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特別展 信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝 奈良国立博物館

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むむ。井上靖の美術論を扱った前の記事を書いた後、夜中布団に入って闇の中でウトウトする私の目に、ある幻想が飛び込んできた。あちゃちゃ。何やら子供が、カラカラと回る車輪とともにすぅーっと空を駆けているではないか。体の回りには剣を何本もぶら下げており、ジャラジャラという金属音がうるさいことこの上ない。な、なんだこれは。
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翌朝目が覚めて、何やらやむことのない衝動に突き上げられた私は、思い立って新幹線で京都へ。そしてそこから近鉄特急で奈良へ。ふと気が付くと私は、子供の頃から通いなれた奈良国立博物館の前に立っており、冒頭に掲げたポスターを見上げていたのである。特別展が開かれている。なになに・・・「しぎさんえんぎえまき ちょうごそんしじ と びしゃもんてんしんこう の しほう」だと? 一体何のことなのか。

それではまずご存じない方のために、信貴山 (しぎさん) という山についてご説明しよう。この山は奈良県生駒郡に属する霊場であるが、もうひとつの霊場である生駒山同様、大阪との県境に近いところに位置する。古く聖徳太子が物部守屋と戦った際に、この山に毘沙門天 (びしゃもんてん) が現れたという伝承があるという。この信貴山に存在する寺は、朝護孫子寺 (ちょうごそんしじ) と言って、その毘沙門天を本尊として未だに盛んな信仰を集めている。そしてこの寺に伝わる至宝が、かつてこの寺に住んだ僧が起こしたとされる超自然的な出来事を扱った絵巻物、国宝に指定されている信貴山縁起絵巻 (しぎさんえんぎえまき) なのである。それゆえ、奈良国立博物館で開かれている展覧会は、「信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝」ということになる。信貴山の場所についてイメージを持ちたい方のために、朝護孫子寺のサイトに載っている地図を掲げておこう。
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さてさて、私を突き動かした不可思議な力は、この展覧会で展示されている国宝 信貴山縁起絵巻をどうしても見たいという思いであったのだ。4月30日付の出光美術館での「美の祝典」という展覧会の記事の最後に記した通り、日本における国宝四大絵巻とは、「源氏物語絵巻」「伴大納言絵詞」「鳥獣戯画」と、それからこの「信貴山縁起絵巻」なのだ。絵巻物がどんなものであるかを知らない日本人はいないであろうが、このように巻物を横に使って一連の絵画でストーリーを展開する形態が、世界広しと言えども日本にしか存在しないことを知っている日本人がどのくらいいるだろう。よく指摘される通り、これは明らかに現代のマンガにまでつながる独特の形式であって、いろいろな絵巻物を見れば見るほど、日本人のマンガ好きの原点を知る思いにとらわれる。

この信貴山縁起絵巻、普段からこの奈良国立博物館に寄託されていて、時々一部を見ることができる。かく言う私も、過去にこの博物館でこの絵巻物の一部を見たことはある。だが今回は、この 3巻からなる絵巻物の全部を一気に公開しているというのだ!! これは史上初のことであり、まさに千載一遇のチャンス。というわけで、GW 中の奈良、既に夏を思わせる暑さがじわじわと漂う中、9時30分の開館直後に現地に到着した。入り口に列はない。ただ、会場に入ってから絵巻物を見るまで 30分待ちとのこと。それはやむない。並ぼう並ぼう。さてこれが博物館に入ってすぐの光景。シルエットになっているが、何やら米俵のようなものがヒョイヒョイと宙を浮いている。貼ってあるポスターには、「奇跡、鉢が飛ぶ?!」とある。一体どういうことか。
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この絵巻物は、「山崎長者 (やまざきちょうじゃ) の巻」「延喜加持 (えんぎかじ) の巻」「尼公 (あまぎみ) の巻」の 3巻からなっていて、それぞれのストーリーは以下の通り。
・京都の山崎に住む長者の家の倉 (中には米俵が一杯) が突然宙に浮く。見ると、金属製の鉢が倉を持ち上げており、倉と米俵はそのまま空中移動して、信貴山に住む高僧、命蓮 (みょうれん) のところに辿り着く。鉢は命蓮のものであり、お布施を求めて飛ばしたものであった。長者の使いが命蓮のところに行って返して欲しいと嘆願すると、倉はその地に留まり、米俵だけがまた、鉢とともに長者のところに飛んで帰って行った。
・延喜年間、ときの天皇である醍醐天皇が病に伏した際に、勅使の依頼を受けた命蓮が、天皇の病気回復を祈る加持祈祷 (かじきとう) を行った。命蓮は、効果があれば剣を身にまとう護法童子が現れると告げ、実際にそのようになって、天皇の病気は回復した。
・命蓮の姉である尼公は、弟を探して故郷の信濃を旅立って大和に向かう。東大寺大仏殿で一晩祈った尼公は、大仏のお告げにより、無事弟である命蓮に再会する。

