滋賀県旅行 その1 石山寺、常楽寺、長寿寺、安土城址ほか

琵琶湖が日本最大の湖であるとは誰もが知るところ。水あり山あり歴史ありの素晴らしい場所である。だが、特に首都圏からは少し距離があることもあってか、週末を過ごすリゾートとして大人気かと言えば、どうもそうではないように思う。今回と次回の記事では、そのような風潮に一石を投じるべく(?)、歴史探訪の観点から琵琶湖周辺の興味尽きないスポットをご紹介しよう。まず、これが滋賀県の地図。その面積の約4割を琵琶湖が占める。今回私が旅したのは、南端の大津市に始まり、東側を北上したところにある近江八幡市と彦根市。そして彦根から船に乗って、湖の北端に近い場所にある竹生島 (赤丸をつけたあたり) にまで足を延ばした。山登りやマリンスポーツは今回は楽しんでいないが(笑)、歴史好きにはたまらない場所であることをお分かり頂けるような記事にするつもりです。
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さて、子供の頃からのお寺好きであった私にとってこの地域は、これまでにも何度も訪れているなじみの場所である。だが今回、ここを再訪することを思い立った直接の理由は、本屋でこの本を見かけたことだ。
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昨今の仏像ブーム(?)を反映して、最近は雑誌の類でもかなりマニアックな内容の非常に美しい特集記事を目にすることがあるが、さしずめこれなどはその代表ではないだろうか。エイ出版社という出版社は最近仏像関連の本をあれこれ出しているが、この「超保存版」はまた大変凝った作りになっている。なにせ、「勅封秘仏 三十三年に一度特別公開!」である。これを見たら誰しも絶対行きたくなるではないか。いや少なくとも私は、33年後に生きているか否か分からない。これを逃してなるものかと、新幹線に飛び乗ったのである。

琵琶湖の南端近く、京都から遠からぬ場所にある石山寺には、これまでに4度ほど訪れているが、西国三十三か所の霊場としても知られ、由緒ある大変素晴らしいお寺である。月見の名所としても有名であり、紫式部が源氏物語の構想を練ったところでもある。現地に辿り着くと、件のご本尊の特別開扉についての各種表示が見られる。
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ここには「日本唯一の勅封秘仏」とあるが、つまりは天皇の許可がないと開扉できないという意味だ。なにせ33年に一度、本当に貴重な機会なのであるが、今回は上のポスターにある通り、3月から12月までと長い期間に亘って公開して頂けるのがありがたい。過去には将軍や天皇の要請で開扉したり、最近でも寺の記念行事などで開扉されるケースがあって、実際には33年待たずとも拝観機会がある可能性はあるが、まあ、だからと言って一般庶民が「拝観したいんです」と声を上げれば見せて頂けるものではないので、この機会にあらゆる善男善女に現地に足を運んで頂きたい。このご本尊如意輪観音、もともとは天平時代に塑像 (いわば粘土) で作られたものが焼失したので、平安時代後期に再度木造で作られたのが現在の像であるとされる。国宝に指定されている本堂は 1096年の再建であるので、このご本尊もその頃の作と考えるのが妥当であろう。藤原時代の優雅さもありながら、天平時代のオリジナルの彫像の古風な雰囲気を伝えるために、細身ではなく、大柄な手足で造形されたのではないかとの説があるらしい。美麗というよりは親しみやすく頼もしい観音様だ。オリジナルの造形は、岩盤の上に座っておられる点にも表れている。1000年の時を越え、色彩も鮮明に残っている。
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また興味深いことに、2002年に石山寺開基1250年を記念してご本尊が公開された際に奈良国立博物館による調査が行われ、ご本尊の胎内から4体の古い小金銅仏が発見されたとのこと。また、天平時代の最初のご本尊のわずかに残された足先の部分も、今回本堂内にて見ることができる。長い寺の歴史を語る生き証人たちだ。
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なおこの本堂には、紫式部が実際に籠って「源氏物語」の構想を練ったという部屋が残されていて、そのイメージが沸くような人形が展示してある。
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そしてこの寺の特徴的な風景はと言えば、寺名の由来となったこの積み上がった硅灰石だ。これは石灰岩が高音マグマで熱変性したもので、その峩々とした奇岩の風景には何か神秘的なものを感じる。
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硅灰石の上に建つのは日本最古の多宝塔。源頼朝の発願により1194年に建てられたとされ、国宝である。ただ古いというだけでなく、その姿の美しいこと。方形の初層の安定感に対し、思い切って絞り込んだ円形の第2層の対比が顕著である。
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さて、石山寺を後にして向かったのは、湖南三山と呼ばれる寺のうち、常楽寺と長寿寺である。比叡山の影響下に仏教文化の花開いたこのあたりでは、当然のように天台宗の寺が多いが、信長の焼き討ちもあったものの、結構山奥にある大きなお堂を持つ寺が今日にまで残っているケースが多く、なんともありがたいことである。それらは多くの場合国宝に指定された本堂や、ある場合には三重塔を持ち、重要文化財の貴重な仏像を伝えている。琵琶湖の東岸にある湖東三山が、紅葉の名所としてもかなり知られているが、比較的最近になって「湖南三山」という名称で3ヶ寺を売り出そうという動きが見られる。3ヶ寺のうち善水寺は少し離れていて、私はたまたま去年も訪れているので今回はパスし、常楽寺(西寺)と長寿寺(東寺)の2ヶ所を訪れることとした。

