安田靭彦展 東京国立近代美術館

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我々日本人は、特に東京にいる人々は、その享受できる芸術文化の多様さという点で、大変恵まれていると思う。美術に関しては、いながらにしてルネサンスやバロックの素晴らしい西洋絵画の大規模な展覧会が次々に開催される一方で、日本独自の美術についても、古くは土器や土偶や埴輪に始まり、古代から現在に至るまでの間に生み出された優れた彫刻、絵画、工芸、あるいは建築でも、名品に触れる機会が数限りなくある。そんな中で、日本画という日本独自の分野においても、年に何度かは観覧必須と思われる展覧会が開かれており、これなぞはその分野で今年の目玉のひとつであると言えよう。

安田靭彦 (やすだ ゆきひこ 1884 - 1978) は、1歳年下の前田青邨 (まえだ せいそん) と並んで、大正から昭和までの時代を代表する日本画家であり、その制作の中心は歴史画である。作品の気品の高さにおいては、いわゆる明治以降の近代日本画家という範疇では、並ぶ者のない人ではあるまいか。私はこれまで、前田青邨の展覧会には二度ほど行った記憶があるが、安田靭彦の展覧会は記憶にない。それもそのはず、この東京国立近代美術館でさえ、40年ぶりの安田の回顧展であるとのこと。今回は初期から晩年までの 108点が揃い、94歳という長い生涯を生き、画家としても 80年の歳月を送った安田の画業をじっくりと辿る、またとない機会である。
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そもそも私がこの画家の名前を知ったのは、小学生のときに法隆寺金堂壁画について書かれた説明を読んでいて、戦後間もない頃に焼失したこの壁画の復元を手掛けた画家のひとりとして (その意味では前田青邨もそうだが) 耳にしたのだと思う。それは多分 1977年頃だから、ちょうど安田も前田も最晩年であったわけで、私はこれらの偉大な画家たちと、ほんの少しの間だが、同じ空気を吸うことができたということになる。それ以降、様々な展覧会や本で、彼の歴史画に触れる機会があった。まずは彼の画業のイメージをお伝えするため、この展覧会にも展示されている、いくつかの代表作からご紹介しよう。まずは「夢殿」(1912)。言うまでもなく聖徳太子を描いたものだ。このとき画家はわずか 28歳であるが、既に円熟の筆である。心が清められるような作品だ。
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そしてこれは「飛鳥の春の額田王 (ぬかだのおおきみ)」(1964)。上の作品から 50年を経ていて、一層表現力は豊かになっているが、その基本となる線の厳しさとか細部の繊細さには変わらぬものがある。
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これは「草薙の剣」(1973)。既に 90歳近い頃の作品であるが、いささかも力の衰えを感じさせることがない。
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安田はこのように、古代に始まって近世に至る歴史的な日本の風景を終生描き続けたのであるが、さてこの展覧会の会場では、始まってすぐのコーナーに展示されている作品たちに、早くも驚きを覚える。この作品はいかがであろうか。
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木曽義仲を描いたこの作品、なんと 1899年、15歳のときの作品なのである!! 複雑な構図なので少し無理しているようにも見えるし、後方の女性の表情などは硬いと言ってもよいだろうが、それでも、舞い散る木の葉による情緒の表現や、鎧兜を事細かに描いてあえて手前の馬上の人物の顔を描かないあたりに、独特の感性を感じる。栴檀は若葉より芳し。でも一体どんな子供だったのだろう。私の想像では、上に掲げた肖像写真のイメージそのままに、子供の頃からやけに丁寧な物腰の人だったのではないか...、などと勝手に決めつけてしまいたくなるのである (笑)。

