千葉県松戸市 戸定邸、万満寺、本土寺

千葉県松戸市は、東京から江戸川を挟んだ反対側。都内への通勤・通学圏として非常にポピュラーなエリアである。だがこの場所は現在の国道 6号線、水戸へ続くその名も水戸街道の宿場町として発展した長い歴史があって、実はいろいろと興味深い歴史遺産を見ることもできるのである。例によって安・近・短の旅として、松戸の歴史散歩をご紹介しよう。

まず向かったのは、松戸市戸定 (とじょう) 歴史館。松戸駅から徒歩 10分くらいの近さであるが、このようななにやら趣きのある場所だ。
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この場所は、よく知られた徳川最後の将軍、慶喜の腹違いの弟にあたる、最後の水戸藩主 徳川昭武 (あきたけ、1853 - 1910) の屋敷である。1884 (明治 17) 年に建てられた戸定邸は国の重要文化財及び名勝に指定されており、江戸から明治という激動の時代に生きた昭武の人となりを伝えている。庭園と建物の見取り図がこれ。天皇・皇后両陛下もおいでになったことがある。戸定邸の案内板に、庭園は千葉県指定名勝とあるが、去年だったかにめでたく国指定の名勝に格上げとなっている。
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屋敷の中に入るとボランティアの説明者の方々がおられて、邸内の様々な箇所について細かい説明をして下さるので、大変興味深く見学することができる。これが邸内の見取り図であるが、オレンジ色が公的な空間、緑が家族の私的空間、青が使用人の使う空間である。なかなかに広いところだ。
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もちろん、明治期に入ってからの屋敷であるので、江戸時代の武家屋敷のような豪放な作りではなく、もう少し質素で簡素である。だが面白いのは、日本の明治維新は、もちろん戊辰戦争等の大規模な流血はあったものの、旧勢力が新勢力に武力のみによって倒されたということにはなっておらず、旧制度のトップであった将軍家は天皇家に「大政奉還」はしたものの、新政府のもとでも依然、高い地位を保ったわけである。それゆえ、恐らく当時の住居としては異例なほど高価な材料が使われているはず。例えば入ってすぐのところにある内蔵の扉はモルタル作りで、当時の最先端であったもの。
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少なくとも現存する建物を見る限りは洋室はなくすべて和室の平屋 (倉と使用人部屋のみ例外的に二階がある) であるが、庭はこのように芝生の刈りこみで、西洋庭園の雰囲気も持っている。植え込みの部分のみ日本庭園風なので、折衷ということになるだろう。
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また、材木の質という点では、この横に渡された柱にご注目。12m を超える一本の木である。
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欄間の透かし彫りや釘隠しも、華美ではないが、徳川家の紋章である葵をかたどった上品なもの。
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小高い場所に立っているので、見晴らしが非常によい。天気のよい日は今でもここから富士山が望めるらしい。障害物のなかった昔の見晴らしはさぞやと思われる。それにしても、庭の手入れの行き届いていること。松戸市が責任を持って管理しているだけのことはある。
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邸内にはお風呂もあるので面白いと思ったが、さすがにこの浴槽は明治のものではなく、昭和に入ってからのものだろうとのこと。
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この徳川昭武という人、兄の慶喜とは腹違いながら大変仲がよかったらしく、慶喜自身から、次期将軍としてのお墨付きをもらっていたらしい。従って、明治の世が到来しなければ、第 16代将軍となっていた可能性のある人物。1867年 (といえば、まさに倒幕の年である) にパリで開かれた万国博覧会に、将軍の名代としてわずか 13歳で派遣されたとのこと。資料館である戸定歴史館 (私が訪問したときには折悪しく展示替えのために閉館していたが) の入り口にこんな写真が。パリからの封書に描かれた似顔絵であろう。
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これが後年の大礼服姿の昭武。上の賢そうな少年の面影がありますね。
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ボランティアガイドの方の説明で、この歴史館の前に、葵の御紋のもとになった植物、フタバアオイが植えられた鉢が置かれていると知り、探してみたところ、ありましたありました。花は葉の下に隠れていたが、引っ張り出してご対面。将軍家の紋章にしてはあまり堂々と咲いている花ではありません (笑)。なにやらこの花も、「いやー、栄光は昔のことでしてね」と照れているというか、驚いているように見える。
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さてそれから 2軒のお寺を回ってみることにした。最初は、馬橋駅のすぐ近くにある万満寺 (まんまんじ)。
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このお寺は、古く鎌倉時代に千葉氏の招聘を受けた名僧、忍性 (にんしょう) が開いた寺である。忍性は真言律宗の開祖、興正菩薩 叡尊 (えいそん) の弟子で、奈良に北山十八間戸 (重病人の養護施設) を作ったり、鎌倉に極楽寺を開いたりした、歴史上有名な僧である。この寺には、鎌倉時代 (ということは、もしかすると創建当初のもの?) の力強い仁王像があり、国の重要文化財に指定されている。仁王門の中におわすのだが、残念ながら扉が閉まっていて、外からそのお姿を充分に拝することができない。このような素晴らしいものであるが、なんでも、年に 2回、3月と 10月のある時期には仁王の股くぐりという行事が行われ、そのときには間近で拝観どころか、足の間をくぐり抜けることすらできるらしい。途中でひっかかったら目も当てられませんなぁ (笑)。
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この寺で佇んでいると、小柄なお爺さんが話しかけてきた。年の頃は、さて、もう 90くらいではないだろうか。かなりのご高齢だ。だが、この寺のいわれを語り出すと停まらない。何年何月何日に何があったということまで滔々と喋られるので驚くと、松戸市のガイドを 20年務めたという。この寺の寺宝のひとつである魚籃観音像をあの高村光雲が調査して大絶賛したことなど、本に載っていないことをいろいろ教えて頂いた。ありがとうございます。ただ、ずっと話が続くので、「どうもありがとうございました~」と挨拶しても、その後にまた説明が続き、何度挨拶してしまったことか (笑)。