常楽寺には素晴らしく堂々たる本堂と三重塔があり、ともに国宝。
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本堂の中には重要文化財の二十八部衆が立ち並び、壮観である。等身大の半分くらいだが、明らかに三十三間堂の二十八部衆(こちらは等身大)の造形をコピーしている。滋賀県の天台寺院でよく見られる古色蒼然とした佇まいに、襟を正したくなる。
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だが悲しいことに、檀上には2ヶ所、空いている空間がある。それらはかつて盗難に遭ってしまい、未だに戻って来ていない仏像たちだ。実際には3体が盗まれたそうだが、阿修羅像1体だけはその後戻ってきたらしい。仏像の盗難は一時期かなり頻繁に発生していたが、これら一群の仏像は、幾星霜を経て守られてきた一か所にすべて揃ってこそ意味がある。常楽寺の失われた2体も、早く発見されることを祈りたい。この寺は住職おひとりで管理されているとのことで、今ではセキュリティも厳しく設定されているが、その設備や注意書きを目にするだけで、何やら悲しい思いにとらわれてしまう。

一方の長寿寺であるが、こちらの本堂も国宝。常楽寺のものよりも小ぶりであるが、年代は少し遡るだろう。内部には重文の釈迦如来と阿弥陀如来が安置されている。またここで珍しいのは、池の中の小島に建てられた弁天堂。室町時代のもので重文だが、このような庶民信仰の対象がこのようなかたちで残っているのは貴重であろう。
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それから、本堂裏手の収蔵庫には丈六(釈迦の身長1丈6尺=4.85mを基準としたサイズで、座像の場合はその半分、8尺=2.43m前後の高さの仏像を指す)の阿弥陀如来が安置されている。堂々たる体躯の藤原仏である。
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長寿寺のすぐ横に隣接する白山神社にも重文建造物がある。室町時代に建てられた拝殿。奥の高いところにある本殿を礼拝する場所であるが、壁面が格子だけでできている。祭礼時には人々がここに集まったり、舞を奉納したりするのであろうか。週末でも観光客に乱されることのない清澄な空気が漂っている。
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さてここから向かったのは、安土である。言わずとしれた、織田信長の安土城があった場所である。だが実は私はこの場所を未だかつて訪れたことがない。というのも、歴史の荒波の中でわずか3年で灰と化してしまった安土城はその痕跡すらもなく、その地に足を運んでも意味がないと長らく思い込んできたからだ。だが近年発掘が進み、もともと信長が築いた空前絶後の城がいかなるものであったのか、一部の復元とともに理解できるようになっているらしい。というわけで、近江八幡市へ北上した。CGによる安土城天主閣のイメージはこんな感じだ。城郭の建物の上に、夢殿のような朱塗りの柱を持つ六角堂とその上の金色の最上層がスポッと差し込まれたような極めてユニークなもの。さてこの在りし日の姿をどこまで偲ぶことができるものか。
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まず立ち寄ったのは、JR安土駅の前にある安土城郭資料館。銭湯ではありませんよ(笑)。
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ここには1/20スケールで復元された安土城の模型があるのだが、最初に安土城に関するビデオ上映を見たのち、この模型が真っ二つに分かれて、詳細に復元された城の中をじっくりと見ることができるのだ!!
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この城の上層部2階分は、別の場所で実物大模型で復元されているので追ってご紹介するが、ここでの見ものは、その下の層の作り。なんと吹き抜けになっていて、下の方には宝塔が据え付けられている。これはすごい。まさに意表をつくアイデアである。
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カメラを近づければ、建物の中の光景も追体験することができる。この模型は非常に精巧にできていて、壁画もすべてそれらしく描かれている。あっ、上層部からひとりドヤ顔で下を覗いているのは、信長公その人ではないですか!! この模型、いつまで見ていても見飽きない。
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だが、あまりグズグズしているわけにはいかない。とにかく現地に行ってみよう。安土城址。写真ではただ荒れ果てた石段が山の中に登って行く風景だけである。まあ全く何もないところだろうから、日差しも出て暑くなってきたことでもあり、ちょっと立ち寄るだけにして、在りし日の天下の名城に想いを馳せるとするか。おっと見えてきましたよ、それらしきところが。
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だが、ここから少し登って行くとそこには料金所があり、500円を払ってその先に上がって行くことを知った。ここで私に何かが憑りついた。この壮絶な歴史の舞台にせっかく来たのであるから、山の頂上にある天守閣跡まで踏破せよ。そんな声が聞こえたのである。いや、なにも500円払ったから惜しくなったわけではありませんよ(笑)。ともかく私は、このような石段をダッシュで駆け上り始めたのだ。
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このあと訪れた「安土城天主 信長の館」でのビデオ上映で初めて知ったのだが、これは山の中腹まで続く大手道と呼ばれる道で、このようなイメージであったようだ。
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大手道の両側には家臣たちが居を並べていたという。登り始めて間もないところに、右側に前田利家屋敷跡、左側に羽柴秀吉屋敷跡がある。だが、百万石大名も天下人の太閤様も、ここには何の痕跡も残しておらず、ただの空き地である。
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驚くのは、この石段のところどころに、ほかの場所から持ってきた路傍の石仏とおぼしい石が見つかることだ。それだけ急いであらゆる石材をかき集めてきたということなのか。それとも、仏教の古い権威に立ち向かった信長の、確信犯的悪魔的所業であるのか。滋賀県教育委員会の説明書きでは、「本来は信仰の対象となっていたものですが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存しています」とのこと。
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直線の大手道が中腹で終わり、そこからまた果てしない登りが。全身から汗が噴き出てくるが、ここまで来れば頂上まで行くしかない。
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息を切らせて平らな場所に辿り着く。おっとこれは天守閣跡か? いやいや、信長の廟所とある。こんなものがあるとは知らなかった。だがこれはきっとさして古いものではないだろう。詣でる人が全くいないように見える。
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あ、少し先に数段の石段があって、向こうから光が差している。あの場所こそ、天守閣の跡地に違いない!!
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果たしてそうであった。かつて信長も見渡したであろう眺め。汗まみれの登頂であるが、歴史の大きなロマンを感じるためには、この汗も気にならない。・・・せっかく入場料500円払ったし。
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ところで私はここまであえて「天守閣」という普通の城に使われる用語を使ってきているが、実は安土城に限っては「天主」の言葉を使うらしい。この言葉は文字通り、デウスつまり神のことであり、バテレン文化の花開いたこの城にはふさわしいように響くし、自らが神になることをもくろんでいたと言われる信長にもふさわしいのであるが、「天守閣」の方が一般的な用語であるので、引き続きそれを使用のこととする。

