若冲展 東京都美術館

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今年の日本の美術展中、最大の話題であるのみならず、これまでに日本で開かれてきた数えきれない美術展の中でも、かなり上位に位置するであろう展覧会だ。伊藤若冲 (1716 - 1800) の生誕 300年を記念して東京、上野の東京都美術館で開かれているこの展覧会、なにせ会期が約 1ヶ月、おまけに地方巡回なしということで、大変な大混雑となっている。これから行かれる方のために参考情報として書いておくと、とある GW 中の一日、朝 9時30分開館の前に現地に行こうと思い、9時前に到着したときに見たのはこんな光景。
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最初は、隣の上野動物園に並ぶ人の列かと思ったが、係の人がしきりと若冲展若冲展と言っている。現地をご存じの方はお分かりの通り、これは美術館自体の門の前。未だ開館どころか開門の前から長蛇の列だ。しかも、チケットを既に持っている人の列の方が、その場で買う人の列よりも長い。私と家人はそこで決断した。今日はやめて、また出直そう。・・・ということで、近くの東京国立博物館 (東博) で開催中の黒田清輝展と、アフガンの黄金展を見たのである。いやもちろん、言い訳するわけではないが、これらの展覧会ももともと見たかったのだ。実際、我々と同じように若冲展に入るのをあきらめて流れてきた人たちが多くて、東博としてはその恩恵にあずかったと皮肉を言うのも大人げない話だが (笑)、東博の係員までが、「こちらは若冲展の会場ではないので、お気を付け下さい」と列に声をかけていたのが面白かった。若冲展、恐るべし。因みにこの 2つの展覧会の記事も、追って書きますのでお楽しみに。

その数日後、今度は午前中雨の予報。これは人出が少なかろうと勢い込んで、同じような時間帯に会場に辿り着くと、なんのことはない、同じような長さの列ができていて、しかも天気予報に反して、朝からピーカンの晴天だ (笑)。だがやむなし、前回購入済であったチケットを握りしめ、今回は意を決して長い列に並んだのであった。あぁ、それにしても若冲はつくづく罪な人だ。ジリジリと暑くなりつつある晴天下で並んでいる 30分以上の間に、親子で家族で恋人で、何やら口論を始める人たちがいる。チケットをどっちが持っただの、荷物をロッカーに入れるだの入れないだの、まあそれはこの混雑、ケンカしたくもなりますわな。これは門を入ってから美術館の入口に至るまでの列の様子。ほら、あそこのカップルがケンカしているの、分かりますか (いやいや、してないって)。
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そして、結局入場前の待ち時間は 30分程度であったろうか、若冲の迫真の美と、気の抜けた柔らかさの双方を堪能して出て来ると、このような表示が。
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うーん、そうするとやはり、朝いちで並んだのは正解だったということになる。もちろん、平日や夕方の混雑具合は分からないが・・・。

そんな罪な人、若冲とは一体誰なのか。江戸時代中期、京都の青物問屋に生まれ、商人として裕福に暮らしていたが、40歳のときに家督を弟に譲り、絵を描き始めた。つまり、ちゃんとした絵師のもとで修業を積んだわけでは、どうやらないらしい。また、優秀な弟子を大勢育てたというわけでもなく (一応、伊藤若演という、息子とも言われる弟子がいたようではあるが・・・)、そもそも妻帯もしなかったようで、動植物をつぶさに観察しては絵を描く、天涯孤独の変わり者であったのだろう。その意味で、江戸絵画における大御所と見られてきた円山応挙や由緒正しい狩野派とは全く違うわけだ。また、琳派を生み出した尾形光琳も商人であったが、その華麗な作風は早くから日本美のひとつの典型と見られてきた。その意味で若冲は日本絵画史の異端であって、しかもせいぜいここ 15年くらいの間に急速に支持者を増やしたと言える。今回のこの混雑も、NHK が BS も含めて数年前に作成した若冲についての番組を、これでもかこれでもかと再放送したことや、びっくりするほど様々に出版されている彼の画集の賑やかさによるところもあるのだろう。

