ウラディーミル・アシュケナージ指揮 NHK 交響楽団 (オーボエ : フランソワ・ルルー) 2016年 6月18日 NHK ホール

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今月、つまり今シーズンの NHK 交響楽団 (通称「N 響」) 最後の定期公演のシリーズに登場するのは、桂冠指揮者のウラディーミル・アシュケナージ。2004年から 2007年まではこのオケの音楽監督を務めた名指揮者である。1937年生まれなので、えっ、ということは来年 80歳??? なんということ。小柄なからだを一杯に使って指揮をする姿は以前から全く変わらないし、指揮台とステージの袖の間を小走りで往復するのもそのままだ。上の写真で見る通り、60代と言っても通りそうな若々しさではないか。現在ではシドニー交響楽団や EU ユース管弦楽団の音楽監督も既に退いており、各地で客演指揮を続ける一方、つい先日も息子ヴォフカとのピアノ・デュオ・コンサートを日本で開くなど、過度にならない程度の (?) ピアノ演奏も続けているようだ。また今回、N 響との一連の共演を終えると、熊本地震復興のチャリティコンサートとして、洗足学園音楽大学の学生オケを指揮する予定になっている。

ただ、これだけ指揮者として充分な実績のあるアシュケナージも、日本に限った話であるか否か分からぬが、指揮者としてよりもピアニストとしての評価の方が未だに高いような気がするのは私だけであろうか。正直に言ってしまうと私自身も未だにそうで、情報量が多いのにピュアでクリアな音質の、彼のあの驚くべきピアノに比べれば、指揮の方は世界最高峰というイメージがない。こういう姿が懐かしい。
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いやいや、でもそれは聴衆な勝手な思いというもの。芸術家にはそれぞれ目指すものがあり、命を賭けて音楽を奏でているのだ。音楽家として間違いなく現代最高の人物の一人であるアシュケナージの音楽に、虚心坦懐に耳を傾けようではないか。今回の曲目は以下の通り。
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「ドン・ファン」作品20
 リヒャルト・シュトラウス : オーボエ協奏曲二長調 (オーボエ : フランソワ・ルルー)
 ブラームス : 交響曲第 3番ヘ長調作品90

実にオーソドックスな内容である。ドイツ物の伝統を持ち、現在の首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィとも R・シュトラウスの録音をシリーズで始めた N 響としても、桂冠指揮者との協演はまた違った味があることだろう。そんな期待に応えるかのように、最初の「ドン・ファン」は N 響らしい重心の低い演奏であったが、アシュケナージのいつもの懸命かつ丁寧な指揮ぶりで、オケも気持ちよさそうに演奏していた。もちろんアシュケナージであるから、驚くような仕掛けなど何もない。ただオケの力を前に推し進める手助けをしているような指揮と言えると思う。シュトラウスの絢爛たるオーケストレーションが炸裂、というイメージではなく、鳴るべき音がきっちり鳴っているという堅実なタイプの演奏であり、これがアシュケナージの音楽なのであろう。一定の充足感を胸に拍手をしていると、舞台下手奥にピアノが置いてあるのを発見。ん? 今日の曲目の編成にはピアノなど含まれていないはず。何か別の曲のリハーサルにでも使用してそのままになっているのだろうか。

2曲目も同じ R・シュトラウスのオーボエ協奏曲。ソロを吹くのは、現代を代表するオーボエ奏者である、フランス人のフランソワ・ルルー。
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一般のレパートリーで有名なオーボエ協奏曲と言えば、まずモーツァルトとこの R・シュトラウスということになるだろうし、私も録音ではそれなりに親しんで来た曲である (昔、ベルリン・フィルの首席奏者であったローター・コッホのソロをカラヤンが伴奏した録音もあった)。だが、この曲を過去に実演で聴いたことがあるか否か記憶が定かではなく、そしてこれがいつ頃書かれた曲であるのか、私はこれまでイメージしたことがなかった。しかるに今回のプログラムで、1945年、終戦直後に書かれたのだということを知り、不明を大いに恥じたのであった。シュトラウスの場合、ホルン協奏曲は 2曲あって、若書きの 1番と晩年の 2番の差というものがあるが、オーボエ協奏曲はこれ 1曲きり。重苦しいが薄日差す瞬間もある弦楽合奏のための「変容 (メタモルフォーゼン)」から、あの絶美の歌曲集「4つの最後の歌」への流れの中に位置する、晩年の作品であったとは。そう思って聴くと、これらの曲を思わせる旋律が一瞬出てくる瞬間が何度かあり、ただ古雅なだけの音楽ではないと再認識した。ルルーは体を大きく使って演奏し、危なげないテクニックで全曲を吹き終えた。そして聴衆の拍手の中、思わぬ事態が発生したのだ。先に私が不審に思った舞台下手のピアノが、スタッフによって舞台前面に移動させられているではないか。えっ、ここでピアノを弾くなら、まさか楽団所属のピアニストではあるまい・・・。そうして、ソロのルルーが大きな手振りで舞台袖から呼び出したのはやはりアシュケナージ。聴衆はどよめきの声を上げ、満場の拍手喝采だ。そうして始まったアンコールは、グルックの「精霊の踊り」。ルルーの表情豊かなオーボエを、アシュケナージのピアノがしっかりと支えてさすがである。小曲の伴奏だから、技巧を見せつけるような場面はなかったものの、図らずも「ピアニスト・アシュケナージ」を聴くことができた聴衆は大喜びだ。

コンサートには流れというものがあって、後半のブラームスは、このような盛り上がったムードの中で演奏されることで、音楽に熱が入って行くこととなった。この曲の冒頭は、音がうぁっと膨らんで雪崩れ込むようになる点が、最初の「ドン・ファン」と似ている。演奏も「ドン・ファン」同様、冒頭から熱狂の嵐ということではなかったが、質感のある音であり、音楽の進行につれ、徐々に音の劇性が増して行ったと思う。また、それ以降の楽章でも、いずれも後半にかけてパッションが濃くなって行ったように思われて、興味深かった。有名な第 3楽章のロマンティックなメロディも、下品になることなく、また重くなりすぎることもなく朗々とチェロが歌っていて印象的。強烈な個性が聴かれるというわけではないが、実にオーソドックスに丁寧に、ブラームスの練りに練られたスコアが音となって放たれることで、心に残る演奏となったのである。

アシュケナージの音楽は、恐らくこれから面白くなって行くのではないだろうかと、ふと思った。ピアノを弾いたら聴衆が喜ぶという状況は、きっとご本人も複雑な心境ではないかと思うが、ピアノも指揮もすべて、80に向かって、またそれを越えて、さらに深化して行くことを期待したい。これは数年前の共演の写真 (チェロの木越さんがまだいた頃)。来シーズンの登壇の予定はないようだが、これからも N 響の指揮台でお会いできることを楽しみにしております。
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by yokohama7474 | 2016-06-19 00:02 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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