姫路城及び播磨の古社寺 一乗寺、北条の石仏、浄土寺、鶴林寺、石の宝殿

先ごろのニュースで、姫路城の年間来場者が昨年新記録を達成したと聞いた。確か、年間来訪者数第 1位とあったのだが、いやまさか、ディズニーリゾートとかユニバーサルスタジオより多いことはさすがにありえないので、「歴史的観光地」としての 1位だったのだろうか。と思って今改めて調べてみると、「城郭」としての 1位であった由。たまたま目に入った 4月 5日付の毎日新聞のネットニュースは以下の通り。

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兵庫県姫路市は4日、世界遺産・姫路城の2015年度の入城者が過去最多の286万7051人(速報値)だったと発表した。イベント時を除けば、最多だった08年度の熊本城(約221万9500人)を抜いて、日本一になった。 姫路城管理事務所によると、これまでの姫路城の最多入城者数は、「昭和の大修理」が完了した1964年度の約174万人(有料入城者数のみ)で、51年ぶりに更新した。 姫路城は「平成の修理」を終え、昨年3月にグランドオープン。漆喰(しっくい)の壁を塗り直した外観が「白すぎる」と評判となり、入城者は前年の3倍以上に。特に外国人は 3.68倍の30万6348人に上った。
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この時点では熊本の地震は未だ発生していないので、熊本城への言及があって何やら物悲しい思いを禁じ得ないが、いずれにせよ、もともと日本の城で No.1 なのは姫路城であり、修復を経たことで改めてその価値に注目が集まったということだろう。それにしても、「白すぎる」と評判になったことは否定的なニュアンスに聞こえるが、それで入場者が 3倍に増大したという書き方になっていて、新聞記事としてはロジックは ??? だと思う。ま、ともあれ GW の真夏のように暑い日、私も久々の姫路城再訪を果たしたのである。この城へのアクセスは非常に便利で、新幹線を姫路駅で降りると、一直線の道の向こうに、早くも城の雄姿が見える。距離にして 1kmほど。来場者数日本一と聞いて少し怖気づいていたのだが、さすがに城から駅まで長蛇の列ができているということではありませんでした (笑)。
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別名白鷺城と呼ばれる通り、その鳥が羽を広げたような雄大な作りと、当然、白いことが特徴である姫路城。大手門に辿り着いて見上げるその姿は、確かにかなり白い。昔から見慣れたこの城のイメージを思い起こしても、こんなに白くはなかったはず。
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今試みに手元の美術書から、修復前の写真を探してきたので、比較のためにここに掲げておこう。確かに屋根の色は今ほど白くはない。
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この際立つ白さは、瓦の間に新しい漆喰 (しっくい) を塗り込んだことが原因だが、決して意図して白すぎる姿にしたわけではなく、創建当初の姿に戻すことが意図されたとのこと。なんでも数年するとすぐにカビの繁殖等でまた黒ずんでくるらしく、これだけの白さは今のうちだけということらしい。50年ほど前に昭和の大修理がなされた後も、その白さが話題になった由。