若冲の生きた時代のイメージを持つのにちょうどよい情報がある。彼が生まれたちょうど今から 300年前、1716年はまた、尾形光琳の没年である。そしてまた、与謝蕪村が生まれたのもこの年だ (昨年サントリー美術館で開かれた「若冲と蕪村」展は、この同い年の画家を比較する興味深い展覧会であった)。江戸絵画の代表のように長らく見られている (いた?) 円山応挙は 17歳年下。若冲と同じく奇想の画家として知られる曽我蕭白は 14歳年下だ。葛飾北斎となるとはるか 44歳下ということになる。若冲が生きたのは、江戸幕府開幕から 100年を経て、幕藩体制の強固な基盤は既に築かれ、天下泰平元禄の世を過ぎ、8代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われた時代。

今私の手元に、たまたま一冊の本がある。野間清六という美術史家 (1902 - 1966) が昭和 28年 (1953年) に著した「日本の絵画」という、シミだらけの古い本である。裏の方に鉛筆で「初版」と書き込みがあるが、いつどこで買ったものか記憶がない。ただ、野間の名前は聞いたことがあったし、終戦間もない日本で自分たちの歴史を振り返るような内容なら面白いかと思って、きっとネットオークションで適当に何かほかの古本とまとめて買ったのであろう。それをパラパラと見てみると、口絵写真 (もちろん白黒だ) には、玉虫厨子の捨身飼虎図や正倉院御物、また仏画などのほか、先に私も記事で取り上げた信貴山縁起絵巻や鳥獣戯画、雪舟、等伯、光琳、大雅、応挙、そのあとは明治に入り、狩野芳崖や橋本雅邦、菱田春草から、大観、栖鳳、古径、そして最後が安田靫彦だ!! つい最近展覧会を取り上げたばかりの靫彦は当時 44歳。既にして画壇で大きな存在であったのだろう。しかし、この本を振ろうが叩こうがひっくり返そうが、若冲のジャの字も出てこない。今日、これほど異常なまでの大人気を誇る画家が、当時は歴史上の存在としてもほとんど認識されていなかったのだろう。これは、現在知られる唯一の若冲の肖像画。死後まもなく描かれたものかと思いきや、明治になってから、言い伝えられている彼の風貌をもとに描かれたもの。そのようなことからも、死後長く忘れられた画家であったことが分かる。
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昨今あふれ返る若冲の画集を私も何冊か持っているが、世の中の一致した評価では、若冲の名が一般に知れ渡ったのは、2000年に京都国立博物館で開かれた大規模な若冲展であるとのこと。私は残念ながらそれには行っていないが、記憶を頼りに手元の展覧会の図録を探すと、1997年に静岡県立美術館で開かれた「異彩の江戸美術・仮想の楽園」と題された展覧会のものが出てきた。今では有名になったが、このような巨象の姿を何やらモザイク状に表したこの作品のポスターをどこかで目にして、その異様さに打たれ、どうしても見たくなって静岡まで車を飛ばして見に行ったのだ。若冲作品だけでも 20点以上展示されていたが、会場はガラガラであった。
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この展覧会では、この静岡県立美術館自身が所有している作品と、それに類似したプライス・コレクションの作品とが並置されていた。上記はプライス・コレクションのもので、静岡県立美術館のものは以下の通り (今回の東京都美術館での展覧会には出品されていません)。似ているけれど、動物の柄や姿勢や表情に、ちょっと違うところもある。
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このように私自身としては、2000年の京博での展覧会より以前に、まとまった数の代表的な若冲作品を見る機会があったのであるが、やはり本格的にこの画家について興味を持ったのは、辻 惟雄 (のぶお) の有名な「奇想の系譜」を文庫版で読んでからだ。この本の初版は 1970年出版であるが、私が持っているのは 2004年発行の、ちくま学芸文庫。だが、これを読んだときには私の興味はむしろ岩佐又兵衛や曽我蕭白にあって、若冲が目的で読んだわけではなかった。そうなのだ。若冲がいかにすごい画家であるかを知るのは、少しのちになって、御物である「動植綵絵」を知ることによってなのである。上記の静岡県立美術館での展覧会にも動植綵絵のシリーズから数点は出品されていたが、今回の東京都美術館での展覧会の最大のポイントは、この動植綵絵全 30幅と、そして本来一具であった釈迦三尊画像が一堂に会していることである。