滋賀県旅行 その2 竹生島、彦根周辺 (佐和山城址、大洞弁天堂、龍潭寺、清凉寺、天寧寺、彦根城)

前日の石山寺と安土城址探訪の疲れもあったが、琵琶湖周辺の歴史を求める旅の2日目も、ボヤボヤしてはいられない。この日の目玉はふたつ。まずひとつは、これまで行きたくてなかなか行けなかった、琵琶湖の北端に近い場所にある竹生島 (ちくぶじま)。もうひとつは、これは過去何度も訪れているのだが、とある理由があって彦根城に行きたい。そしてそのついでに彦根近辺の寺や、石田三成の居城であった佐和山城址を見て回りたい。これはまたかなりの強行軍である。実は、大津近辺のホテルから朝、車で出発しようとして、早くも「しまった」と思ったのだ。竹生島に行くための船便を探すと、ほとんどは湖東の長浜か、湖西の今津というところから出ている。西側にはあまり観光の対象となるものはないので、乗るならやはり、秀吉が初めて城を構えた地、長浜からであろう。ネットで「竹生島 クルーズ」で検索すると出てくる琵琶湖汽船の運航図は以下の通りだ。やはり、長浜と今津からしか運航されていない。
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だが、大津から長浜までの距離は優に 60kmを越える。長浜9時発の便には間に合わない。その次は10時15分発で、今度は少し時間を持て余してしまう。どうしよう・・・と悩んだ私の頭に、ガイドブックのうちのひとつに書いてあった竹生島への生き方、つまり「長浜または彦根から船」という箇所が浮かぶ。長浜だけでなく、彦根からもあるはず。彦根なら大津から少しは近いし、その後の観光も効率的だ。調べてみると、彦根からだと9時45分発の船がある。これは好都合!! やはりいかなる場合にも捨て目を効かせて、プランBを考えておくことが重要だ。ということで走り出したのだが、それにしても琵琶湖は広い。大津から彦根まで、あれだけ高速道路で北上しても、まだ半分くらいなのだから・・・。

さて、辿り着いた彦根港の観光船乗り場。朝からそれなりに人数が集まっている。竹生島以外に、多景島 (たけしま) にも船が出ている。
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そして、いざ憧れの竹生島へ!! 船は波を切って爽快に湖の上を進んで行く。海の上ではないので揺れはほとんどなく、船酔いすることもない。船内は冷房も効いていて快適だ。
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ここで竹生島について少しご紹介しよう。周囲2kmほどの小ささだが、古くからの霊場として知られている島だ。
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この島には大別して3つの顔がある。まずひとつは、水の神であり技芸の神である弁天様を祀っていて、日本三弁天のひとつである(ほかのふたつは、安芸の宮島と、江の島)。次に、観音信仰の対象として、西国三十三か所の札所ともなっている。そして最後に、秀吉ゆかりの建造物を移築して来ており、寺と神社の双方に国宝の桃山建築を持つという極めて稀な例であるということだ。現地に宿はなく、船で往復すると半日がかりなので、これまで訪れることができないでいたのだ。さて、彦根から船に乗ること40分。島の南東にただ一か所だけある桟橋に到着。この島のほかの箇所はすべて切り立った岸壁になっているのである。桟橋を降りると、もう何十年も変わっていないような土産物屋が何軒かあって、その先に神社仏閣へと続く石段がすぐに現れる。
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狭い島であり、石段もかなりの急こう配で、登って行くのにはかなり骨が折れる。しかしながら、前日の安土城址での拷問のような石段を経験した身としては、余裕とまでは行かないが、まあ大丈夫だ。そうして石段を登り切ったところに見えてきた弁天堂。古く平安時代から弁天信仰の対象となってきた神聖な場所である。明治の神仏分離後は、一応所属としては宝厳寺に所属しているが、弁天は、もともとインドの神が日本に入り、水を対象とした自然崇拝と結びついたもので、神社に祀られても何の違和感もない。この建物は戦時中に完成しているようだが、その物資不足の困難な時代と、島の最奥部というハンディを思うと、大変な規模の労作である。
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弁天堂前から少し石段を上るとそこには、平成12年にできたばかりだが、なかなか立派な朱塗りの三重塔があり、宝物殿がある。琵琶湖の見晴らしもなかなか爽快だ。