さて、この日は開場時刻である朝 9時から間もない時間帯に到着したのだが、天守閣に登るには早くも 30分待ちとのこと。でも、ここまで来たら登らないわけにはいかない。天守閣に向けて城内の道をウネウネと登ることにした。
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入り口の門には、世界各国の言語で書かれたパンフレットが。さすが入場者数 No. 1の城である。
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途中でこんな感じの渋滞に遭遇。ここからあきらめて帰るわけにはいかないので、おとなしく列に並ぶ。天気もいいし、周りの石垣を眺めながらの待ち時間は、それほど苦痛ではない。
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これは秀吉時代の遺構として貴重な土塀。ちょうど下を通り抜ける格好になるので、仰ぎ見る角度でパチリ。
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そしてようやく天守閣の入り口に到着。既に見学を終えて出てくる人たち (開場前から並んだのであろう) の顔を見ると、なんとも晴れやかな表情が多い。皆さんドヤ顔と言ってもよい。やはり No.1 城郭を経験することによる満足感はそれだけのものなのであろうか。
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古い城の天守閣は狭い空間なので、大勢の観光客が一斉に入ると身動き取れないということになる。いやもちろん、姫路城ほど広い天守閣はほかにはないのだが、それでも内部はこんな感じの人混みだ。
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天井の梁など、巨木を荒々しく使ってあって、城郭ならではの迫力がある。よくこれだけのものが現存したものだ。前回訪問したのは随分前だが、梁や壁に、「国宝大切」という墨書きの木の札があちこち懸っていて、ちょっとあか抜けないなぁ (まるで大切にされていないかのような言い分なので・・・) と思った記憶がある。今回はそれが見当たらず、今や国宝のみならず世界遺産として多くの人から大切にされているので、そのような注意書きは不要になったのであろうか。ところで姫路には戦時中軍需工場があったため、街は空襲で瓦礫と化したという。そんな中、こんなに目立つ場所にある姫路城はなんとか破壊を免れたとのこと。城内にそのときの写真が展示してある。まさに奇跡的と言ってよいだろうが、米軍側になんらかの配慮があったのだろうか。いずれにせよ、この城が残ったことは人類にとって大いに意義のあることであった。
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天守閣から見下ろすと、今回修理を経て真っ白な漆喰が施された部分と、昔ながらの黒っぽい部分の対比が見えて面白い。
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姫路駅を臨む。ちょうど駅を降りたったときに見た風景と反対側だ。ここでも漆喰の白がよく分かる。
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天守閣は六層からなっていて、最上階には刑部姫 (おさかべひめ、または長壁姫) を祀る祠があり、皆さん熱心に参詣している。子供の頃に読んだ妖怪図鑑に、姫路城に棲む刑部姫も紹介されていたので、私にとっては旧友に再会するような感じ (?)。
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さて、天守閣から下りてきて、最後に使うこのしっかりした石段も、創建当初のもの。実際にこの城を訪れた各地の殿さまたちも、ここから出入りしたという。うーん。天守閣に昇って降りてきた満足感で、やはり自分がドヤ顔になるのを感じる (笑)。やはりそういうものなのだろう。
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もう一度振り返る天守閣。うーん、やはり大変美しい。空の蒼と建物の白のコントラストが素晴らしい。また、横から見ると、各層の直線と曲線の使い分けがよく分かって面白い。正面の屋根が直線ならその横の面には曲線を使い、正面に曲線があれば側面は直線のみという工夫がされているのだ。
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姫路城にはまだまだ見どころが沢山ある。これは石棺をそのまま石垣に利用した例。播磨の地には長い歴史があるので、古墳も沢山あったものと思われるが、このような再利用がなされるとは、古代の豪族もびっくりであろう。
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刑部姫と並ぶ姫路城怪異譚は、あのお菊の井戸だ。「番町皿屋敷」で、高価な皿を一枚割ってしまったという無実の罪を着せられ、切られて井戸に投げ捨てられたお菊が、夜ごと井戸から出てきて、「一枚、二枚・・・」と皿を数えるというあの怪談だ。一説には、「播州」(兵庫県) で起こった事件の舞台を江戸に移して、似た音である「番町」に変じたとも。そう聞くと何やらおどろおどろしい井戸に見えるが、ガイドの人いわく、これは大正年間に人呼びのためにお菊の井戸と命名されたらしく、全くの作り話。その証拠に、すぐ横に立っている石碑には、「大正元年菊月」とある。菊月とは 9月のことらしい。普通は「長月」というが、「長」の字は長壁姫に既に使われているから、こちらを「菊」にして、お菊さんに結び付けた??? 怪談伝承なんてそのように作られるものかもしれない。
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さて、これで姫路城見学を終わりにしてはもったいない。まだ西の丸を見ていない。これは、徳川秀忠とお江の方の娘、千姫が、大坂城落城による豊臣秀頼との死別のあと、本多忠刻 (ただとき) と再婚し、暮らした場所なのである。非常に長い (300m!!) 百間廊下という建物と、千姫が休息所としたという化粧櫓などから成っている。重要文化財だ。
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千姫自身が本多家の安泰を願って、城の近隣の男山というところに男山千姫天満宮という神社を造営したが、千姫はいつもここからその神社に祈りを捧げていたという。
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また、化粧櫓にはこのような人形で往時が再現されている。歴史の荒波の中で激動の生涯を送った女性であるが、姫路城での日々は生涯で最も幸せであったと回想しているとか。
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あ、そしてここで懐かしいものが。上でも触れた、昔は天守閣にもあちこちに貼られていた「国宝大切」の木札だ。いやー、ここでも旧友に再会したような思いです (笑)。
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我々が入る頃には天守閣入場への待ち時間 30分であり、結局それから 3時間弱、ほぼ午前中一杯をかけて見学した姫路城であるが、帰る頃には天守閣への待ち時間は 炎天下で 1時間という状況となっていた。さすが No. 1城郭のことはある。本当は隣接する庭園、好古園にも行きたかったし、近郊の名刹、書写山円教寺にも足を伸ばしたかったが、午後の行先は播磨の古寺のいくつかに絞ろうと決めていたので、それらはまたの機会に譲ることとし、古寺探訪に向けて車を走らせた。

