ヤニック・ネゼ = セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団 (ヴァイオリン : 五嶋龍) 2016年 6月 4日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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米国東海岸、ペンシルヴァニア州のフィラデルフィアは、アメリカ合衆国が建国された後、一時期首都となった街である。つまり米国でも最も古い土地のひとつということになるが、この地を本拠地とするフィラデルフィア管弦楽団は、古くから米国を代表するオーケストラのひとつとみなされてきた。ご存知の方も多いと思うが、米国のオケでいわゆる「ビッグ 5」とは、アルファベット順に、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、ニューヨーク・フィル、そしてこのフィラデルフィア管弦楽団だ。かつて黄金期を築いたユージン・オーマンディ時代からたびたび日本を訪れており、現在の音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンとは 2年前にも来日している。実はこのオケ、リーマンショック後の不景気に直面して、2011年に会社更生法 (Chapter 11) を申請した経緯がある。平たく言えば倒産である。このオケの輝かしい実績を思うと、これは本当に衝撃的であったが、1年半で見事更生を果たし、ネゼ = セガンを新音楽監督として新たな時代に突入したわけである。

指揮者ヤニック・ネゼ = セガンは 1975年生まれ。現在最も活躍している若手指揮者のひとりであるが、今回のコンサート会場であるミューザ川崎シンフォニーホールには、このような貼り紙が。
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ほうなるほど。ジェームズ・レヴァインがついにメトロポリタン歌劇場 (MET) の音楽監督を辞任するというニュースは先般報道されていたが、ファビオ・ルイージが後任になるものとばかり思っていた。彼は MET の首席指揮者だが、音楽監督ではないわけだ。欧州の超名門、ドレスデン国立歌劇場でも、クリスティアン・ティーレマンが選ばれて袂を別ったルイージであるが、素晴らしい指揮者なのに、もうひとつ恵まれていない。セイジ・オザワ・フェスティバル松本では、今後なにかあるのだろうか・・・。

ルイージの話題はさておき、このネゼ = セガンである。私がロンドンに駐在していた頃には、ロンドン・フィルの首席客演指揮者で、聴こうと思えばチャンスはあったはずだが、結局実演に触れることはなかった。そもそも、この珍しい名前は、一体何人だよ??? と思ったものだ。答えはカナダ人。モントリオールの生まれである。
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私が彼の実演に接したのは、2013年のロッテルダム・フィルとの来日時だけである。その時の印象は、瞬発力のある職人的な指揮というもので、優秀な指揮者であることは分かったが、非常に小柄であることも含め、一部の宣伝文句にあるような「現代のカリスマ」という印象は、正直受けなかった。だが今回のフィラデルフィアとの公演で、そのイメージは一新だ。もちろん指揮者には職人性は不可欠だが、この指揮者には楽員を盛り立てる能力があり、その手腕は恐らくオペラでも発揮されるのではないだろうか。今回の演奏、素晴らしい出来であった。

曲目は以下の通り。
 シベリウス : 交響詩「フィンランディア」作品26
 プロコフィエフ : ヴァイオリン協奏曲第 1番ニ長調作品19 (ヴァイオリン : 五嶋 龍)
 リムスキー・コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35

会場にはまた、指揮者とソリストのサイン入りのこんなポスターが。サインが小さくてよく見えないかもしれませんが (笑)。
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一般的な観点からは、この演奏会の目玉は、人気者である五嶋 龍の登場であろう。彼が出演すると若い女性が殺到して、なかなかチケットが取れないという先入観があり、これまで実演で彼のヴァイオリンを聴く機会に恵まれなかったので、今回はその点でも楽しみである。だが、意外なことにホールにはかなり空席がある。1階席など、半分くらいの入りではなかったか。サントリーホールではこうはならないのかもしれないが・・・。

この演奏会の充実は、最初の「フィンランディア」冒頭の金管の輝かしい音の膨らみで、早くも明らかになった。木管が静かに唱和するのも大変にニュアンス豊か。そして弦の合奏が切り込んで来たときには、鳥肌が立ったものだ。これはあの素晴らしいフィラデルフィア・サウンドではないか!! そこで私が気付いたことには、今回の曲目の最初と最後は、古きよきこのオケの全盛時、オーマンディが好んで演奏した天下の名曲。ネゼ = セガンの目指すところは、やはりこのオケの伝統の復活ではないか。ただもちろん、今回のツアーの他の日には、武満があったりベートーヴェンの弦楽四重奏曲の弦楽合奏版があったりして、この指揮者独自の色を加えてもいるわけだが。