さて、最後に向かったのは、松戸市平賀にある本土寺である。車で向かうと、鬱蒼とした木が両側から迫る、大変に雰囲気のよい参道に辿り着く。
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境内に入るには 500円の拝観料が必要であるが、その広大な境内には五重塔 (古いものではないが) などの建造物があり、鐘楼の中に入っている鐘は、1287年の鋳造で、国の重要文化財である。
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この寺はもともと、源氏の名門であった平賀氏の屋敷跡と伝えられるが、この平賀氏からは、日蓮の弟子であった日朗に加え、その親戚である日像、日輪という日蓮宗の高僧が輩出している。長谷山 (ちょうこくざん) 本土寺という名称は日蓮自身によるものと言われていて、開山は日朗である。池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに、朗門 (日朗の教えを受けた教派という意味だろう) の「三長三本」と呼ばれる由。このような立派な石柱に、南無妙法蓮華経という日蓮宗のお題目が刻まれている。
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また、境内の奥には、宗徒用とおぼしい大きなお堂が垣間見えたり、日像上人の像や記念堂がある。
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それから、一般的には「あじさい寺」と呼ばれているらしく、四季おりおりの花々の中でも、特に紫陽花が有名であるとのこと。この通り、まだまだ季節が早すぎて全然花がありませんが。あ、私、花には造詣が深くありませんが、一応家人に確認の上、これが紫陽花であるとの確信をもって書いております (笑)。
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うーん、松戸市内だけでもこれだけ歴史のある場所を何ヵ所も訪れることができるのだ。千葉県全体を見渡すと、かなり興味深い場所が沢山見つかる。また折を見て、安・近・短の歴史探訪の旅を続けたい。


by yokohama7474 | 2016-05-08 15:43 | 美術・旅行 | Comments(2)
Commented by 杜の元松戸市民 at 2016-05-09 14:23 x
お久しぶりでした❗
アジサイの季節はこれからですね。
梅雨空の元、家族で傘をさしながら観たことを、懐かしく思い出しました。
《昭武》本、結構読みました。
フランスで明治維新を知った心境、考えただけでも面白いですよね。
ちなみに、「家人」の登場する巻、密かに好きです。お元気でお過ごしでしょうか?
よろしくお伝えくださいませ。
Commented by yokohama7474 at 2016-05-09 22:16
> 杜の元松戸市民さん
ご無沙汰です!! やはり松戸ネタに反応して頂けましたね (笑)。家人はおかげさまで元気です。今後も時々弊ブログに脇役として登場すると思いますので、ご期待のほどを。
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