まず訪れたのは、加西市にある一乗寺というお寺。観音霊場として有名な西国三十三か所の第 26番札所である。
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平地から急な石段を登って境内の中心部に入るようになっている。ここで有名なのは、平安時代、1171年に建立された国宝の三重塔。近年解体修理を経たとのことで、そのバランスの取れた姿にはほれぼれする。
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しかしこの塔の本当の美しさは、下から見上げたときよりもむしろ、さらに上にある本堂 (大悲閣と呼ばれる。1628年建立の重要文化財) に至る石段から見下ろすときに実感される。大悲閣も、いかにも天台宗の山岳寺院という作りである。またその裏手にある護法堂も、小さい建物ながら重文で、美しい。
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さて、次の目的地は、少し変わった場所である。もともと「北条の石仏」と呼びならわされていて、私が 20年くらい前に一度訪れたときには、全く何もない場所に版百という石仏が立ち並んでいる、なんとも不思議な空間であった。今回再訪してみると、なんとそこには羅漢寺という寺が建っていて、街の人たちによって手厚く保護されていたのだ。昔は拝観料も門もなかったが、今ではきっちりした観光地化している。もちろん拝観料くらい、喜んでお支払いしますよ。
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なんとも微笑ましかったのは、地元の小学生たちが観光ガイドの練習をしていたこと。我々に向かってアンチョコを読みながら細かい説明をしてくれ、時にはクイズまで出しながら、この地元の誇る文化遺産を大切にしていることを実感させてくれた。まあ、説明が上手な子もいればそうでない子もいたのは仕方ないでしょうね (笑)。
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今や寺となっている入り口近くにある石の仁王には、1610年の銘があるらしい。この石仏群、いつ誰が何のために作ったのか一切判明していないが、少なくとも江戸時代初期には既にここで厚い信仰の対象となっていたことが分かる。
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現存する石仏は 400体以上。非常に単純かつ素朴な出来であり、一見して庶民が作成したものであろうと推測される。でもなんとも言えない情緒があるではありませんか。
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左手奥には、釈迦三尊像がある。その本尊である釈迦如来は、痛々しく鼻がもげておられる。
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ここで子供たちから、「なぜお釈迦様の鼻がもげているのでしょう」とのクイズ。正解は、阪神淡路大震災のとき、ほかのどの石仏も倒れなかったのに、この釈迦如来像だけが正面から倒れて、鼻が砕けたのだという。ほかの石仏たちの身代わりとして一身に被害を引き受けたとして、地元の人たちの信仰もさらに厚くなったという。よい話ではありませんか。部下に責任をなすりつけて保身を図る会社の上司には、このお釈迦様の写真をプレゼントしよう (笑)。

さて、次に向かったのは、播磨を代表する素晴らしい文化遺産である、浄土寺という寺。小野市というところにあって、その本堂である浄土堂 (1192年建立) が、その素晴らしい場所。もちろん、中の仏像を含めてすべて国宝だ。
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内部の写真撮影は禁じられているので、以下はほかから拝借してきた写真であるが、この阿弥陀三尊像は名匠快慶の手になるもの。本尊阿弥陀如来は 5.3m、両脇侍は 3.7m という巨像である。この堂を造営したのは、東大寺で平清衡の南都焼討ちからの復興を担った名僧、俊条坊重源で、その重源の思想を反映したこのような特殊な阿弥陀三尊を快慶が制作したのだ。建物には豪快な天竺様が採用されており、広々とした空間に朱塗りの柱の数々が張り巡らされているが、堂が東に向いて立っていて、西側の壁の下から西日が差すようにできている。そうすると、夕刻にはこのように荘厳な光に包まれ、来迎の姿をした阿弥陀三尊が現出するというわけだ。
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このような阿弥陀堂は全国にもここだけであり、重源という天才プランナーが作り出した演出が 800年の時を超えて現在にまで奇跡的に残っていると言えるだろう。以前の記事でも採り上げた通り、この寺にはもう一体、快慶作の阿弥陀如来の巨像があり、そちらは本物の服を着せて屋外を引き回したと言われている。現在奈良国立博物館に寄託されているその像も、この浄土堂と通じる、阿弥陀の来迎のヴィジュアル化という発想によるものだろう。いつの時代にも演出の重要性を知る人はいるものだ。私も久しぶりにここを訪れ、非日常の世界に遊ぶことで、心身ともにリフレッシュさせて頂いた。

