グランドフィナーレ (パオロ・ソレンティーノ監督 / 原題 : Youth)

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スクリーンの中のスターを見ている観客たちは、そのスターがいつまでも輝いていて欲しいと思うもの。だが、いかなるスターとて人間。年を取れば少なくとも外見上の美は衰えて行くし、いつかは死んでしまうわけだ。時の不可逆性。そんな当たり前のことを思う瞬間は、しかし日常生活では決して多くない。それだからこそ、映画における仮想世界を経験して、現実を補う必要がある。例えばロバート・デ・ニーロとかアル・パチーノといった長く活躍している名優たちは最近、なんらかのかたちで老いを表現する役柄を演じることが増えてきたし、今後も増えて行くだろう。彼らはまた、老いたスターとしての何か新しい発見を見せてくれるに違いない。

この映画における大きなテーマは、間違いなく「老い」である。だが、原題は "Youth" = 若さという、真逆の意味の言葉だ。邦題の「グランドフィナーレ」は、人生の終局で鳴り響く何か素晴らしいものというイメージであり、上記のポスターのようなゴージャスな色合いにはそれなりに合ってはいる。だが、老年を扱っているのに若さという逆説の面白さは、この邦題では残念ながらどこかに吹き飛んでしまっている。ここで老いに向かい合う俳優は、「バットマン」シリーズの執事役や、このブログでも大絶賛した「キングスマン」での名演技も記憶に新しい、マイケル・ケイン。1933年生まれなので、既に今年 83歳という高齢だ。
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彼が演じるのは、引退した英国の作曲家 = 指揮者。英国人指揮者でこのカールした銀髪となると、外見上のモデルは当然コリン・デイヴィスだろう。こうして横顔で比べると、同一人物にすら見えるくらい、そっくりだ (笑)。
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そして、マイケル・ケイン演じるフレッド・バリンジャーは、作中で有名作品とされている「シンプル・ソング」の作曲者とされている。この曲は劇中で少年のへたくそな練習によって断片的に聴かれるが、クライマックスのまさにグランドフィナーレで、満を持して全曲が演奏される。ん? 指揮者が作曲した「シンプル・ソング」だと? それは言うまでもなく、レナード・バーンスタインの問題作「ミサ曲」に出てくるあの「シンプル・ソング」にヒントを得ているに違いない。そして劇中で演奏されるこの曲、バーンスタインの作風、とりわけ「キャンディード」(「クーネーゴォーンデー・・・」と歌うあの静謐なメロディ) を思わせる。
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まあそんなわけで、クラシック音楽ファンにとっては細部の興味もあれこれあるのだが、やはりどうしてもここで書いておかなくてはならないのは、最後のグランドフィナーレのシーンで予告もなしに登場する二人の音楽家。まずは背中を向けているこの女性ヴァイオリニスト。
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映画の中では何度も正面からの映像が出てくるが、ネット上の画像検索ではそれは見当たらない。誰あろう、これはあのヴィクトリア・ムローヴァだ。つい最近、5月28日の記事で、キリル・カラビッツ指揮 読売日本交響楽団との協演について書いたばかりで、まさかこの映画に出ているとは全く知らなかったので、大変びっくりだ。あ、こちらを振り返った (笑)。
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それからもうひとり。この派手な衣装の東洋人のオバチャンは誰だ。
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答えは韓国の生んだ世界的ソプラノ、スミ・ジョーだ。最近の活躍はそれほど聞かなくなったが、かつてカラヤンに可愛がられ、1989年に彼がザルツブルクで振るはずであったヴェルディの「仮面舞踏会」(カラヤンの死去によりショルティが代わりに指揮) でオスカルを演じていた。また、「カラヤン・イン・ザルツブルク」という記録映画では、バッハのロ短調ミサ曲をカラヤンとともに練習するシーンが見られた。そしてご満悦のカラヤンは、彼女にこう問うたのである。
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とまあ、映画の記事なのに音楽のことばかり書いている私は、全くふざけた男である。では汚名挽回のため (?)、少し映画について触れてみよう。一言で言って、これは素晴らしい映画。ここで脚本・監督を務めているのは、1970年生まれとまだ若いイタリア人、パオロ・ソレンティーノ。そのブラックな笑いと静かな人生賛歌の巧まざる共存は、いかなる人でも (そう、音楽に興味のない人でも!) 惹きつけられるに違いない。面白いシーンを挙げると枚挙にいとまがないのだ。
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舞台はスイスの高級リゾートであるのだが、このような美しい風景を散歩する登場人物たちは、人生を生きる意味とか、世界の平和とか、自然の偉大さと言った高尚な話題に触れることなく、2人の男の場合、前立腺肥大による排尿困難の話や、昔取り合った女性とその後関係を持ったとか持たないとかいうバカ話に終始し、父と娘の場合は、娘が、夫が愛人を作って離婚話を持ち出していることへの憤りをあらわにすると、父はその理由を知っているが言いたくないともったいぶるのだ (笑)。
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でも私はこれらのシーンに大変心を動かされた。身近な悩みやバカ話が、本当に人間が生きていることの証なのである。この雄大な自然の中でちっぽけな人間の営みがあることが、この上なく尊いもののように思われてくる。もちろんそのように感じられるのは、役者がよいからだ。まず、上記の「男 2人」の一方はもちろんマイケル・ケインだが、もう 1人は、久しぶりに見るハーヴェイ・カイテル。
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私はこの人のチョイ悪ぶりが好きなのだが、この映画でも基本は昔と変わらぬ感じが出ていて、安心 (?) した。ただ、年を取ることで昔より渋みが増したとは言ってもよいかもしれない。そして、マイケル・ケインの娘役は、レイチェル・ワイズ。
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この映画での彼女は、本当によい。上の写真のシーンでは、ずっとアップの長回しで、父親の昔の素行の悪さと母親の苦労について語って行くうちに涙が出てくるという設定だが、そのセリフ回しのリアルさ、ひとつひとつ発する言葉の美しさ、そして何よりも、感情の動きをコントロールして解き放つ感じが、本当によい。これだけできれば、もう「ハムナプトラ」のヒロイン役を演じる必要はないだろう!!

