川端康成コレクション 伝統とモダニズム 東京ステーションギャラリー

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実はこの展覧会、週末に都内で少し空いた時間に見たものであるが、それは開催初日の 4月23日。その後、あっという間に 1ヶ月半が経ってしまった。だが私には計算があったのだ。鳴っては消えて行く音たちを追想するコンサートや、細部に作り手のこだわりを感じることもある映画、そして、鑑賞して行くうちに特定の画家の画歴にある感情を覚えることのある美術展などは、極力記憶が鮮明なうちに記事を書いた方がよい。ところがこの展覧会は一風変わっていて、展示されている美術作品は様々な作者によるもので、作られた時代も様々。個々の作品から感じるインパクトは当然あるものの、作品群の連続によって何か感情の流れが生まれるという性質のものではない。それもそのはず、これは、文豪 川端康成が集めた美術コレクションを中心とした展覧会であるからだ。なので鑑賞後に時間が経過してもそれほど影響はなく、しかも開催期間が 2ヶ月近くあるので、今から記事を書いてもまだ幾分は、これから鑑賞される方々の参考にはなるだろう。と、記事のアップが遅れた言い訳にこんなにスペースを使ってしまっております (笑)。

副題に、「知識も理屈もなく、私はただ見てゐる」とあるが、なんとも昔の文人らしい、カッコをつけた言い分ではありませんか。知識もあり、こねようと思えば理屈もこねられる人であるから、このようなキザな物言いが様になるのだろう。改めて、こういう文人が輝いていた時代は遥か過去になってしまったなぁと思う。まあ実際、川端ほどの鋭敏な感性で美術品を見ると、凡人がいかにがんばっても見えないものが見えるのであろうと思う。タイトルの「伝統とモダニズム」とは、まさに川端文学の神髄ではないか。
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3月13日の鎌倉に関する記事で、同地の覚園寺にある薬師如来を、自殺前日の川端が熱心に拝みに来ていたことをご紹介したが、恐らく彼の心の中には、純粋な美に対する憧れがあって、自分の鑑賞する対象が有名であるとか人気があるということは全くどうでもよく、自分の感性の赴くままに対象への思い入れを深める人であったのだと思う。この展覧会に並んだ彼の旧蔵美術品を見ていると、美との潔い対峙に、何か襟を正すべき思いを抱かざるを得ない。展覧会は、川端が所蔵した「現代美術」で始まる。最初は草間彌生だが、彼女の作品はよく知られているので割愛し、これをご紹介しよう。
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マーク・ロスコ? いえいえ違います。村上肥出男の「カモメ」という 1970年の作品。この画家は 1933年生まれで、未だ現存であるようだが、一般には全く知られていない名前である。もちろん私も知らなかった。ゴッホに憧れて単独で絵を学んだ画家であるが、肉体労働の傍ら絵を描き続け、銀座の路上で絵を売っていたところを彫刻家の本郷新に見出されたとのこと。その後パリでも賞を取るなどして活躍したが、1997年に自宅アトリエが全焼したことで精神に異常をきたし、今でも病院で療養生活を送っているらしい。川端は 1963年の文章 (「週刊日記」) で村上に言及している。当時村上は 30歳。なんの偏見もなく美に相対する川端の態度に恐れ入る。

もうひとつ、無名画家の作品。ベル・串田 (1913 - 1994) の「センチメンタル・ジャーニー - 神とともに」(1967年作)。
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同じ題名で 3作あるらしいが、1968年に銀座の日動サロンでこの画家の展覧会が開かれた際、そこを訪れた川端は、「この絵にはロマンがある。マチエールがとてもいい。私の書斎に飾っておきたい」と激賞した。その場では非売品ということで願いは叶わなかったが、数ヶ月後、画家自身から、ノーベル賞受賞記念として贈呈されたという。

