アゴタ・クリストフ著 : 悪童日記

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この小説の作者はハンガリー人であるが、1986年にフランス語で発表された。そしてその内容の衝撃によって世界で読まれるようになり、上の写真にもある通り、映画も制作された (脚本・監督はヤーノシュ・サースという、やはりハンガリー人)。実は私は、2014年に日本公開された映画を先に見て、後からこの原作を読んだもの。これを読むと映画は原作を忠実になぞっていることがよく分かり、映画には映画のよさもあるものの、大体において原作の方が映画より面白いことが多い。それは、本を読むには映画よりも長い時間をかけて作品世界とつきあうからであり、また、登場人物を自らの想像力で心の中で動かす必要があるからでもあるだろう。むしろこの作品の場合、よくぞ原作の持ち味をあそこまで頑張って映画化したな、と映画の出来に感心するくらいである。

原作者アゴタ・クリストフは 1935年生まれ。2011年に既に物故している。
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この生年で明らかな通り、子供時代を戦争の中で生きた女性である。そしてまた戦後の東西冷戦にも巻き込まれるという人生を送ったわけであるが、そのような激動の時代を生き抜く逞しさを、後年になって小説に昇華したと言えるだろう。学生時代は数学好きの文学少女。そして 18歳で結婚し、女工として働く。1956年のハンガリー動乱の際に、20万人のハンガリー人が国境を越えてオーストリアに脱出したが、彼女とその家族もその中にいた。そしてスイスに移住、また女工として働き、貧しい生活を送る。やがて離婚、大学に通ってフランス語を学ぶ。家庭を切り盛りしながら深夜に執筆する生活に入り、最初はハンガリー語で書いていたが、1970年代からフランス語で書き始め、戯曲が地元のローカル劇団によって上演されたり、ラジオドラマになる。そして 1986年、初めて書いた小説が、この「悪童日記」というわけだ。既に 50を越えていたわけだが、やはり才能があり、かつ、もっと大切なことには、窮屈な生活の中でも濁らない視線があったのだろう。この「悪童日記」が世界的に売れた後、「ふたりの証拠」「第三の嘘」という三部作を書き上げた。

この「悪童日記」は世界中でベストセラーになったという。読んでみると分かるが、ここには戦争の悲惨さが痛いようなリアルさで描かれていて、なんとも陰鬱な思いにとらわれざるを得ないのだが、その一方で妙にユーモラスな要素 (ある場合には、絶望極まって、もう笑うしかないという開き直り) が全編を通して見られるので、結果として、戦争を起こす愚かな人間の姿と、その戦争の惨禍の中でも逞しく生き抜く人間の持てる力の双方に、読む人は圧倒されるのである。

映画を先に見てしまった人間としては、上記の通り、この原作の雰囲気をそのままに映画化したことに感動を覚えるとともに、その反面、原作ならではの優れた点を感じる。例えば、主人公は双子の男の子たちであって、映画では当然二人が出演しているのであるが、原作では、この二人はそれぞれの人格を与えられておらず、終始「二人で一人」という描き方 (一人称で書かれた小説であって、主語は常に「ぼくら」) であるのだ。多少想像力を逞しくすると、これは実は一人の主人公が、つらい生活からの逃避のために双子の片割れを空想の中で作り出したと考えても、あながち変ではないくらいだ。
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それから、映画の中では舞台はハンガリー、そこに駐留する将校はドイツ人ということが明確であったが、実は原作では舞台は明確にされておらず、ハンガリーの首都ブダペストとおぼしき街は「大きな町」、少年たちの暮らす田舎は、作者自身によるとハンガリーのオーストリア国境近くにあるクーセグという街がモデルらしいが、ここでは「小さな町」としか言及されない。敵国も、そして後半でその敵国から「解放」してくれる他国 (もちろん史実ではソ連であり、解放という言葉にカッコ書きをするのも当然意味がある) も、具体名は出てこない。これぞ文学の素晴らしさ。ここで描かれた人間の真実の姿には、国の特定は必要ないのである。残念ながら私がまだ訪れたことのないブダペストは、このような美しい街。
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それから、原作では映画よりも遥かにエグいシーンが沢山出てくる。文字では書けても、映像にすると醜悪すぎるような設定が多いのである。だが、これも文学の強みであろう、ひとつひとつのエピソードがそれなりに完結していて、全部で 62の短い章から成っている。その構成によって悲惨の連鎖という印象が薄れ、読者は戦争の悲惨さに心を痛めながらも、最後まで読み通すことができるのだ。この作品の原題は「大きなノートブック」という意味であるが、それは、少年たちが戦争下の自分たちの生活を赤裸々に綴った日記の様相を呈しているからであろう。その意味で、「悪童日記」という邦題は、うーん、ひねりは理解できるが、少し響きが楽観的に響き過ぎるような気がする。

余談だが、20世紀を代表する指揮者であったサー・ゲオルク・ショルティはハンガリー系ユダヤ人。1912年生まれだからアゴタ・クリストフよりも一世代上だが、やはり戦争に人生を翻弄されており、戦争中にスイスに滞在してから久しく母国に帰れなくなったのだが、父親とはその際にブダペストから列車に乗るときに別れたきり、一生もう二度と会えなかったと語っている彼のインタビューを見たことがある。この指揮者が感傷に無縁な強靭な音楽を終生奏で続けた裏に、そのような痛ましい経験があったのだ。平和な時代の我々には想像もできないようなことであるが、でも少しでもそのような逸話を知っていると、戦争を題材にした作品に接した際にも、なんとか想像力を巡らせることができるというものだ。

この小説、誠に恐るべき作品である。決して楽しい気分にはならないが、読む人の心になにがしかの強いインパクトを与えることは請け合いだ。また、こんな凄い作品を書いた人が独学の主婦であったことも、人間の持つ潜在能力に気付かせてくれるのである。日常に埋没することなく、感傷もコントロールし、曇りのない目で世界を見ること、それができるか否かはあなた次第、とマエストロ・ショルティもおっしゃっています。
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by yokohama7474 | 2016-06-11 00:35 | 書物 | Comments(0)