そして、登場シーンは少ないが強烈な印象を残すジェーン・フォンダ。もう 80近いが、老齢のリアリティをうまく演技に転嫁している。
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大自然のもと、ここで登場人物たちが向き合うのは、ほとんどが過去の幻影と、現在の苦悩が変形したヴィジョンである。またこのリゾートに集っているのは、かつて世界を席巻したが今は別人のように太ってしまったサッカー選手 (誰もがマラドーナを連想してしまうだろう)、毎日全く言葉を交わすことなく食事をともにする夫婦、ロボット物で有名になったがそれからの飛躍を求めてもがく俳優、自らの美を誇るミス・ユニバース、そして、命ないもののようにプールに並ぶ、物言わぬ人々。
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それぞれの人に謎めいた要素があり、映画はその謎の断片を取り上げては無責任に放り出す。だがなぜかその無責任さが心地よいのだ。きっともう一度見ると、また違った発見があるに違いない。

上のプールの写真でもそうだが、この映画でのひとつのイメージは水である。ヴェネツィアのサン・マルコ寺院やフェニーチェ劇場が水浸しになり、思い出の女がその中を通り抜けて行く。そして主人公の中のヴェネツィアは、自らがかつて親交を持ち、死後同地に葬られた大作曲家、ストラヴィンスキーの思い出にもつながって行くという設定になっている。劇中で使われるストラヴィンスキーの音楽はただ一か所、曲は「火の鳥」だ。子守歌から終曲に入ろうとする静かな部分だが、いつまで経っても終曲に入らず、同じ部分を繰り返している (笑)。作曲者が聴いたら怒るかもしれない。これも老いた肖像。
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そんなわけで、最後はまた音楽関係の話に戻って来てしまったが (笑)、繰り返して申し上げると、音楽の知識のない人でも充分楽しめる、大人の映画だ。記事を書きながら、ここで触れることのできなかったシーンもあれこれ頭の中に甦ってきて、大変楽しい。これを見ておけば、いつか来る人生のグランドフィナーレにおいても、"Youth" = 若さを持ってそれに対することができるような気がする。老後の平安のためにも、お薦めしておきます。

by yokohama7474 | 2016-06-04 00:32 | 映画 | Comments(0)