バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 (ザック・スナイダー監督 / 原題 : Batman vs Superman : Dawn of Justice)

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他流試合という言葉は、日本独特のものなのであろうか。剣豪の時代ならいざしらず、20世紀に至ってもキングコング対ゴジラからアントニオ猪木対モハメド・アリまで、えっ、この人とこの人が闘うのか、という組み合わせを我々は楽しんできた (・・・ちと例は古いかもしれないが)。両雄並び立たずという言葉もある。クラシック音楽の世界でも、トスカニーニとフルトヴェングラー、カラヤンとチェリビダッケ、アバドとムーティなど、お互いの能力を認めるがゆえに不仲となってしまった指揮者たちがいた。さて、これはそのような流れにある映画、かどうかは見る人の判断として (笑)、いやはや、21世紀も進んで来ると、こんな対決を考える奴が出て来るのである。バットマンとスーパーマンが対決するったって、そんなのどう考えてもスーパーマンが勝つに決まっている。なぜなら、バットマンがいかに武装し、体を鍛えていようと、所詮は生身の人間だ。対するスーパーマンは遠くクリプトン星からやってきた宇宙人。そもそも、一体どういうわけでこの二人のヒーローが闘うことになるのか。これは見に行かないわけにはいかない。

ひとつの期待は、監督がザック・スナイダーであるということだ。「300」が代表作なのかもしれないが、残念ながらそれは見ていない。スーパーマンシリーズの前作「マン・オブ・スティール」は見ているが、まあそれほど印象的でもなかった。私が驚嘆したのは、彼が原案から手掛けた「エンジェル・ウォーズ」という映画 (原題は "Sucker Punch" = 不意打ちという全く違うものだ)。
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日本のオタク文化から想を得ながら、オタクを嫌悪する私にすらズシーンと来るなにかを投げかけた面白い映画である。この監督が採り上げる題材なら、何か筋の通ったものがあるかもしれない。しかも今回の作品、製作総指揮は今や巨匠監督となったクリストファー・ノーラン (バットマンの最近のシリーズを監督している) であると聞くと、これは期待しない方が無理というもの。

この映画のプログラムによると、実はコミックの世界ではバットマンとスーパーマンが「共演」することは多く、遥か 1952年にまで遡るという。そこで興味を持って、そもそもこれらのヒーローが最初に登場したのはいつかと調べてみた。すると、スーパーヒーローの元祖スーパーマンは 1938年に登場、一方のバットマンはその翌年 1939年に初めて発表されたことが分かった。そのイメージは陰と陽。なるほど、両大戦間の平和なアメリカに、この対照的なふたりのヒーローは相次いで登場したことになる。私が知らなかっただけで、コミック誌上での最初の共演から既に半世紀以上。スクリーンでの共演がなかった方が不思議なくらいだ (笑)。これは 1962年のコミック (両方のキャラクターが掲載されていた DC コミックだ)。"World's Finest"、つまり「世界最強」のコンビということだろう。どうやら、偽物スーパーマンが現れる話のようだ。
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ということで期待が大きく膨らんだ状態で劇場に向かったのであるが、うーむ。申し訳ないがこれは一言で言えば失敗作だ。その理由をネタバレしないように説明するのは難しいが、以下の要因が挙げられよう。
・両ヒーローとも社会から非難される事態に陥るが、その必然性が弱い。
・バットマンのスーパーマンに対する思いも、描き方が全然不足している。なんでそこまで???? と、誰しもが思うだろう。
・あー夢だったの繰り返しがしらける。素人の作品じゃないんだから。
・両ヒーローとも、既に周りの人たちに正体がばれている。スーパーマンに向かってクラークと呼んだり、バットマンに向かってブルースと呼んだりするのは反則だと思う。
・両者の対決のシーンからの展開が強引。ただの名前の一致だけで、あんな憎しみが瞬時に消えますか???
・そもそも両者が互角に闘える前提としての鉱物クリプトナイトの効力が弱すぎる。スーパーマンの回復早すぎ。その一方でラストでは効果てきめんで、説得力なし。
・上映時間が長いと思ったら、両者の対決以外に盛り込まれた要素があって、それが完全に余計。あんな再生ができるなら、クリプトン星人が死んでも再生できるはず。
・そして、題名にある「ジャスティス」もまた余計な要素。今後シリーズ化を前提としているのだということ以外に、必然性なし。

まあこんなに突っ込みどころ満載の映画もないだろう。152分の上映時間に客席から沢山のハテナが飛び散っているのが見えた気がする (笑)。

一方、これだけ豪華な役者陣を揃えた映画も珍しいだろう。後で気づいたことには、スーパーマンサイドは、完全に前作「マン・オブ・スティール」を踏襲していて、スーパーマンのヘンリー・カヴィルはもちろん、ロイス・レーン役のエイミー・アダムス、デイリー・プラネットの上司役のローレンス・フィッシュバーン、父親役のケヴィン・コスナー、母親役のダイアン・レインと、すべて同じ。
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驚きは一方のバットマンサイドだ。なんと言っても注目は、初めてバットマンを演じるベン・アフレック。ただ、ここでのバットマンはスーツも重々しげなら、アクションシーンにも切れがないと思う。それはなんらかの監督の意図によるものなのであろうと思うのだが、もしそうであれば、さてベン・アフレックほどの俳優を使う意味があったかどうか。
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それから、私にとっていちばんの驚きは、執事アルフレード役は、なんとなんと、細身の二枚目俳優 (であった?)、ジェレミー・アイアンズだ。いつものマイケル・ケインよりも精悍かつスリムな感じで、鈍重な印象のここでのバットマンとは好対照。これも何か意味があるのか???
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さらにもうひとり、議員の役を演じて久しぶりにスクリーンを飾るホリー・ハンター。あのジェーン・カンピオン監督の「ピアノ・レッスン」は私にとって生涯ベスト・テンに入る名作。随分年をとってしまったが、昔の面影はあるし、キャリアウーマン役がよく似合う。
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まあそれにしてもすごい俳優陣だ。加えて、敵役のジェシー・アイゼンバーグ、謎の美女役のガル・ガドットもよろし。
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とまあ、豪華俳優陣の演じるハテナ映画ということで、きっと将来的には珍品の部類に入ることだろう。ひとつだけトリヴィアネタを書くと、盛装のカクテル・パーティのシーンに流れているのは、ショスタコーヴィチのジャズ組曲第 2番の中の「ワルツ 2」だ。そう、あのキューブリックの遺作、「アイズ・ワイド・シャット」で使われていたあの曲。エンド・タイトルに目を凝らすと、リッカルド・シャイー指揮のコンセルトヘボウ管の演奏であった。
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このシーンだけ見ると、大変素晴らしい映画かと思いますな (笑)。ラストシーンは次回作に続くという意思表示であろうが、さてさて、次回作を作れるだけの興行成績を無事挙げられますかね。見ものです。

by yokohama7474 | 2016-04-19 00:06 | 映画 | Comments(0)
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