鈴木雅明指揮 東京交響楽団 (オルガン : 鈴木優人) 2016年 6月11日 東京オペラシティコンサートホール

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このブログでは、東京で体験できるクラシック音楽を飽きもせず (?) ご紹介しているが、今回の演奏会など、東京でしか聴けないようなものであろう。東京交響楽団 (通称「東響」) の演奏会であるが、指揮台に立つのはなんとなんと、日本が世界に誇るバッハ演奏の大家、あの鈴木雅明である。家人などはよく間違えていて、その度に訂正しているが、シャネルズの鈴木雅之ではない (笑)。昔から白髪頭で、その外見はまるでヨーロッパ人のようである。1954年生まれなので今年 62歳。見た目よりも意外と若くて、指揮者としてはいよいよこれからという年代だ。
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彼が神戸で結成した古楽器オーケストラ、バッハ・コレギウム・ジャパン (BCJ) は、既にバッハのカンタータ全集という気の遠くなるような偉業を既に成し遂げており、名実ともに鈴木は、世界で何人かしかいないバロック音楽の大家なのである。むむ、バロック音楽・・・??? 今回の曲目にはバロックは入っておらず、以下のようなもの。
 モーツァルト : 歌劇「魔笛」K.620 序曲
 モーツァルト : 交響曲第 41番ハ長調「ジュピター」K.551
 サン・サーンス : 交響曲第 3番ハ短調作品78「オルガン付」

なるほど。いやいや、私とても知っている。鈴木が古楽器オケによるバロックだけではなく、通常のシンフォニーオーケストラをも指揮することを。実際に過去には、東京シティ・フィルを指揮したマーラー「巨人」を聴いたこともある。だが正直のところ、その演奏にはピンと来ることがなかったため、鈴木がさらに進んで演奏したマーラーの今度は 5番 (!!) を、私は聴かなかったのである。だが今回の曲目はなかなか面白い。前半はウィーン古典派のモーツァルト。バロックの美学からはさほど遠からぬ作曲家である。だが後半はどうだ。フランス・ロマン主義の大家、サン・サーンスの代表作、交響曲第 3番である。食い合わせも悪そうだが (笑)、一体どんな演奏になったのか。

まず最初の「魔笛」序曲は、オケの各パートの混じり合いがなんともよい音を出していた。次の「ジュピター」もそうであったが、弦楽器のヴィブラートはほとんどかけられておらず、古楽器風のスタイルである。だが本当に大事なことは演奏のスタイルではなく、そこで鳴っている音楽の喜遊性なのだ。音の調和から始まり、笑い転げてひたすら進み、またまた厳かな雰囲気となるこの曲の持ち味を遺憾なく発揮した演奏であったと言えるだろう。だよな、パパゲーノ。ティリリリリ (パンフルートのつもり)。
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鈴木は短い指揮棒を持ち、オケの配置においては、第 1ヴァイオリンと第 2ヴァイオリンは左右に向かい合うのではなく、指揮者の向かって左側に並んでいる。その横にはヴィオラ、指揮者のすぐ右手にはチェロ、その奥にコントラバスという、近代オーケストラの基本形であり、いたずらに想像上の 18世紀を舞台に再現することはない。そう、鈴木はひたすら音楽で勝負するのである。もちろん、古楽風のこだわりはあって、例えば 2曲目の「ジュピター」では、ふた昔くらい前までは省略されることが多かった反復記号のある部分をすべて律儀に演奏していた。楽器について気付いたのは、まずティンパニは後半の曲目とは異なり、モーツァルトでは小さく堅めの音が出るものを使っていたこと。それから、トランペットが通常のものではなく、ピストンのついていない古雅なバロック・トランペットであったこと。東響は通常このような古いタイプの楽器は使っていないと思うので、どこからか借りてきたものなのであろうか。
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このように古雅な佇まいを持ちながらも彼の指揮ぶりは、実はバッハを指揮するときもそうなのであるが、非常に情熱のこもった熱いものなのであって、今回は東響の楽員たちがマエストロ鈴木への敬意を全身で表していたのが誠に心地よかったのである。鈴木の指揮するモーツァルトは初めて聴いたが、素晴らしいものであると思った。

だが後半の曲目こそ、この日の目玉である。サン・サーンスの交響曲第 3番。バッハの峻厳な音楽を好む人は、このシンフォニーを俗っぽいものとして遠ざけるのではないか。昔レコード芸術誌で交響曲の月評を担当していた教養主義の音楽評論家、大木正興は、カラヤンの指揮したこの曲のレコードが出たとき、かなりきつい言葉で作品と演奏の双方をけなしていたのをよく覚えている。確か、「カラヤンの履歴において決して名誉な録音ではなかろう」というような表現であった。ことほどさように、西洋音楽の神髄をバッハに見る人が軽蔑する曲を、あろうことか世界におけるバッハの権威である鈴木雅明が指揮する。こんなパラドックスがあるだろうか。聴き手の期待を軽々とかわし、自らの信念の赴くまま表現活動を続けるのが、名演奏家ならではの醍醐味ででもあろうか。しかもその試みには共犯者がいる。オルガンを弾くのは息子の鈴木優人 (まさと) だ。
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1981年生まれなので今年 35歳。クラシック専門チャンネルの「クラシカ・ジャパン」でもこの親子の対話が放送されていたが、見た目もメンテリティもかなりそっくりな親子であり、自然なかたちで親と子の信頼関係が存在しているように見受けられた。なにせこの鈴木優人、この若さで早くも少し白髪が混じっている。遠からず父のような風貌になるのであろうか。うーむ、本当に絆の強い親子である (笑)。

さてこのサン・サーンスも、鈴木の情熱が感じられる燃焼度の高い演奏であった。冒頭の漂うような弦楽器から、終了間際にパラパラと響き渡るトランペットまで (安心して下さい、吹いてます。いや、なにかというと、ここではバロック・トランペットではなく、通常の近代のトランペットが)、刻々と移り変わる音楽的情景を丁寧に描き出していた。この曲は 2楽章から成るが、それぞれの楽章が明確に 2部に分かれており、伝統的な交響曲の 4楽章構成がそのまま使われている。その中でオルガンが入る個所は、第 2部と第 4部。特に第 2部の入りは、オルガンが静かにオケを先導する。改めて実演でこの箇所を聴くと、作曲者の意図は、オケの表現力を延長するものとしてオルガンが使われているのだと分かる。またそのことに気付くのは、オルガンの演奏に落ち着きがあるせいではなかったか。このように、バロックの権威が描く音絵巻を私は大いに楽しみ、大団円では鳥肌立つのを禁じ得なかった。やはり演奏家の持ち味を先入観で決めるのは禁物であって、この鈴木親子の今後のさらなる活躍に期待しつつ、その期待がどのように裏切られるかも楽しみにしたい (笑)。

ところで私は 2007年、鈴木雅明と BCJ がロンドンでヨーロッパ・デビューを果たしたのを聴いている。ロンドンの夏の風物詩、プロムナード・コンサートの一環であり、開演はなんと 22時。遅い時刻にもかかわらず会場は文字通り満員で、演奏後の拍手も熱狂的であったのだ。
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今思うのは、このとき会場のロイヤル・アルバート・ホールに集った英国の聴衆の中で、後年鈴木がサン・サーンスの 3番を演奏しようと誰が予測したかということだ。恐らく皆無だろう。そう思うとなんとも痛快ではないか。こういうことが、たまにはあってもよい。ロンドンでは聴けない、東京だけの音楽の愉しみ。今後も意外性のある曲目、期待しております!!

by yokohama7474 | 2016-06-12 00:58 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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