大野和士指揮 東京都交響楽団 (テノール : イアン・ボストリッジ) 2016年 6月 9日 サントリーホール

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今月の東京都交響楽団 (通称「都響」) の指揮台に立つのは、音楽監督の大野和士。2つのプログラムで 3回のコンサートを振る。これはそのうちのひとつだが、うーん、さすがに大野。凝りに凝った曲目である。私は彼のことを、日本の指揮者で最も知性と冒険心に富んだ人だと思っているのだが、これはどうだ。
 ブリテン : 歌劇「ピーター・グライムズ」4つの海の間奏曲 作品 33a
 ブリテン : イリュミナシオン 作品18 (テノール : イアン・ボストリッジ)
 ドビュッシー : 「夜想曲」から雲・祭
 スクリャービン : 交響曲第 4番「法悦の詩」作品54

もう一度唸ろう。うーん。これはすごい曲目だ。前半には 20世紀英国音楽を代表するブリテンの、これまた代表的な音楽を 2曲、しかもランボーの詩による歌曲集「イリュミナシオン」は、英国が誇る名歌手ボストリッジの独唱。そして後半は、フランスとロシアの感覚的な (もし「官能的な」という形容詞を避けるなら 笑) 作品。決してマニアックというほど希少な曲目ではないが、いかに慣れた耳にも、これは刺激的だ。しかも今回からプログラムには大野自身による曲目へのコメントが記載されていて、興味は尽きない。
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まず最初の曲は、ブリテンの書いた多くのオペラの中でも文句なしの代表作、「ピーター・グライムズ」の間奏曲 4曲である。このオペラには間奏曲が 6曲あるが、そのうち 4曲を選んだこの作品には、独立した作品番号が与えられていることから分かる通り、作曲者自身も組曲として認定していたということだ。冒頭の高音の弦楽器とフルートに始まる「夜明け」から、まさに荒れ狂う海のような「嵐」まで、それぞれに雰囲気の違う 4曲をうまく組み合わせてある。大野自身の言葉を引用する。

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一滴の水の音の表現が、ここまで人間の内面を描き出したことは今までにあったでしょうか。(中略) ブリテンのあまりに繊細で、それと同時に真実を見つめる鋭い感性は、この海の音を毎日耳にしながら生きている村の人々の、それぞれの内面をえぐり出しています。主人公グライムズの、孤独に苛まれ、時には我を忘れてどうしようもなく荒れ狂う姿が、海の凪から嵐の描写と重なります。
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ここでの都響は相変わらず好調で、多彩な表現を求められるこの曲の持ち味を充分に表現した演奏であった。大野の指揮には昔から、ある種のカリカチュア的要素があると私は思っていて、それがいかなる音楽にも平明さをもたらしていると思うのだが、今の都響のレヴェルであれば、その要求に充分応えることができるであろう。そのことは、次の曲目、「イリュミナシオン」でも改めて実感した。ここで登場した長身の歌手は、英国人で、歌曲を中心として活躍するイアン・ボストリッジ。
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彼については、今年 1月15日のダニエル・ハーディング指揮 新日本フィルの記事 (やはりブリテン作曲の「戦争レクイエム」について) で少し書いたが、その表現力には悪魔的なものすら感じる、大変な歌手なのである。その彼が歌うブリテンの歌曲集。もちろん悪かろうはずもない。だが私は、ボストリッジの歌に加えて、都響の弦楽器の多彩な表現力に感嘆したのだ。この曲はテノール独唱を弦楽合奏が伴奏し、木管も金管も登場しない。それにもかかわらず、最初の曲は「ファンファーレ」と題されていて、あたかも金管のファンファーレのような華やかさが演出される。第 1ヴァイオリンと、対抗配置にいるヴィオラの掛け合いの見事なこと。微妙な呼吸までぴったりだ。この曲の歌詞は、あのアルチュール・ランボーによるもので、フランス語だ。ボストリッジは、ある時はオケをグイグイ引っ張るかと思うと、またある時は、あたかもオケに欠けている管楽器ででもあるかのように、全体の一員として歌う。まあそれにしても、このランボーの歌詞の耽美的で、あえて言えば粗野なこと。ここでも大野の言葉を引用する。

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彼 (注 : ランボー) のこの世をはるかに超越した感覚により、異様な世界が繰り広げられています。(中略) ランボーの独特の才能は、光を見つめながらも、それと同時に、ある意味で逆行的な観点から沸き起こるイメージを展開させていると言えるのではないでしょうか。
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帰宅してふと思い立ち、文芸評論家 小林秀雄が若い頃 (1930年、28歳) に翻訳したランボー詩集など引っ張り出してページをめくってみたが、そのイメージの多彩なこと、この曲の弦楽器の使用法に通じるものがある。小林の訳では、題名の「イリュミナシオン」(これは当然英語で言うイルミネーションだ) は「飾画」となっている。ブリテンが選んだのはこの詩のごく一部だが、全 9曲中最初に書いた、ということは恐らく思い入れも最も強かったであろう、「美しい存在 (Being Beauteous と英題がついている)」の最後の部分を小林の訳で引用しよう。