そして汗だくのまま車に乗って目指したのが、「安土城天主 信長の館」である。ここには、1992年にスペインのセヴィリアで開かれた万国博覧会の際に復元された安土城の天守閣の上層部の原寸大模型が保存されている。これは一見の価値ありだ。わずか3年しかこの地上に存在せず、永遠に失われてしまった特別な空間を、ここへ来れば体感することができるのだ。現地の、あのきつい山道を歩いてきたあとであれば一層、このきらきらしさが心に迫るはず。
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ここではCGで当時の様子を疑似体験することもできるし、信長が徳川家康をもてなした際の献立を再現してあるなど、興味は尽きない。

ところで、昔日本史の授業で、「コレジオ」「セミナリヨ」という言葉を習ったものだ。前者はもちろんCollegeという意味で、高等教育を行う場所。後者はSeminarで、こちらは初頭教育を行う場所だ。安土では文化施設にこのような名前をつけている。これ、安土以外でつけるとちょっと違和感ある名前ですけどね(笑)。
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信長が作らせた当時のセミナリヨの跡があるというので探してみた。住宅街と農地の間にあって大変分かりにくいが、いつもは方向音痴で鳴る家人が、細い道で迷いそうになったときに「絶対こっちだ」と言い張るのでその通りに行ってみると、ありましたありました。やはり神のお導きがあったものと見える。
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全く何もない場所だが、かつてここで日本で初めて讃美歌が、つまりは日本で初めて西洋音楽が流れたのかと思うと、大変に感慨深い。実は安土一体は以前は琵琶湖の内海であって、城の近辺も湿地帯であったとのことだが、このあたりに来ると、今は川になっている箇所がその名残であると分かる。このセミナリヨのあった場所には石垣が組んであるので、物資を船でここまで運んでくるようなこともあったのかもしれない。それもまた、永遠に失われた風景だ。
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実はほかにも、安土城跡の横で法灯をつないできた摠見寺(その三重塔は、今回訪れた湖南の長寿寺からもともと移築してきたものだ)や、浄土宗の浄厳院、近江源氏ゆかりの沙沙貴神社(ささきじんじゃ、全国の佐々木姓の発祥の地であるとか)など、今回訪問できなかった名所が数々ある。また近江八幡市には、近江商人ゆかりの地や伝道師で建築家でもあったウィリアム・メレル・ヴォーリズの旧跡等、ほかにも見どころが盛りだくさんだ。近江観光、まだまだ奥が深い。

こうして充実感を覚えながらも今後の課題を胸に秘め、その日は大津まで戻って一泊したのでありました。

by yokohama7474 | 2016-07-22 14:50 | 美術・旅行 | Comments(0)
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