それから、川端が高く評価した画家としては、なんといっても古賀春江 (念のため、男性です) の名を挙げないわけにはいかない。4歳年上の古賀と川端は、お互いの芸術に関して意気投合する仲であった。だがその交流は 2年しか続かず、古賀の 38歳での死をもって永遠に途絶えてしまった。川端が所蔵していた古賀の作品と言えば、このブログでも 1月11日のカマキンに関する記事でご紹介した代表作「窓外の化粧」が有名であるが、今回の展覧会では、古賀の小品が 10点ばかり展示されている。これは「煙火 (はなび)」(1927年) と、シュールな「海の幻想」(制作年不詳)。いかにも古賀らしいメルヘンが横溢しているではないか。
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それから、歴代の日本画家の中でも抜群の人気を誇る、東山魁夷の作品が多く並んでいる。私がこの画家がどうも苦手なのであるが、だがしかし思い出してみると、川端作品の新潮文庫の装丁はこの画家が手掛けていることが多かった。これは画家がやはりノーベル賞受賞記念で川端に贈呈した「北山初雪」(1968年)。情緒はありますね。
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さて川端と言えば、後年のいかにも日本的な作品を連想する人が多いかもしれないが、もともとはかなりのモダニストであるのだ。これは未だ旧制中学時代、1916年に 17歳の川端が描いた有名な自画像。痩せていたせいだろう、「するめ」とあだ名されていたらしく、これはまさに、するめ的自画像。
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上京して一高生 (と言っても分からない人がいるだろうか。第一高等学校、今日の東京大学だ) となった川端は、カフェの女給、伊藤初代と恋仲になる。文豪の内面が形成されるにあたって、この恋愛は重要なものであったようだ。最近も伊藤初代との書簡などの新発見があったと読んだ記憶がある。この展覧会でも、川端が初代にあてた手紙が展示されている。以下の写真から見ることができるだけでも、何やら恥ずかしくなるような初恋の煩悶 (笑)。未来の文豪をして「恋しくって恋しくって」と言わせしめた伊藤初代とは、大変なミューズであったのだろう。
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若い頃のモダニズムの川端も、興味尽きない。横光利一の親友として新感覚派をなし、衣笠貞之助のアヴァンギャルド映画「狂った一頁」に原作を提供した彼の顔も、また真実のものである。私も随分以前に「浅草紅團」を読んでその先鋭的なモダニズムに舌を巻いたものだが、当時の浅草の雰囲気を伝える見世物小屋のチラシなども、この展覧会には展示されている。
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さて展覧会後半は、落ち着いた (?) 川端の姿に触れることとなる。彼の収集した日本とアジアの古美術品の数々である。これは鎌倉時代の聖徳太子像。いわゆる太子の五歳像と言われるものだ。なかなかの優品ではないか。
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これはガンダーラ仏の仏頭。現在のアフガニスタンのハッダという遺跡から発掘されたものらしい。川端はこの仏頭を、自宅を訪ねてくる西洋人たちに見せ、古代の東西文化交流のシンボルとして紹介したという。うーむ、私が常々唱えているユーラシア大陸の文明の伝播のダイナミズムを川端も唱えていたとは、誠に勇気づけられる逸話である。
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日本の絵画に関しては、かなり枯れた趣味であったようだ。この写真は、土門拳の撮影になる川端の肖像。何やら熱心に台の裏に書かれた文章を読んでいる。
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実はこれ、与謝蕪村が制作した文台 (ぶんだい) なのである。蕪村は、京都の嵯峨野にあった大きな桐の木から文台を 3つ作ったが、そのうちのひとつを自分で愛用していたところ、弟子が欲しがるので譲ったという意味の文章が書いてあるらしい。実はこの写真に写っていても所在が判明していなかったところ、2009年になって鎌倉の川端邸から発見されたとのこと。この蕪村の書はどうだろう。堂々としてしかも洒脱ではないか。
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そして、川端が所蔵していた国宝が 2点、展示されている。ひとつは、与謝蕪村と池大雅の共作になる「十便十宜図」(十便は山中の営みを、十宜は季節・時間・天候の変化による楽しみを描く)。実は上の写真で川端の左右に無造作に置かれているのが、2冊で構成されるこの作品である。左の方では、すぐ近くに煙草が置かれている。あー、国宝を前に、一体なんちゅう危ないことを!! でもこの無頓着さがまた川端らしくもある (笑)。この「十便十宜図」、蕪村と大雅のコラボとなれば、楽しくないわけがない。以下は大雅の手になる十便のひとつ、「釣便 (ちょうべん)」。風流ですのぉ。
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川端所蔵のもうひとつの国宝は、浦上玉堂の「凍雲篩雪図」(とううんしせず)。
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玉堂の作品については、追ってアップ予定の出光美術館の「美の祝典 II」でも触れるが、なんともモワーッとしたものである。蕪村・大雅と同じく、文人画というか南画というか、独特の時代の感性をたたえている。この作品をまじまじと眺めてみて私は、日本人の芸術感の、曖昧ながらも闊達な自由さに改めて思い至ったのである。かつて日本人はかくも自由であったのだ。現代の我々は、ここから学ぶところが多いであろう。この作品、川端が購入した 2年後の 1952年に国宝に指定され、川端の眼力を証明するものとなっている。