それぞれの巻に見どころがあって、その奇想天外ぶりは、制作されてから恐らく 700年以上経った今日でも、異常なほどの生命力を持っている。まず第 1巻では、米俵が次々と空を飛んで行くのを見上げる人々、あるいは戻ってきた米俵に驚く人々の表情の豊かなこと。じっくり見て行くと、ぷっと噴き出さずにはいられない。
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第 2巻の見どころはなんと言っても、天皇の快癒を知らせる護法童子だ。おっと、私の夢に出てきて奈良まで導いてくれたのは、彼ではないか。彼の出番は二か所。有名なのは上にも掲げた、このビューンと飛んでくる姿。確か切手にもなっていたはず。
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この疾走感とリアリティは素晴らしいイマジネーションであって、世界美術史上にも誇り得る作品だが、私としては、もうひとつの登場シーンも捨てがたい。天皇の住まいの警護の前に姿を見せる護法童子。ここでは横顔になっていて、その平たい顔が、テルマエ・ロマエでないが、なんとも日本人らしくてキュートではないか。しかも、飛んでいるときは転がしていた法輪を横にして、それに乗ってサーフィンよろしく移動している!!
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そして第 3巻では、東大寺の大仏の描写が出てきて、当時の姿を示す大変貴重な史料になっているのだ。
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そしてなんとも面白いのは、この大仏殿で尼公が長い時間を過ごすことを表すために、いろいろな場所でいろいろなポーズを取るところが線だけで表されていること。上のあらすじでは、「一晩中祈った」と書いたが、実際には寝そべったりよそ見をしたりしていて、どう見てもあまり真剣に祈ってはいないではないか!! (笑)
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いやしかし、大仏は荘厳に描きながらも、老婆の様子をこれだけ人間らしく自由闊達に描くことのできた絵師の才能は素晴らしいではないか。この絵巻物は一体いかなる背景で誰によって描かれたものか。残念ながら、はっきりしたことは分かっていないらしい。だが有力な説として、後白河法皇が様々な絵巻物を作らせ、それを自ら創建した蓮華王院に保管していたということ。武士が台頭する激動の時代に院政を敷いて策略を弄したという印象が強いが、さて、実際にはいかなる人物だったのか。
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実はこの展覧会、信貴山縁起絵巻を見るだけでも充分に価値があるのに、それ以外にもいくつか絵巻物が展示されていて、そのうちのいくつかはやはり後白河法皇の指示による作成の可能性があるようだ。中でも私が思いがけない遭遇に叫んでしまったのは、国宝「地獄草子」だ。あーもうこれ、たまりませんなぁ。子供の頃から地獄絵、大好きなのである。あ、いや、実際に地獄に堕ちたいと思っているわけではありません。あくまで芸術表現の話。
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ちなみにこの「地獄絵巻」は会期の途中で展示が終了するようだが、その代わりに登場するのが、これも国宝の「辟邪絵」だ。あー、これも見たかったなぁ。
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その他にもいろいろ、信貴山の歴史と毘沙門天信仰、そして聖徳太子信仰に関する展示物が満載で、大変に興味深い展覧会なのである。会期は 5月22日まで。奈良以外には巡回しないので、東京近郊在住の方は、護法童子に導かれ、無理してでも見に行かれることをお勧めする。

また、奈良国立博物館で最も古い建物、片山東熊の設計によって 1894年に完成した重要文化財である旧本館が、2年間の改修工事を経て、4月29日に「なら仏像館」としてリニューアルオープンしたというので、こちらも覗いてみた。
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私のように 40年前から足繁くここに通っている者にとっては、昔の古臭い展示も懐かしいような気がするし、また、ここに展示されている仏像は基本的に改修前と同じで新鮮さはない (特に、展示が時々変わる東京国立博物館の彫刻コーナーと比べると) が、LED を駆使した最新の設備による展示によって、仏像も輝いてみえることは事実。ここで出会うことのできる仏像で私が好きなのは、兵庫県浄土寺所蔵の阿弥陀如来像。像高 226cm という大きさで、快慶作の重要文化財。上半身裸であるのは、本物の衣を着せて練り歩く用途で作られたかららしい。実はこの浄土寺には、この翌日、久しぶりに訪れることになったので、お寺好きの方はその記事をお楽しみに。あ、その前にももう一本、お寺の記事を書く予定ですが。
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そんなわけで、護法童子に導かれた展覧会はすっかり堪能した。まあここでは、映画「帝都物語」でスイスの幻想画家 H・R・ギーガー (あのエイリアンで有名) がデザインした気味の悪い護法童子を思い出すのはやめにしよう。ギーガーはきっと、護法童子のキュートな横顔を見たことがなかったに違いない。残念なことである。何事も多角的に見る姿勢と、その機会を持つことが大事であると思い至った次第。
by yokohama7474 | 2016-05-05 23:32 | 美術・旅行