これは、翌年 1900年の「遣唐使」。16歳ということになるが、モノトーンに近い中に限られた色が少し使われていて、これから唐に向かう人たちの不安が現れているように思う。解説によると、厳密な歴史考証を重視する師、小堀 鞆音 (こぼり ともと) の指導に反していることを自覚して、一時的に「眠草」という号を用いたらしく、この作品にはその眠草の印章が押されているとのこと。冒険心を持ちながらも、忍耐強く礼儀正しい画家であったのだろう。
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正統的な歴史画を描き続けたというイメージの安田であるが、上記に見るような冒険心がさらにはっきり表れた作品がある。これは 1918年の「御夢」。太平記を題材としており、後醍醐天皇が笠置山に潜んでいた頃、夢の中に大きな木と南を向いた台が現れ、そこに髪をみずらに結った二人の童子が現れて、それが玉座であると告げた。後醍醐天皇は、これを「木に南」、つまり楠の下で天子となれというお告げと解釈、後に出会う楠正成を重用したというもの。鮮やかな赤と青の屏風の向こうにいるのが後醍醐天皇で、そこだけが現実世界、ほかは夢の中の世界である。なんとも幻想的ではないか。
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また、彼の自由な精神を象徴するかのような「風神雷神図」(1929) をご紹介しよう。有名な宗達の作品とは違って表情は近代的であるが、運慶の童子の彫刻を思わせる。
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さて、彼の生きた昭和という時代は、まさに激動の時代であって、大きな出来事のひとつは言うまでもなく戦争である。歴史画というジャンルに重きを置く画家としては、現実世界の動乱にどこまで対応するべきかという思いはあったのだろうか。結果として戦時中には、戦意発揚に利用される可能性のある題材も多く描いたようだが、一連の作品を実際に見て行くと、彼の人品の高さが一貫して現れているがゆえに、これらは本来戦争とは関係のない、純粋な芸術であると実感する。例えばこの「益良男」は 1942年の作。古代の武人を描いているので、題材は戦争と関係はしている。だが、この人物の秘めたる闘志には、実際に敵と向き合う前に自分と向き合っている様子が伺える。これこそが作品の持つ気品ではないか。
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あるいはもっと直接的に、当時の軍人を描いた有名な絵もある。1943年の「山本五十六元帥像」。だがここでの山本五十六も、やはり冷静な指揮官として描かれており、いつもと変わらぬ安田の繊細な線によって、ただの軍人像とは一味違う、人間を描いた奥行きのある肖像になっている。なおこの作品、前年 1942年に海軍省の委嘱を受けたものの、写生をする前に山本が戦死してしまったので、写真をもとに描かれたものであるそうだ。
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そしてこの頃の作品として素晴らしいのは、なんと言っても今回の展覧会のポスターになっている、「黄瀬川陣」(1940)。源頼朝が平維盛 (これもり) による追討軍を退けた後に陣を張った黄瀬川に、奥州から弟の義経が舞い戻って再会した場面。二幅対の作品で、左幅が義経。右幅が頼朝。
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この作品に間近に接すると、色彩と線の絶妙なバランスによる強い表現力に舌を巻く。間違いなく畢生の大作と言えるだろう。この作品が描かれた頃、既に日中戦争は始まっていて、この題材は非常時に国民が戦意を表すことの比喩であるという解釈と賞賛が、当時からあったようだ。だが本人はそれを強く否定しているらしい。義経には前途の運命を予感させる寂しさを、頼朝には明るい未来を背負った強さや華々しさを表そうとしたとのこと。うーむ、確かにこれだけの幅を使っておいきながら、たった二人の人物だけを描いていて、厳しい緊張感漂う画面であるので、実際の戦争との関連を見出すのは無理なような気がする。いずれにせよ、この作品は重要文化財に指定されていて (安田の作品では今のところ唯一?)、名実ともに彼の代表作であろう。これは本作を制作中の安田。
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そう言えば、前田青邨も「洞窟の頼朝」という素晴らしい作品がやはり重要文化財だ。頼朝には、芸術家の魂を鼓舞する何かがあるのだろうか (笑)。もちろんこの展覧会には出品されていないが、その前田の作品もご参考までに画像を上げておこう。二人の日本画家のメンタリティーの違いについて論じたくなるが、長くなってしまうので、またの機会にしましょう。
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さて、このように、安田靭彦の芸術を辿ることのできる貴重な機会を堪能したが、彼が展覧会に出品した最後の作品でこの記事を締めくくることとしよう。「富士朝暾 (ちょうとん)」。1975年、実に 91歳のときの作品。ここの線は、繊細さよりも力強さが勝っているように思われる。その揺るぎない富士の姿には、写実を越えた実在感が感じられるではないか。誰もがこのような長くて充実した人生を送れるわけではないが、この絵を見る人々は皆、少しでもこの偉大な芸術家に近づきたいという、一種敬虔な気持ちになるのではないか。頼朝もひれ伏す富士だと思う。
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by yokohama7474 | 2016-04-30 18:58 | 美術・旅行 | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2016-05-04 16:49 x
昨日帰国し、今日観てきました。黄瀬川陣が、こんなに大きなサイズとは思ってませんでした。確かに、このサイズならではの品格がありますね。余白の美も。欧州の基準とは一線を画してますね。
でも、このジャンルはもう、真剣な芸術としては存在しない気もしますね。
Commented by yokohama7474 at 2016-05-04 22:33
>吉村さん
お帰りなさい。早速のコメントありがとうございます。ご指摘の通り、いわゆる伝統的な日本画が今や存在するのか否か、考えてみるべき問題かもしれませんね。
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