井上靖著 : カルロス四世の家族 - 小説家の美術ノート -

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私は昔ながらの古本屋が好きで、街を歩いていて古本市など開かれているのを見ると、足を停めずにはいられない。そして玉石混交の古い本を買い込んで悦に入るのである。この本もそのようにして近年入手したもの。上の写真にある通り、いちばん外側は段ボールになっていて、その中には何やら模様つきのカバー。そしてそのカバーの中に、硫酸紙で包んだ本が入っているのである。今ではありえない、なんという贅沢な作り。実際に私がこの本をいくらで購入したかは覚えていないが、外側の段ボールには、「初」の字に丸がついていて、「\ 2,500」とある。恐らくは初版本ということであろう。奥付を見てみると確かに、昭和 49年の初版本だ。西暦では 1974年。今から優に 40年以上前の本である。実際に購入したのは数百円ではなかったか。

作者はあの井上 靖 (やすし、1907 - 1991)。「敦煌」「天平の甍」等の歴史もので名を成した大作家だ。
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よく知られている通り、彼はもともと新聞記者であり、歴史のみならず東西の美術にも詳しい人であった。私は若い頃に彼の代表作に加え、主として日本美術に関する文章を多く読んだものだし、琵琶湖畔の十一面観音を題材にした「星と祭」という大部な小説も興味深く読んだものだ。今回採り上げるこの本は、副題にもある通り美術に関するエッセイで、5編からなるが、以下の通り対象は古今東西に亘っている。
 ゴヤの「カルロス四世の家族」について
 桂離宮庭園の作者
 微笑と手と (レオナルド・ダ・ヴィンチ小論)
 顔真卿の「顔氏家廟碑」
 「信貴山縁起絵巻」第一巻を観る

ふーんなるほど。現代でこそ、脈絡なく音楽や美術や映画などを雑多に語るいい加減なブログなどというものも世の中には存在するが、昭和のこの頃、これだけ広範な美術を語る作家という存在は貴重であったことだろう。そしてこれらの文章、読んでいて大変面白い。堅苦しいところはなく、むしろ軽妙な語り口なのであるが、透徹した視線が感じられ、襟を正したくなる箇所があれこれあるのだ。もう失われてしまった昭和の文人の姿であろう。

選ばれている題材のうち、ゴヤ描くところの「カルロス四世の家族」については、昨年 12月にプラド美術館展に関連した記事を書いた。
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http://culturemk.exblog.jp/24008763/
ここで井上は、この作品に描かれた一人一人について、その人生を記述する。中にはモデルが特定できない人物もいるが、ほとんどは判明しており、その性格やその後の運命など、興味深いエピソードが目白押しだ。歴史の残酷を見つめる小説家の視線には、やはり端倪すべからざるものがある。

とりわけ面白かったのは、この本の最後に掲載された「信貴山縁起」についてである。むむ、私は最近の記事でこの絵巻物について触れなかったか。そうだそうだ、「伴大納言絵詞」について触れた、出光美術館の展覧会についての記事だ。
http://culturemk.exblog.jp/24344174/

ちょうど見たいと思ったこの絵巻物についての文章を読むことになるとは、なかなか面白い偶然だ。この絵巻物も「伴大納言絵詞」と同様、3巻からなるが、その第 1巻は、これも「伴大納言絵詞」と同様、残存しているのが絵画部分のみで言葉を欠いているが、これまたやはり「伴大納言絵詞」同様に宇治拾遺物語等でストーリーは判明するという。これは果たして偶然なのか、それともこの 2つの絵巻物の間に何か関連性があるということだろうか。ともあれここでの井上は、この第 1巻で描かれていることを、いや描かれてはいないことまでも、登場人物を仔細に精査しながら、また想像力を駆使しながら、まるで見てきたかのように (?) 語るのである。これはなかなかに楽しい。小説家特有の想像力でストーリーを編み出しているわけであるが、そのリアリティはなかなかのもの。これは、命運 (みょううん) 上人という特殊な能力を持つ僧が放った鉢が、米俵を大量に入れてある倉を運び上げ、いずこかに持ち去る場面。驚く人々が口々に騒ぐ様子が目に浮かぶようだ。これが 12世紀の作とは、とても信じられない。
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というわけで、この「信貴山縁起絵巻」を見たいという私の願いは募るばかり。うーん。誰か私を鉢に乗せて、この絵巻物のある場所まで連れて行って欲しい。・・・いつ、どこで見ることができるのか。井上靖は既にこの世の人ではなく、教えてくれない。まるで闇夜を歩くかのような私なのであった。

by yokohama7474 | 2016-05-05 23:30 | 書物 | Comments(0)
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