五嶋みどり ヴァイオリン・リサイタル (ピアノ : オズガー・アイディン) 2016年 6月20日 サントリーホール

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このところの日本における数々の世界一流の女流ヴァイオリニストたちの活躍ぶりは、折に触れ実況中継 (?) して来たが、今年も上半期の終わりに近づいたところで、上半期総決算にふさわしい最強のヴァイオリニストが登場した。五嶋みどり。もちろん日本人ではあるものの、生活の拠点は長らく米国で、国際的には Midori の愛称で知られる。数年ごとに日本で開かれるリサイタルの機会はまさに「来日公演」と呼ぶのがふさわしい。ニューヨーク生活が長かったわけだが、10年前からはカリフォルニアに本拠地を移し、南カリフォルニア大学で教鞭を取る傍ら、財団活動や国連のピース・メッセンジャーという社会活動も活発に行っている。

前回の記事で、このコンサートの 2日前、土曜日に開かれた「レーピン & 諏訪内 & マイスキー & ルガンスキー」という夢の顔合わせ公演の入りが芳しくなかったと述べたが、それに引き換え今回は、月曜であるにもかかわらず、チケットは完売。サントリーホールは、満場の聴衆の期待で息苦しいほどだ。会場では指揮者の井上道義を見かけたが、実は彼は、2日前の夢の顔合わせ公演の客席にも姿を見せていた。オケのコンサートでは時々お見掛けするミッチーさんだが、室内楽のコンサートで、しかも立て続けにお見掛けするのは珍しい。でも東京で日夜行われている高次元の生演奏を、音楽家自身が聴きに来るということは、もっとあってもよいくらいではないだろうか。

さて、会場の入り口を入ると、1階の奥に 3つの大きな花束が飾られている。ひとつはこの通り、女優の吉永小百合から (ご本人はお見掛けしなかったが)。
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もうひとつは、作曲家の久石譲からのもの。これは、私も先日知ったのだが、今回の五嶋の「来日」中の 6月初旬に、久石の新作を彼女が初演したというご縁によるのであろう。NPO である ICEP という団体の「ミュージック・シェアリング」という活動の一環であるようだ。ICEP、ええっと、Information Center for Petroleum Exploration and Production、ではなくて (笑)、International Community Engagement Program の略である。ちなみに前者も実在の "ICEP" と名乗る団体で、石油や天然ガスの探鉱、採掘に関する情報収集を行う機関とのこと。でも、正しくは "ICPEP" だろうと突っ込みたくなります。まあこの記事ではあまり関係ありませんがネ。あ、それから、もうひとつの花束は、このコンサートのスポンサーであった某クレジットカード会社の社長さん名であった。スポンサーは誠にありがたいことではあるが、やはりこの記事にはあまり関係しないので、恐縮ながらこれ以上の説明は割愛させて頂きます。

さてそんな大盛況のコンサート、一体どのような曲目が演奏されたのか。
 リスト (オイストラフ編) : 「ウィーンの夜会」からヴァルス・カプリース第 6番 (シューベルト原曲)
 シェーンベルク : 幻想曲作品47
 ブラームス : ヴァイオリン・ソナタ第 1番ト長調作品78「雨の歌」
 モーツァルト : ヴァイオリン・ソナタ第 40番変ホ長調K.454
 シューベルト : ピアノとヴァイオリンのための幻想曲ハ長調 D.934

これは随分と渋い曲目だ。ブラームスは有名曲だが、それ以外、ドイツ・オーストリア系で揃えた曲目は、マニアックとまでは言えないが、誰もが知っていて口ずさむようなものではないだろう。さて、それもあってのことか、演奏前に五嶋みどり本人がステージに登場し、聴き手の山田美也子 (NHK FM で N 響の番組の司会をしているらしい) の質問に答えて、曲目についての説明を行った。まず、このコンサートで配布されたプログラムには、五嶋自身によるそれぞれの曲のかなり詳しい解説が載っているのだが、それは、以前予算の限られたコンサートで外部執筆者を雇う金銭的余裕がない企画のときに自分で解説を書いてみたことをきっかけに、以来よくやっているとのこと。最初のリストの曲とブラームスについてのページが以下。楽譜まで掲載する熱の入りようだ。
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尚この解説は、もともと彼女が英語で書いたものを翻訳したものであるらしく、プログラムには、「編・訳 : オフィス GOTO」とある。翻訳事務所かぁ、どこの後藤さんだろうと思って試しに検索してみると、五嶋みどりと五嶋龍の関連サイトの数々がヒットした。どうやら、後藤さんではなく五嶋さん、つまり彼らの母親、五嶋節が代表取締役を務めるプロダクションであるようだ。

さて、五嶋はそれぞれの曲についていろいろコメントしたのであるが、ここに詳細を再現する余裕はない。ただ、このプログラムの特徴として、歌曲や先人の曲などの、先行作品に基づく、あるいは先行作品から霊感を受けたものが多く、詩的で、しかもウィーンの雰囲気を持っているものばかりと説明していたのは興味深かった。なるほど、「幻想曲」が 2曲に、「カプリース (気まぐれ)」に、抒情的な「雨の歌」と、何か首尾一貫したものを感じる。