この動植綵絵、若冲が家業の青物問屋の家督を弟に譲って引退してから数年後から約 10年に亘って書き続けられたもので、動物や植物を様々な構図で描いており、まさに極限の芸術だ。使っている絵具の質がよいため、今でも驚くほど鮮烈な色彩が維持されている。これは若冲が自発的に描いて京都の相国寺に寄進したものらしく、釈迦のまなざしのもとにある、生きとし生けるものの命を描いたものだ。動植綵絵 30幅は、明治の廃仏毀釈の嵐を乗り越えるため、相国寺から皇室が買い上げたために散逸を免れた。これは本当に意義深いことである。また、釈迦三尊画像は相国寺に残ったが、今回はこれらすべてが一堂に会する貴重な機会なのだ。釈迦三尊は、このように中国風の表現。
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そして以下は、展覧会の図録から撮影したものであるが、動植綵絵自体の素晴らしさは、まず実物を見ること、そしてあまたある出版物で細部を見ること、等々によって実感できるので、ここではただ、贅言を避けて写真を羅列するにとどめよう。ざっと数えてみたところ、30幅のうち鶏が 8幅と多いのは、彼が自宅でじっと観察する機会が最も多かったのが鶏だということだろうか (?)。本当に信じられない観察眼であり、信じられない技法である。そのあたりについては、NHK の番組の数々で詳しく紹介されていた。
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繰り返しだが、見ているうちに、様々に息づく命に圧倒され、世界に満ちているこれらの動植物の命が、本当に尊いものに思われてくる。従って、この展覧会の大きな意義はまず第一に、この動植綵絵すべてが揃っていることだとは言えようが、出品数全 80点もの中には、ほかにも興味深いものが沢山ある。絢爛たる極彩色の作品だけでなく、とぼけた味わいの水墨画や、スタイリッシュなデザインなど、この画家のアイデアとそれを実現する技術の幅の広さには、つくづく脱帽である。例えばこれなど、どうだろう。三十六歌仙図屏風 (全12幅のうち 3幅) だが、まるで現代の (昭和の時代の?) マンガのようではないか。右端の人物は口に筆をくわえて、掛け軸に文字を書いている。これ、黒鉄ヒロシとか、あるいは手塚治虫みたいではないですか。あ、手塚治虫のマンガでは、口にくわえてはいないものの、この絵の筆のような蝋燭が頭の後ろに立つことがあるでしょう。あれです。
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これは「玄圃瑶華 (げんぽようか)」という版画であるが、このモノクロの美学は、まるでビアズレーのよう。もちろん、19世紀末には日本の版画は大量にヨーロッパに入っていたので、ジャポニズムの一形態とは言えるだろう。でも、もし、当時誰も見向きもしなかった若冲からビアズレーが影響を受けたとすると、こんなに面白いことはない。
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それからこれも面白い。石灯籠図屏風であるが、その点描は、はるか 100年ほどあとの新印象主義の点描を思わせる。
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そしてこれは伏見人形図。これはさしづめ、コロンビアのフェルナンド・ボテロの作品かと見まがうくらいだ。
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このように、動植綵絵という空前絶後の傑作とともに、若冲の驚くほど多彩な作品の数々を堪能できる機会であるので、会社の有給休暇を取るなり、残された最後の週末に開館前に並ぶなり、美術の好きな人なら、あらゆる手段でこの展覧会にお出かけ頂きたい。会期は 5月 24日まで。あと一週間です。い、急げー!! って言っているようにはとても思えないね、この象さんは。
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by yokohama7474 | 2016-05-16 00:43 | 美術・旅行 | Comments(0)
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