が殺人を犯した年に書かれ、その後の逃亡生活を通じて最後まで手元に取ってあった作品だという。この鬼気迫るただならぬ雰囲気には、天才が命をかけた証を見て取ることができる。長い西洋絵画の歴史においても、そのような作品はそうそうないと思う。と言いながら私の頭の中には、この凄まじい絵に匹敵する法悦を表した彫像が浮かぶ。そう、やはりまぎれもない天才であった彫刻家ベルニーニの「聖テレジアの法悦」(1652年) である。どうだろう。ポーズも表現力も、よく似ているではないか。あ、この作品は教会の中にあるので、今回の展覧会には来ておりません。あしからず。
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今から 20年ほど前、ローマで観光しまくったことがあり、その際にはもちろんカラヴァッジョの祭壇画もあれこれ巡り歩いたが、ベルニーニの彫刻の数々にも舌を巻いたものだ。今このカラヴァッジョ展を見て、改めてバロック絵画の美学の継承を思う。ベルニーニは 1598年生まれだからカラヴァッジョより一世代下。それまで人類が持ち得ていなかった情念の表現は、遥か 450年や 500年を経ても、未だに生命力を保っているのである。

さてここからは、この展覧会で展示されている、カラヴァッジョ以外の画家の作品を見てみよう。ここでは「カラヴァジェスキ」という名称で、カラヴァッジョの追随者という扱いがなされているが、ところがところが、中には注目に値する画家が何人もいるのである。まずこれは、「ハートフォードの静物の画家」と呼ばれる逸名の作者による、「戸外に置かれた果物と野菜」。今となっては信じがたいが、以前はカラヴァッジョの作品とされていたことがあるという。それは、この作品を所有していたガヴァリエーレ・ダルピーノという画家にカラヴァッジョが一時期師事していたことによるらしい。うーん、それにしても果物や野菜が異様な生命力を持つ不思議でシュールな絵である。
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そしてこれは、カラヴァッジョの友人であり、彼から多大な影響を受けたとされる、オラツィオ・ジェンティレスキ (1563 - 1639) による「スピネットを弾く聖カエキリア」。
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まるで近代の作品を思わせるようなリアリティである。バロックから近代までの距離は、意外に短いのかもしれない。そしてこの画家の娘が、当時としては極めて珍しい女流画家、アルテミジア・ジェンテレスキ (1593 - 1654 以前) である。この展覧会には、彼女の手になる「悔悛のマグダラのマリア」が展示されている。
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この裸体の尋常ならぬなまめかしさは、これはもう反則である (笑)。このような反則は、やはりカラヴァッジョという先達がいたからこそ可能になった表現であると思う。この女流画家の生涯が映画になっているのをご存じだろうか。1998年日本公開の映画、その名も「アルテミシア」。
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今手元にこの映画のプログラムを持ってきて確認すると、監督は女流のアニエス・メルレ。主演はヴァレンティナ・チェルヴィ。いずれもその後聞かない名前であり、この映画自体もそれほど印象に残っているわけではないが、歴史の流れの中で血を流しながら芸術に身を捧げた芸術家への敬意は、常に持ち続けているつもりの私である。

それから、これも非常に珍しい絵である。マッシモ・スタンツィオーネ (1585 - 1656) の手になる「アレクサンドリアの聖カタリナの頭部」。この死者の首のリアリティはどうだ。恐らくは画家が実際に目にした生首の写生によるものではないか。カラヴァッジョも切断された首をあれこれ描いたが、そこにはまだロマン性というか空想癖というか、現実と異なる雰囲気が常にあった。だが、彼が時代にもたらした絵画表現上の衝撃は、このような仮借ない表現にまで発展してしまったのだ。
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そしてこれも非常に珍しい作品。タンツィオ・ダ・ヴァラッロ (1582 頃 - 1633) の手になる「長崎におけるフランシスコ会福者たちの殉教」。ミラノのブレラ絵画館の所蔵になるものだ。
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その題名の通り、1597年に秀吉の命によって長崎で処刑された 26人のキリスト者の殉教を描いたもの。実際の出来事から 30年以上経ってからの制作であるようだが、遠く離れた極東の地での殉教は、カトリックの人たちに訴える出来事であったことが知られる。うーん、それにしてもこのアジア人のようでもありトルコ人のようでもある迫害者のキッチュさには、それが真摯であればあるほど、何やら異様な感じが出ている。今回の展覧会の図録にある解説を見て、この作品がジャック・カロの 1627年の同主題の版画に基づくものであると知った。うーむ、カロの版画は以前の展覧会ですべて見たと思っていたが、これは記憶にない。調べてみるとこんな作品だ。なるほど似ている点もあるが、この油絵は、より一層悲惨な情景となっている。このようにして歴史の悲惨は記録されて行くものなのか。
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この展覧会ではその他、ジョルジュ・ラ・トゥール (1593 - 1652) による「煙草を吸う男」も展示されているが、ここまでの才能になると、カラヴァッジョの影響だけでなく、その画家自身の天才的ヴィジョンが結実したものであると実感される。
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このように、様々な切り口からカラヴァッジョの美術史上における功績を知ることができる。ほかの誰にも似ていない天才であったがゆえに、彼が地球上に存在した 38年の間、この男はあたかも空から降ってきて地表に激突した隕石であるかのように、歴史を変えたのである。近年、彼の墓が発見されたというニュースがあったが、そうだ。この画家は生身の人間。死して屍をこの世に残して行ったのである。人類がこのような画家を持ち得たことに感謝しよう。

by yokohama7474 | 2016-04-17 22:32 | 美術・旅行 | Comments(2)
Commented by desire_san at 2016-05-12 16:11
こんにちは。
私もカラヴァッジョ展を見てきましたので、作品の画像やご紹介読ませていただき、カラヴァッジョの絵画のインパクトの強い光の表現など、カラヴァッジョの絵画の感動が追体験することができました。均整と調和がとれた爽やかな美しさのルネサンス絵画とは真逆のような、劇的な明暗法によって浮かび出る人物表現と「光と影」の自由な感動的表現、伝統的な表現を一新させた斬新さリアリティーのある絵画表現と、どんな場面にも美しさが潜ばせる独特の美意識は比類ない才能を感じました。

今回のカラヴァッジョ展からカラヴァッジョの絵画の魅力と、なぜカラヴァッジョが美術史を塗り替えるほどの影響力を持ったのかを考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。トラックバックも大歓迎です。


Commented by yokohama7474 at 2016-05-12 22:46
>desire-san,
コメントありがとうございます。ブログ拝見致します。これだけのレヴェルの素晴らしい展覧会を入れ替わり楽しめる東京は、本当にすごいところですよね。
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