髙島 野十郎展 光と闇、魂の軌跡 目黒区美術館

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世の流れとはいえ、最近街の本屋がめっきり減ってしまったことに、時折本当に残念な思いを抱くことがある。机に向かって、またあるときには掌の中で、あらゆる分野に亘る必要な情報が簡単に得られる時代。自分自身その恩恵に深く預かっているにもかかわらず、あー、もっと時間の流れが遅くて、目の前にあることだけを考えて暮らして行ければなぁと嘆きたくなることもある。だが、そんな時代でも、都会であれば大きな書店は存在していて、新刊書を手に取ってみることができる。そんなわけで私は今でも本屋をブラブラするのが大好きなのであるが、昨年のある日、美術書コーナーでこのような本を見つけ、どうにも気になって手にとってみた。
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この手の「出会い」は、やはり直感的なもの。これまで聞いたこともなかった髙島 野十郎 (やじゅうろう) という画家の展覧会が昨年から始まっていて、この本はその展覧会の図録であることを、こうして知った。展覧会は全国数か所を巡回する。既に福岡県立美術館での会期を終え、現在、6月 5日 (日) まで目黒区美術館で開催中。そのあとは足利と福岡県筑後市に巡回する。福岡県で 2回開催されるのは、この画家 (1890 - 1975) が同県の久留米市の生まれだからであろう。東京での会期があとわずかになるまで記事をアップしなかったことに多少の罪悪感はあるものの、いやいや、最後の週末が残っている。もしこの記事をご覧になってこの画家に興味をお持ちの向きは、急いで今週末の予定を調整して下さい (笑)。