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ああ、灰色の顔、楯形 (たてがた) の毛、水晶の腕。樹立 (こだち) と微風と交り合うなかを掻い潜り、俺が、躍りかからねばならぬ大砲だ。
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今回の演奏会のプログラムで初めて知ったことには、ブリテンがこの「美しい存在」を書いた 1938年頃 (作曲者 25歳頃) には恋愛している相手がいて、それは当時 18歳のヴルフ・シェルヘン。ヴルフとはヴォルフガングの愛称のようだが、ちょっと待った。それは男の名前ではないか!! いやいや、驚くには値しない。ブリテンが同性愛者であったことは周知の事実。ここで驚くべきなのは、このヴルフ・シェルヘンが、私が大変尊敬する指揮者、ヘルマン・シェルヘンの息子だということだ!!! これがヘルマン・シェルヘン。
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この指揮者は当時の現代音楽を意欲的に演奏した人で、私は彼の CD を大量に買いあさっているが、ブリテンを演奏したとは聞いたことがない。不思議なめぐり合わせもあるものだ。ちなみにこのヴルフ・シェルヘンさんは 1920年生まれで、プログラムによると未だ現存のようだ。すると今年 96歳ということになる。

さて、後半に入って、最初はドビュッシーだ。この「夜想曲」は彼の管弦楽曲としてはメジャーなものだが、実際には 3曲から成っているところ、今回はそのうち最初の 2曲だけの演奏。実はこのような演奏例は多く、その理由は、3曲目の「シレーヌ」には歌詞のない女声合唱が入って、その分コストもステージ上のスペースも必要であるからだ。この雲と祭の 2曲は著しい対照を成していて、前者がふわふわと空に浮かぶ雲の描写なら、後者は祭の行列が近づいては去って行くところを表している。またまた大野の言葉を引用しよう。

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彼 (注 : ドビュッシー) の音楽の中には、何か一つのものが絶対的力を持って中心役を務めるということは、ないのですね。常に物事は、3つや 5つの目で見られているようで、結果、すべて客観的役割を果たし、すべてのモチーフが、個性的な役割を果たしているので、ロジックに反するような音楽の展開も多く生まれてきます。
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なるほど。ドビュッシーの永遠の前衛性をうまく表現している。今回の演奏も、あちこちで漂ったり前進したりする音楽の多様性を聴きとることができた。但し、特に「雲」は、さらに鋭い感性で極限の世界を表すことも、このコンビならできそうな気がする。

そして最後は、スクリャービンである。その名も「法悦 (= エクスタシー) の詩」と名付けられた怪しい曲だ。トランペットが奏でる「法悦の動機」が浮かんだり消えたりして延々と音が続いて行く。大野の解説。

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極言することが許されるなら、この曲は、「法悦の動機」ひとつによって導かれている、と言うことができるでしょう。(中略) この動機は、出現してから最後の「法悦」までの約 20分間、全曲を目もくらむ勢いで貫いていくのです。
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この曲は最近あまり聴く機会がないように思うが、私がクラシック音楽を聴き始めた頃には、マゼール、アバド、メータ、ムーティ、バレンボイムという当時の若手有力指揮者が軒並み録音していたし、それに先立つ世代であれば、ストコフスキーとオーマンディという歴代のフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督の録音もあった。大野の言う通り、法悦の動機が全曲を最初から最後まで突っ走る曲であるゆえに、曲の凄みを出すためにはオケの力量が必要で、今の都響の充実した響きなら安心だ。まさにめくるめく演奏であり、最後の大音響では鳥肌が立つのを禁じ得なかった。スクリャービンは神秘主義者として知られるが、その神秘主義を本当に実感できる曲は、実はあまり多くない。だからこの「法悦の詩」のような怪しい曲で、彼の神髄に時折触れるのは意味のあることだろう。ただ、私はモスクワの街中にあるスクリャービンの旧居を訪れたことがあるが、別に神秘的な感じは何もしませんでしたがね (笑)。スクリャービンはこんな人。
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そんなわけで、大野自身の言葉によれば、海、光、雲 (祭)、法悦と並ぶ、音のイメージの極致とも言えるそれぞれの世界を、楽しむことができた。大野と都響には、東京を代表する顔として、今後も期待大だ。東京都のオケなので、「粉骨砕身」の都政運営を行うらしい都知事にも、その実力を聴いて頂きたいものだ。「クレヨンしんちゃん」を経費で落とすセコい楽員さんはいないくらい、士気の高いオケです !! (笑)

by yokohama7474 | 2016-06-10 00:44 | 音楽 (Live) | Comments(0)