さて展覧会の最後のコーナーは、川端が様々な文学者と交わした書簡である。それぞれに興味深いが、ここでは文句なしの第一級の文人 4人を紹介しよう。まずは谷崎潤一郎の新発見の書簡。谷崎は川端よりも 13歳年上だ。さすが、こんな達筆なのである。どんな耽美的な内容かと思いきや、京都に転居したこととか、「蓼喰ふ虫」の印税がどうのとある。ちょっと興ざめかな (笑)。
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そして次は坂口安吾の、これも新発見の書簡。坂口は川端よりも 7歳年下だ。さて、どんな破天荒な、堕落についての不連続な議論かと思いきや、川端から送られた犬 (コリー) が無事到着し、最初はグッタリして痙攣していたが、医者の到着前にケロリとして今はハシャイでいるという内容。うーむ、ここでも文学の書簡とはちょっと違いますな (笑)。写真のコリーは飽くまでイメージです。
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それから、最強の文学者登場。ほかならぬ三島由紀夫だ。川端よりも 26歳年下。よし、さすがにここでは、日本の伝統美についての命をかけた議論がなされているに違いない・・・。と思って見てみると、下田に行っただの、関西や九州に行くだの、またまた、全く文学と関係ない話題じゃないの!! まあしかしその失望は、随分前に読んだ川端と三島の書簡集で経験済だ。
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そして最後は誰あろう。太宰治。川端より 10歳年下だ。太宰が第一回の芥川賞を巡って川端と対立関係となってしまったこと (川端の「作者目下の生活に厭な雲ありて」という言葉の辛辣さ!!) は文学史上有名な逸話であり、その頃太宰が川端に送った手紙の実物というものも以前見たことがある。「刺す。そうも思った」という直筆の恐ろしい文章に、なんとも言えない情念を感じて忘れがたい。ここで展示されているのは、その憎悪が生まれる前の、芥川賞を熱望する内容の書簡。いかにも太宰らしい書きぶりの一部をご紹介する。
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このように、様々な文学者から慕われ尊敬された川端であったが、最後は自ら死を選んだのである。その内面は凡人には計り知れないが、ある意味、常に冷静に、自らの立ち位置をわきまえていた人ではなかったか。ここでは川端作品に対する私の思いを書き連ねることはしないが、最後に、彼自身による書をご紹介しよう。ノーベル賞のスピーチとも関係している内容だ。
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今の日本人は、少しでも川端の美意識に近づいたであろうか。この展覧会で見られる様々な「美」に、誰しもが彼の透徹した視線を感じるであろう。そしていつの日か「美しい日本」と冷静に呟けるよう、少しでも物事を見ては考えるというきっかけを与えてくれる展覧会であると思う。

Commented by PineWood at 2016-06-20 06:46 x
最終日に本展を観て来ました。評ぜずに唯、観るという川端康成の観想の姿勢や気に入った作品に(鮮麗)と形容する作家。そして文芸創作の中で美術品を静かに発酵させて行く(モダニズムと伝統)…。ステイション・ギャラリーに紅い煉瓦の壁に浮かぶ珠玉のコレクション展。流れる映像で、サトーハチローが川端康成文芸に流れる空気の清々しさを詩っていたのも印象的だったー。
Commented by yokohama7474 at 2016-06-20 22:34
> PineWoodさん
あ、私も実は最終日にもう一度出かけたのですよ。再度展示品を眺めながら、記事に書けなかったあれこれの事柄を考えていました。サトウハチローの語りの入った映像は、文豪の、老いてはいても凛とした存在感を感じさせて素晴らしかったですね。久しぶりに川端文学に浸りたくなりました。
by yokohama7474 | 2016-06-05 01:09 | 美術・旅行 | Comments(2)