ミハイル・プレトニョフ指揮 東京フィル 2016年 4月24日 Bunkamura オーチャードホール

e0345320_21441620.jpg
東京のオケには、通常の日本の学校や企業と同じく 4月からシーズンの始まるところと、欧米風に 9月からシーズンの始まるところとが混在している。この東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) は前者で、今年から特別客演指揮者に就任したロシア人のミハイル・プレトニョフがその指揮台に立った。このプレトニョフはもともとスーパーなピアニストであり、1978年にチャイコフスキーコンクールで優勝している。早くから指揮者としても成功しており、自ら創設したロシア・ナショナル管とのベートーヴェン全集は絶賛を博したものである。1957年生まれなので今年 59歳。音楽家としてまさに脂の乗り切った年代だ。今年はピアノ・リサイタルも 7月に開かれるが、尖鋭な音楽性を東京の聴衆に示してもらう機会としては、まずはこの東京フィルの演奏会ということになろうか。

そのプレトニョフがシーズン幕開けに選んだ曲目は以下の通り。
 グリーグ : 劇付随音楽「ペール・ギュント」作品23

北欧ノルウェイの国民的作曲家、エドヴァルド・グリーグ (1843 - 1907) の代表作である。この「ペール・ギュント」から編まれた 2つの管弦楽用の組曲があり、いずれもクラシックファンの入門的なレパートリーとなっている。中でも、第 1組曲の最初に置かれた「朝」は、クラシックファンならずとも知らない人はいないであろう。なんとも爽やかな朝の雰囲気を持った名曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=PKy-wvmhBxQ

この 2つの「ペール・ギュント」組曲、ほかにも名曲が目白押しなのであるが、では組曲ではなく、この曲の全曲が頻繁に演奏されるかというとさにあらず。私の記憶にある日本での実演は、若杉弘が東京都響の音楽監督時代 (1990年代) に演奏したのが唯一である。確かこのときが全曲の日本初演ではなかったか。私はそのコンサートには行かなかったが、確か演奏時間が大変長いとその時に聞いた記憶がある。今回の演奏会のプログラムによると、この曲の全曲は、作曲者自身の何度かの改訂もあり、出版も混乱していて、本来の作曲者の意図に沿った楽譜の出版はなんと 1987年までなされなかったという。もともとこの戯曲は、ノルウェイのこれもまた国民的な劇作家であるヘンリック・イプセン (1828 - 1906) によるものであり、なんと、イプセン自身からグリーグに作曲依頼がなされたとのこと。イプセンというと「人形の家」などの近代的な戯曲のイメージがあるが、この「ペール・ギュント」は放蕩者の冒険を描くファンタジーだ。もともと舞台上演用ではなく朗読用の戯曲ということもあり、またグリーグ自身が劇的なものよりも抒情的なものに適性がある作曲家であると自ら任じていたことから、作曲・上演には紆余曲折あり、そのあたりの複雑な事情が、この曲があまり演奏されない理由にもなっていると思う。

さて、会場ではこのようなポスターを見ることができる。東フィルのプログラムの表紙を描いているハラダ チエのほのぼの系のイラストだ。だが、うん??? ここには 4/19 (日)、4/20 (月)、4/22 (木) とある。えぇっと、今日は日曜だが 4/19 ではなく 4/24 だ。前週の日曜は 4/17。なぜ日がずれているのか。
e0345320_22370216.jpg
そう、これは去年のポスターなのだ。実はちょうど 1年前に同じ指揮者とオケ、そして朗読を担当する俳優の石丸幹二、歌手陣まで同じメンバーでこの曲が演奏されるはずであったのだ。そのために私も、NAXOS レーベルから出ているこの曲の全曲盤 CD を聴いて予習していた。ところが直前になってプレトニョフが来日中止となり、演奏会自体がキャンセルされたのだ。つまり今回は 1年を経た仕切り直しということで、きっとこの曲に掛ける強い意気込みを持ったプレトニョフにすれば起死回生の演奏であったのだと思う。というのも、昨年の彼のキャンセルの理由は、母親を失ったこととそのための精神的ダメージであるとのことであったからだ。今回聴いてみてなるほどと思った。この作品において主人公のペール・ギュントは荒くれ者でほら吹きだが、母親オーセに溺愛されており、そのオーセの悲しい死をペールが乗り越えて行くという内容になっているからだ。プレトニョフほどの超人的な能力を持つ人でもやはり人の子なのであろう。母の死の直後の精神状態ではこの作品は演奏できなかったということであろうか。

