レナード・スラットキン指揮 NHK 交響楽団 2016年 4月23日 NHK ホール

今日 4月23日 (土) は、東京近郊在住のクラシック・ファンとしては悩みに頭を抱える日であったろう。なにせ今日の 14時または 15時開始のコンサートとオペラは以下の通り。
 新国立劇場 : ジョルダーノ作曲 歌劇「アンドレア・シェニエ」
 紀尾井ホール : トレヴァー・ピノック指揮 紀尾井シンフォニエッタ (ピアノ : イモジェン・クーパー)
 東京芸術劇場 : 山田和樹指揮 読売日本響 (ピアノ : 小山実稚恵)
 サントリーホール : ピエタリ・インキネン指揮 日本フィル (ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 すみだトリフォニーホール : 準・メルクル指揮 新日本フィル
 ミューザ川崎 : ジョナサン・ノット指揮 東京響

うーん、これはまたすごい。どれに行ってもおかしくない。だが、苦渋の選択で私が選んだのは、NHK ホールでの NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期演奏会。指揮は米国の名指揮者、レナード・スラットキン。
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この指揮者が広くその名を世界に知らしめたのは、1979年から 1996年まで 20年近く首席指揮者を務めたセントルイス交響楽団でのことであった。ある雑誌で、当時文字通り世界最高であったゲオルク・ショルティとシカゴ響に続く米国第 2位という評価を勝ち得たことがきっかけだ。1944年生まれなので今年 72歳。N 響には 1984年以来 7度共演を重ねている。現在ではデトロイト響とリヨン国立管を率いている。近代フランスやアメリカの色彩感の強い曲を得意にしているが、今回の演奏会の曲目が興味深い。
 ベルリオーズ : 歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲
 武満徹 : 系図 (ファミリー・トゥリー)
 ブラームス : 交響曲第 1番ハ短調作品68

まあベルリオーズは分かるが、それ以外はスラットキンとしてはいささか異色の曲目と言ってよいだろう。だが特筆すべきは真ん中の武満の作品だ。今年の 1月31日付の記事で、山田和樹指揮日本フィルの演奏 (語りは上白石 萌歌) をご紹介したが、今回の演奏には特別な意味がある。というのはこの曲を世界初演したのは、今回の指揮者、スラットキンであるからだ (1995年、ニューヨークにてニューヨーク・フィルとともに)。私はたまたまそれを知っていたので、上記のような綺羅星のごとき演奏会の中でこれを選んだのである。スラットキンのレパートリーとして武満は異色であると思うが、一概に決めつけてしまうと、もしかすると楽しめるかもしれない世界を楽しめなくなってしまう。さてさて、スラットキンの武満やいかに。

この「系図 (ファミリー・トゥリー)」と題された曲は、作曲者が 10代の少女を語りとすべしと指定している関係で、語り役を見つけるところからしてなかなか骨であろうが、今回舞台に立ったのは、今年 16歳になる女優の山口まゆ。私はこれまで知らなかったが、最近活躍の幅を広げていて、演技派として将来有望である由。
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今回の衣装もこの写真と同様の白い服に、白い靴。ステージマナーにはなんとも初々しいところがあって、私の席の近辺のご老人たちは、自分の孫を見るかのようにハラハラドキドキ (笑)。今回の彼女の語りは、先に聴いた上白石 萌歌と比較すると、低い声での淡々としたもの。この曲で朗読される詩は谷川俊太郎の手になるものであるが、私にとってはそれほど感動的なものではなく、むしろ現代社会の病巣をさりげなく描いた感じに、少々うんざりする気もする。ただ、スラットキンの手になる演奏を聴いて、なるほどと思う点も多々あった。通常の武満の演奏は、繊細で美しい一方、その場で演奏とともに消えてしまうような儚さがつきまとう。ところが今回のスラットキンの演奏は、とにかく明快なのだ。また、譜面も何も見ずに語りをする若い山口まゆには、その語りの入りの部分で逐一合図を送る丁寧な指揮ぶりで、出てくる音はしんねりむっつりした要素はほとんど聴かれない。もしかすると作曲者自身もこのようなくっきりと明るい演奏を予期していなかったかもしれない。そう言えば今日の最初の曲、「ベアトリスとベネディクト」序曲も、オケの自発性弾ける明るい演奏であった。やはりこれがスラットキンの美質であると考えてよいだろう。これは必ずしも N 響の最良の資質ではないかもしれない。だが、それでもきっと指揮者自身も楽しくなるような鮮烈な音を出すことのできるこのオケは、本来はやはり日本でナンバーワンなのである。

後半のブラームス 1番は、これこそ N 響が世界有数のドイツ系指揮者と数限りなく演奏してきたオハコである。スラットキンとしても期するところがある演奏であったろう。決してドイツ的という形容がふさわしいとは思わないが、充分に一音一音重みのある演奏で、作曲者が 20年をかけてこの曲に込めた思いを、スラットキンは今回のプログラムの他の曲と同様、ここでも鮮烈に描き出していた。昨今流行りのインテンポ (ずっと一定のテンポで演奏すること) とは一線を画し、時に溜めを作り、時にそれを解き放つ円熟の芸だ。コンサートマスターのまろこと篠崎史紀のステージマナーは相変わらず堂に入ったもの。
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東京でこれだけいろいろな演奏会が開かれていることは、演奏家にとっては大きな刺激になるに違いない。まだまだ面白いことになって行くだろう。

ところで今回、演奏に先立って、熊本の地震の犠牲者を悼んで、バッハの「G 線上のアリア」が奏された。N 響の弦の音が艶やかかつ品性を感じさせるもので、心に沁みる演奏であった。実は今回のスラットキンの演奏はほかにも 2プログラムがあり、その中の 1つに、バッハの各種オーケストラ用編曲を連ねた挙句にプロコフィエフ 5番で締めくくるというものがある。その意味では、悲しい演奏とは言え、今回のバッハもスラットキンの登壇にふさわしい選曲であったと思われる。このような一流の指揮者が指揮を採ることで、一回一回の成果はよしんば些細であれ、確実にオケは進化して行くもの。これから 5年先、10年先が楽しみである。

by yokohama7474 | 2016-04-23 23:13 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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