さて、残り時間はあとわずか。次に向かったのは、これも仏像好きには有名な、加古川市の鶴林寺である。聖徳太子の創建という伝承を持ち、国宝の建物、重文の仏像の数々を持ち、「播磨の法隆寺」の異名を取る。
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ところが、既に閉門時刻の 16時30分である。有名な白鳳時代の聖観音像のある宝物館には入れず、境内の散策だけにとどまった。だが、本堂や太子堂という国宝建築は見ることができた。
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今回再会は叶わなかったが、聖観音像はこのようなお姿。可憐という言葉がふさわしく、白鳳時代の代表的な遺品である。
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さぁ、普通の人ならこのあたりでタイム・アップとなることであろうが、同行者にとっては幸か不幸か、私にはまだ企みがあった。これまで行ったことがないので、是非今回行きたい場所がある。これは神社であって、観光寺院のように門が閉まることはないはず。その場所の名は、石の宝殿。高砂市にあって、正式名称は生石 (おうしこ) 神社である。ここには謎の巨石があって、それがご神体となっている。私は巨石マニアと自称するのはおこがましいが、基本的に巨石には深い興味があって、各地で珍しい巨石を見るのが大好きだ。そんなわけで期待満々で車を走らせ、ナビに従ってこの神社の近くに到達すると、おっ、すごい規模の採石場が!! 信号待ちの間に一枚撮りました。決して納豆屋さんを撮ったわけではありませんよ (笑)。
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このあたりは大昔から質のよい石が採れるらしい。この石の宝殿も、古代の頃、古墳に使用するための石棺を掘り出そうとして途中で放棄されたのだという説があると聞いた。そして、鳥居が見えてきて、いよいよ到着だ。
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本殿の裏にデンと構えるご神体の巨石は、大きすぎてうまくカメラに収まらない。高さ 5.7m、幅 6.4m、奥行 7.2m。重さは推定 500t だ。
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巨石の下は小さな池のようになっていて、底の周りの部分から切り進められたのであろう、まるで石が池の上に浮いているように見える。
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これが真後ろの部分。この突起を削り出したには何か理由があったに違いない。数年前に読んだ松本清張の「火の路」は、ペルシャのゾロアスター教の神殿と日本 (主として飛鳥) の謎の石造物の関連を探る面白い小説 (あ、妙齢の才色兼備の美女である主人公が殺人事件に巻き込まれるなどという、いかにも昭和なミステリー調のお膳立ては、今となっては邪魔以外の何物でもないが 笑) にも、これと飛鳥の益田岩船の関連性に言及されていたと記憶する。全国で信仰の対象となっている巨石には、自然そのままのものもあるが、これは明らかに人の手によって加工される過程のものであろう。
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この神社、ご神体の裏に広がる岩山の上にまで登っていけるようになっている。雨の日は危ないだろうが、日が傾きつつあるとはいえ、天気は上々なので、登って行くこととした。そうするとご神体を上から見ることができ、その上に木が何本も生い茂っているのを見て植物の生命力に驚くとともに、この地にデンと構えたこのご神体がこれまでに過ごしてきた長い長い時間を思い知る。
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登りきるとそこには、大正天皇行幸の記念碑が。それにしても、本当に巨大な岩山なのだ。
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掲げられている注意書きも、何やら人間性たっぷりだ (笑)。
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そんなわけで、超メジャーな世界遺産である姫路城に始まり、大自然と対峙する古代の人間活動を思わせる巨石に終わるという、非常に充実した播磨の旅となった。とはいえ、まだまだ見切れていない面白いところもいろいろあるので、またいずれ再訪のこととします。


by yokohama7474 | 2016-05-08 13:54 | 美術・旅行 | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2016-05-08 23:29 x
吉村です。旅行記も楽しいですね。
私も姫路城大好きで過去4回訪問しております。今週末は松本城登ってきました。
ところで、姫路城は実際は空襲の被害を受けており、たまたま天守閣にあたって貫通した焼夷弾が不発弾で難を逃れた、と記憶しております。
夜間無差別爆撃ですから、配慮の余地はなかったようですね。大規模城郭としては、名古屋城、岡山城、福山城なんかは助からなかったわけですね。
Commented by yokohama7474 at 2016-05-09 22:11
> 吉村さん
コメントありがとうございます。なるほど、名古屋城も岡山城も、現地でその歴史を知りました。今調べてみると、7つの旧国宝の城郭 (ひとつは広島で、原爆の爆風によって、燃える前に倒壊したとか) が昭和 20年に戦災で失われているそうですね。そうすると姫路城が不発弾によって残ったというのは本当に奇跡なのですね。国宝大切という言葉が身に沁みます。
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