そうして聴くことのできた今回の演奏会、まさに会心の出来であったと思われる。これまで数限りなく親しんできたこの曲の組曲のオリジナルの形を聴けたことで、曲自体に対するイメージが一新したし、情緒と劇性の入り混じった複雑な音楽に、グリーグという作曲家の評価自体にも見直しを迫られたと言ってもよい。そもそもこの作曲家の代表作と言えば、超有名曲であるピアノ協奏曲とか、晩年のリヒテルが愛奏したピアノの抒情小品集とか、あるいはカラヤンがレパートリーにしていたホルベルク組曲のような、北欧の爽やかさを思わせる曲ばかりであったが、この「ペール・ギュント」においては、有名な「山の魔王の宮殿にて」や、船の難破のシーンの音楽のように非常に力強い箇所も沢山あるのだ。荒唐無稽なストーリーは、あのバーンスタインがミュージカル (なのかオペラなのか) を作曲した啓蒙思想家ヴォルテールの「キャンディード」を思わせるところもあり、また、音楽の題材としては、シベリウスのクレルヴォ交響曲とかマーラーの「嘆きの歌」という伝承に依拠した曲を思わせるところもある。つまり西洋の近代化の過程でロマン的なものが熟し、そのロマン性の残照の中、20世紀の工業化社会に向かう手前で生み出された音楽ということである。これがグリーグの肖像。思慮深い人であったのだろうか。
e0345320_23012169.jpg
それにしても今回の東フィルの演奏の雄弁であったこと!! 正味 2時間半に達する長丁場であったが、冒頭のペール・ギュントの主題からなんとも迫力があり、この破天荒な主人公の経験する様々な出来事を多彩な音のパレットで描き出した、見事な演奏。これならプレトニョフの意気込みにも充分応えたと言ってよいであろう。素晴らしいソロを聴かせたコンサート・マスターは、おなじみ荒井 英治。このオケの顔である、と思ったら、プログラムには「ゲスト・コンサートマスター」とある。もう退任してしまったのであろうか。少し残念ではあるが、以前もこのブログで少しご紹介したモルゴーア・クァルテットの演奏活動等もあるのであろう。
e0345320_23094906.jpg
この曲が長いのは、音楽の入らない語りの部分が長いせいもあって、正直なところ、音楽を鑑賞するという観点からは、ちょっとその点が難点である気もする。だが、最初から最後まで語り抜いた石丸幹二の熱演には拍手を送ろう。彼はもともと劇団四季だということは知っていたが、今調べてみると、芸大の声楽科の卒業なのだ。それは知らなかった。それから、誕生日が 1965年 8月15日。私の 2日後である。うーん。他人とは思えない。ルックスはちぃっとばかり違っておりますが (笑)。
e0345320_23133421.jpg
それから素晴らしかったのは、わざわざノルウェイから来日したソプラノ、ベリト・ゾルセットだ。
e0345320_23174158.jpg
あの素晴らしい「ソルヴェイグ (この演奏会のプログラムでは、原語を尊重してソールヴェイと記述されている) の歌」は、このような歌手によるノルウェイ語の歌唱で聴いてはじめて、その真価を知ることになる。オペラティックではなく、例えばエンヤなどを思わせるひんやりしたヴォーカルというイメージだが、あの安定感と聴き手を包み込むような深い情緒は実に傾聴に値する。なんと素晴らしい音楽だろうと実感する。

これだけ多くの数の演奏会が日々開かれている東京の音楽界であるが、このような新たな発見もまだあちこちにあることに気付くと、なんとも気持ちが高揚する。それぞれのオーケストラにそれぞれの素晴らしい才能が結びついているのは素晴らしいことだ。次回はプレトニョフのピアノも聴いてみたい。
e0345320_23275082.jpg
あ、それから、グリーグの魅力をまた違った角度から楽しみたい方には、あの Mr. ビーンのローワン・アトキンソン主演の「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」のエンドタイトルをご覧下さい。「山の魔王の宮殿にて」の迫力を改めて思い知ると思いますよ!! いやいや、ホントです (笑)。
e0345320_23342205.jpg

by yokohama7474 | 2016-04-24 23:34 | 音楽 (Live) | Comments(0)