そういえば、2曲目の作曲家、プロコフィエフもオーマンディ得意のレパートリー。五嶋 龍のつややかなヴァイオリンを支えるオケは万全だ。
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この五嶋龍、子供の頃は五嶋みどりの弟として、実は姉にも匹敵する天才少年としてもてはやされたものだが、今年で 28歳になる。フジテレビが毎年成長過程を放送していたのを何度か見たが、その素直な性格とあっけらかんとした自己表現に、天才少年らしい天衣無縫さを感じたものである。だが、天才少年とはいわば人間とは別種の生き物。今や大人の人間としてヴァイオリンを弾く彼は、芸術家としての真価を問われている。今回のプロコフィエフは彼らしい大変素直な美しい演奏であったが、さらに皮肉のスパイスが効いていればもっとよかったかなぁと、少し思った。だがいずれにせよ、たまたま日本人であるだけで、彼は真の国際人。おまけに、プログラム記載の経歴で知ったのだが、なんとハーバード大学で物理を専攻していたのだ!! 物事を多面的に見るため、音楽バカにならない選択をしたということだろう。単なる音楽家にとどまらず、同時代に生きる人々に影響を与えて行ってほしいものだ。

そしてメインの「シェエラザード」であるが、これまた豪快さと細部のニュアンスに富んだ、強烈な演奏。曲の隅々に至るまで、指揮者とオケの信頼関係が明確に伝わってくる名演であった。早めのテンポで始まったものの、木管が纏綿と歌う箇所ではテンポを緩めてじっくりと音を響かせており、実に見事なメリハリであった。このオケの顔ぶれを見ると、木管を中心に、かなりベテランが多い。ということは、長くここで演奏している奏者が多いのだろう。それゆえに、オケの輝かしい伝統がからだに沁みついており、そこにこの若手指揮者が霊感を吹き込んでいるものと見えた。フィラデルフィア、新たな黄金期を形成中ではないだろうか。ところでこれが、昔懐かしい、オーマンディとこのオケによる「シェエラザード」のジャケット。この曲の主題であるアラビアン・ナイトの世界であるが、今はこんなジャケットはちょっと恥ずかしいでしょうね (笑)。
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白熱の演奏が終了すると、指揮者もオケも会心の笑顔だ。客席の一部ではスタンディング・オベーションも。ホールに集った者だけが共有できる充実感だ。そしてネゼ = セガンは花束を持って再登場し、東洋人と見えるピッコロ奏者のところへ。あとで分かったことには、この人は時任和夫という日本人で、1981年からこのオケで演奏してきたらしい。今回のツァーで引退ということだろうか。実は翌 6月 5日 (日) が彼らのツァーの最終日なのだが、その曲目を眺めると、どうやらピッコロは使われていないようだ。なので、今回がこのツァーでの最後のお勤めということになったのだろう。
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そして指揮者は「ドウモアリガトウゴザイマス」と客席に挨拶。「アンコール」という発音も、見事に日本語風。だがその後の「グラズノフ、プチ・アダージョ」という説明がよく通じず、客席からは「ん?」という声が漏れた。演奏されたのは、グラズノフのバレエ音楽「四季」の中の「秋」から、小アダージョ。非常に美しいメロディで、聴いていてちょっとプッチーニを連想するところもある(プチ・プッチーニ?)。あのように情緒豊かな演奏ができるネゼ = セガンなら、きっと MET で振るオペラも、充実したものになるのではないか。あ、それから、この人、かなり几帳面な性格のようだ。というのも、「シェエラザード」の演奏中、懐からハンカチを取り出し、汗を拭いたあと、丁寧に折り畳んでから、内ポケットにしまったからだ。あ、もちろん楽章と楽章の間でのことである(笑)。このような仕草からも、コンサートの雰囲気は形成されるものである。

そんなわけで、老舗オケが苦難を乗り越えて新たな時代に入っていることが実感できて、大変嬉しい思いをしたことである。今後ネゼ = セガンはやはり注目だ。ハンカチをきっちり畳んでの熱演、また期待します。
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by yokohama7474 | 2016-06-05 02:55 | 音楽 (Live) | Comments(2)
Commented by ヨシムラ at 2016-06-05 21:24 x
私も3日のサントリーホールでのフィンランディア、弦の合奏の美しさに唖然としました。LP全盛期の音を聴いたような気がしましたし、合奏というのは音量以上に幅を持った音を聴かせてくれるということ、音色の揃ったハーモニーの偉大さを感じました。
メトロポリタンオペラも選んだネゼ・セガン、さすがですね。ブルックナーも弦の美しさがベルリン・シュターツカペレとは違う世界を現出させていたと思います。
でも、お客さんは7割も入ってなかったと思います。アメリカのオーケストラには3万円出さないんですかね?残念なことです。隣の席のおじいさんがネゼ・セガンがネクタイしていない、無礼だ、とぶつぶつ言っていたのが何だかおかしかったです。
Commented by yokohama7474 at 2016-06-05 22:14
あ、サントリーでもその程度の入りでしたか。やはりネゼ = セガンの知名度が日本では今イチということなのでしょうかね。彼のブルックナーは、メトロポリタン管弦楽団というモントリオールの若手オケ (MET とは無関係 笑) と録音したシリーズをいくつか聴いていますが、やはりフィラデルフィアは別格ですね。
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