目黒区美術館は、山手通りの裏手、田道 (でんどう) という交差点からほど近い場所にある。この田道という地名は一風変わっていて、由来には諸説あるがよく分からないらしい。この辺り、麻布・青山方面と目黒不動を結ぶ古い道であるとのことで、美術館の近くにもこのような江戸時代中期の庚申塔 (こうしんとう) が残っていて、ここが東京 23区内であることを忘れさせる。
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そして美術館に掲げられた展覧会のポスター。
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さて髙島野十郎は上述の通り、福岡県久留米市の生まれ。実家は裕福な酒造家である。少年時代から絵を描くことに熱中していたようであるが、東京美術学校 (現在の東京藝術大学美術学部) への進学を希望するも、父親に反対されて果たせなかったという。兄が詩人で、同郷の天才画家、青木繁 (1882年生まれだから野十郎よりも 8歳年上) の親友であったらしいが、その兄が家業を継がなかったことに父が懲りたことが影響しているとのこと。野十郎はやむなく名古屋の第八高等学校から東京帝大農学部水産学科に進学。結局そこを首席 (!) で卒業するが、数年は助手を務めながらも絵画への情熱絶ちがたく、兄弟らの援助で欧州に渡って絵画修行をした。つまり、専門教育を受けることなく、独学で絵画の道を究めようとした人である。風貌 (1952年撮影なので、62歳のとき) はこのように、知的な雰囲気を伴っている。
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これから彼の絵を見て行くが、題材は、一部の自画像や恩師の肖像を除けば、ほとんどが風景画と静物画である。作品すべてが最高の出来というわけではないが、風景の中に宿る神秘的なものを感じさせる、大変心に残る作品が多い。人は誰でも孤独と向き合う瞬間があるものだが、髙島の絵には、そのような瞬間にふと浮かぶ心象風景のような要素があると思う。その特性は若い頃から顕著で、これは中学時代の「蓮華」。髙島は仏教に深い興味を抱いていたというが、ここでも既に仏教的なイメージが明らかだ。
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しかし、上述のような進路の葛藤もあり、大学時代にはこのような痛々しい自画像 (「傷を負った自画像」1914 - 16年頃) を描いている。その表情は虚ろで、首や足から血を流している姿には、若さの煩悶を感じるが、一方で手の血管などは丁寧に描いており、冷静に自らの内面を見つめる視線もあると言えるように思う。
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それから 10年弱経過してからの自画像が、この「りんごを手にした自画像」(1923) だ。ここには岸田劉生風の「デロリ」感があるが、その節くれだった手やヨレヨレの袈裟の意味するところは何であろうか。いずれにせよ、上の自画像と異なる点は、その睨み付けるような視線である。画家として立って行く決意表明かとも思われる。
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静物画を多く描いた髙島にとって、リンゴは重要なモチーフであった。この「椿とリンゴ」(1918) は、近年発見された、制作年の明確な髙島の最初期の作品。3つ並んだリンゴにもそれぞれ個性があり、上から椿がまるで話しかけているように見える。つまり、モノの色や形の純粋性を追求するよりも、静かに秘められたドラマを表現したいタイプの画家だったのではないでしょうかね。
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静物画では、ポスターになっているこの「百合とヴァイオリン」(1921 - 26) でも、有機的な曲線を描く百合と、人工物として計算された曲線を持つヴァイオリンとの出会いが、なにやらいわくありげだ (笑)。決して明るくもユーモラスでもないが、見ていて何か心に迫るものがある絵だと思う。
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このような対象への視線は、風景画にもはっきりと表れている。これは 1921年の「早春」。競い合うように天に伸びる 2本の木。
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彼がヨーロッパに渡ったのは 1929年。渡欧期の作品群を見ていると、強烈な生命力を表現するというよりは、何か心穏やかに憧れのヨーロッパの風景を楽しんでいるように見える。このあたり、やはり育ちのよさもあるのだろうか。以下、「セーヌ河畔」と「石畳の道」(ともに1930 - 33)。
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また彼は、日本各地を旅して写生をした。その作品には、何の変哲もない田園風景もあれば、フリードリヒ風の「神が宿る風景」と言いたくなるものもある。これは「山の秋」(1942)。戦争中の作品ではあるが、世の中の激動とは無縁の創作姿勢がよく伺える。
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同じ秋の風景でも、これは少し怖いような絵だ。「秋の花々」(1953)。ここには多少、アウトサイダーアートにも通じる妙なリアリティがあって、心に残る。ヘンリー・ダーガーを思い出すと言うと、少し言い過ぎだろうか。もしくは、そうだ、リチャード・ダッドにも少しばかり似ていないか。うーん、やっぱりちょっ言い過ぎか (笑)。
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こんな絵になると、少し普通に見える (笑)。「寧楽の春」(1953)。一見して明らかな通り、薬師寺東塔を描いたものだ。でも、手前の花が塔を隠してしまっていますねぇ。髙島はほかにも法隆寺五重塔や法起寺三重塔、そして同じ薬師寺三重東塔も、きれいに塔だけを描いた作品もあり、ここでは何か違った表現を試みたのだろうか。
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これも気に入った。「御苑の大樹」(1948年)。新宿御苑の風景だ。木の生命力は髙島らしいが、彼にしては珍しく、人物を描いているのが面白い。木の下でピクニック (?) を楽しんでいる人たちが何やら楽し気だ。まぁ、本当に小さくしか描いていないけれど (笑)。
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これは秩父の長瀞渓谷を描いた「流」(1957年)。本当の構図はもう少し右側にも岩があって、全体としては安定感のある絵であるが、右側を少し削って図録から撮影しました。いびつで申し訳ありません。でも、この水の流れのリアリティは、樹木を描いたものとはまた少し違っていて面白いことはお分かり頂けよう。画家によると、岸辺に立って何日も川を眺め続けると、いつしか川の水が止まって、逆に周囲の巌が流れるように見えてきた、その経験を描いたものという。
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この展覧会には静物画も沢山出品されているが、いずれも彼らしくモノ言いたげな作品ばかりだ。以下は「さくらんぼ」(1957年) と、「からすうり」(1948年以降)。いずれも空間配置は絶妙だが、それ以上に対象物の不思議な実在感が、なんとも印象に深く残る。一度見たら忘れないだろう。
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さて、最後に髙島の創作のひとつの頂点をなす題材をご紹介する。展覧会では、「太陽、月、蝋燭」と題されたコーナーである。上でご紹介した図録の表紙も月の絵であるが、髙島は同様の構図を繰り返し描いている。これは同じ題材の別作品、「満月」(1963年頃)。
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太陽を描くと、まるでゴッホのようだが、あれほど狂おしい情熱を秘めたものではなく、もう少し静かに心に沁みる作品である。これは「田園太陽」(1956年)。
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そして圧巻は、20ほどもずらりと並べられた、小ぶりな蝋燭の絵の数々。この蝋燭の作品は、個展で発表されることなく、友人や知人に贈答されたものだという。よってこの展覧会に並んでいる蝋燭の作品は皆、制作年不詳とある。夜、これをひとりで見つめていると、静かな瞑想の世界に入っていけるような気がする。薄暗がりで揺らめく炎を繰り返し描き続けた髙島の内面の厳しさを思い知る。
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このように、私にとってこれまで未知であった画家の作品にまとめて触れることで、大変有意義な体験となった。髙島野十郎、その絵の表現力に一度でも打たれた者は、決してそれを忘れ去ることはできないであろう。なので、東京在住でまだこの展覧会をご覧になっていない方、今週末のスケジュール調整、お薦めしますよ!!

by yokohama7474 | 2016-06-01 00:52 | 美術・旅行 | Comments(0)