私にとって五嶋みどりのヴァイオリンは、その強い呪術性とまで言えそうな表現力ゆえに、特別な敬意の対象となってきた。技術はもちろん完璧なのだが、その鳥肌立つような集中力に、録音・実演を通じて何度も圧倒されてきた。あえて突飛な比喩を使えば、彼女のヴァイオリンは、信じられないほど延々と水中を泳ぎ続ける素潜りの水泳選手のようなもので、ずっとひとつの呼吸によって、確信を伴った揺ぎのない音楽が続いて行く点、感嘆するしかない。但し、若い頃の、まさに巫女のような神がかり的演奏から、最近では、万人により受け入れられやすいスタイルに、若干ながら変わって来ているようにも思える。今回の演奏でも、例えばブラームスの冒頭など、非常に強くコントロールされた弱音で、むしろそっけないような軽さで始まったものの、第 1楽章の後半では音楽は熱を帯び、感情のひだの中を深く深く潜水して行った。そうだ、ここで表現されていたのは、日常生活の中で我々が感じる喜怒哀楽のリアリティではなかったか。彼女は冒頭のトークで、この曲に表れたブラームスのクララ・シューマンへの思慕について触れていたが、ある意味でそれは分かり切ったことと言いたいものの、このような演奏を聴いて作曲者の心中に思いを巡らすと、これまで感じなかったものを感じることができる。五嶋自身のプログラムでの解説によると、ブラームスがここで引用した 2曲の自作歌曲の歌詞の一部は、以下のようなものだという。

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1. (雨は) 子供の頃の夢を呼び覚まし、純真で子供じみた畏敬の念で私の魂を濡らす (「雨の歌」作品59-3から)。
2. 雨粒と涙が混ざり、太陽が再び輝き始めると、草はさらに倍に青くなり、私の額を流れる熱い涙もさらに倍に燃える (「余韻」作品59-4から)。
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うーん、オフィス GOTO の訳は若干逐語的で堅い感じもするが (笑)、ブラームスがこの曲に込めた感情の深さを実感することができる。
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ことほどさように、ほかの曲でもそれぞれに、何かに憑かれたような音楽というよりは、人間の感情の機微を思わせる要素を感じることができた。例えばシェーンベルク作品にしても、十二音音楽を難しいものと思わずに素直に耳を傾ければ、音から音への進行がどこに向かうのかを感じることができ、モーツァルトやベートーヴェンと変わらない素晴らしい音楽なのだと実感できるはずと説明していて、実際にその丁寧な演奏によって、一見感情を排除したような十二音音楽にも、やはり感情表現はあるのだと証明していたように思う。

リスト作品は、オイストラフの編曲に少し手を加えたものであるらしく、ピアノの活躍の場もあって、伴奏者のトルコ人、オズガー・アイディンも活き活きと演奏していたし、ピアノとヴァイオリンが拮抗するモーツァルト作品もしかり。そして面白かったのはシューベルトである。彼はヴァイオリンのソナタも協奏曲も書いておらず、この曲もそれほど耳にする機会は多くないが、死の前年に書かれており、晩年のシューベルト独特の茫洋とした規模の大きさと、そこに漂う憧れと諦観、そして不安がないまぜになった感覚に心打たれる。そして最後は自らを鼓舞するような、とってつけたような明るさで終わるところも、むしろ逆にシューベルトの孤独を感じさせて悲しいのだ。五嶋の演奏はそのような交錯する感情をそのままに表現したものであり、そのことを感じた瞬間に、このコンサートの曲目にはいずれも深い人間感情が表現されていることが感得され、改めて深い感動を覚えたのだ。

そして、そのような感動を念押しするかのようなアンコール。まず、クライスラーの「愛の悲しみ」が始まり、その抑えた表現ぶりから、きっと続けて「愛の喜び」も弾くのではないかと、私は漠然と思ったのであるが、案の定そうなったのである。そうなのだ。音楽には感情を表現する力がある。生きていれば、悲しみもあれば愛もある。そのメッセージこそ、今の五嶋みどりから感じるべきものなのではないか。

このコンビによるこの最近の録音を私も持っていて、ブロッホ、ヤナーチェク、ショスタコーヴィチという、ユダヤと東欧の音楽を楽しんだが、やはりそこには感情の流れがあった。今回の生演奏によってそのことを再確認できて、意味深い経験となった。
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ある音楽家の奏でる音楽を継続的に聴いて行くことで、一貫したものと変わらぬものとがあることに、やがて気が付くことになる。それも音楽を聴く大きな楽しみであり、東京では、五嶋のような特別な音楽家によってその楽しみを与えられる機会が、ふんだんにあるのだ。素晴らしいことではないか。

by yokohama7474 | 2016-06-21 01:23 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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