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さてそれから少し石段を下り、宝厳寺の観音堂へ。この堂は重要文化財だが、そこへの入り口として立っているのが、初対面を楽しみにしていた唐門(国宝)だ。しかしながら、残念ながらこの門は現在改修中で、華麗な外観を見ることはできない。
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やむなく、その外観の写真を公式サイトから拝借して来よう。この唐門は、秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部と言われ、現存する秀吉の大阪城の唯一の遺構であるらしい。その後京都東山の豊国廟の門となったが、秀頼の命によって1603年にこの竹生島に移築されてきており、観音堂本体はその時に桃山様式で建造されたようだ。
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かなり色あせてしまってはいるものの、観音堂ともども、もとは絢爛豪華な桃山建築であって、その名残は今でも充分に味わえる。改修中の薄暗い中でも、このような装飾を間近で見ることができたのは大きな喜びだ。
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そして、ここから都久夫須麻(つくぶすま)神社へ続く回廊があり、それは一説に秀吉の御座船の材を利用したものと言われ、舟廊下と呼ばれて重要文化財に指定されている。外から見ると舞台作りになっているのだが、この空間構成にはほれぼれする。絶対に改修工事が終わってから再訪する必要ありだ。
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そうして都久夫須麻神社の本殿に到達するのだが、これまた見事な桃山建築で、国宝だ。これも豊国廟からの移築で、一説にはもともと伏見城の遺構であるともいう。やはり秀頼が移築したもの。これを見ると、日光東照宮は日本美術における突然変異ではなく、桃山建築からの流れであると考えたくなる。ただ、桃山建築の遺構が少ないゆえに、そのような流れが見えにくだけなのではないか。
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この本殿の前からは青い空と湖が美しい。かわらけ投げを楽しんでしまいました。湖に面した鳥居あたりに落ちて、そのまま野ざらしになっても環境には影響ないのだろう。
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さて、島内散策時間は70分。決められた帰りの船に乗って、12時15分頃に彦根に帰着。近江牛の昼食を取って午後の観光への体力回復を目指し、そうして向かった先は、石田三成の居城であった佐和山城址。大河ドラマ「真田丸」の影響もあって三成に興味ありと唱える家人が、どうしても行ってみたいと主張するので、その意見を尊重したものだ。だが、関ケ原後に彦根にやって来た井伊直政とその息子直継が、三成の「お古」を嫌い、この場所からほんの数km離れた場所に彦根城を新たに建造するために、佐和山城の石垣や木材を根こそぎ持って行ってしまったため、現在では何も残っていない。山の中腹に城址を示す看板があり、麓に天守閣の模型が飾られているのみ。土塁が残っているところも少しあるそうだが、そちらへは行くことができなかった。尚、これから触れる龍潭寺の境内から裏山を通って天守閣跡に達するハイキングコースは整備されているらしいが、かなり荒れた古い墓地の中を延々と登って行くことから始める必要あり、若干気分が滅入ったこともあって、今回は断念した。
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ここで面白い場所を発見。大洞(おおほら)弁材天堂とも呼ばれる長寿院というお寺である。龍潭寺からさらに少し山の中に入ったところにある。もともとは彦根城の鬼門除け(東北の方向を守護)として1695年に、彦根藩第4代藩主、井伊直興によって創建されたもの。道理で、寺の門からは彦根城が正面に見える。
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ここは純然たる寺とは若干様相を異にしており、門にいるのは仁王ではなく毘沙門天と堅牢地神、その裏には白虎が2匹。門の上には大黒天が実に4,000体祀られているという。
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そして重要文化財に指定されている弁天堂の装飾の華麗なこと。この寺を創建した第4代藩主、直興は、5代綱吉将軍の時代、1688(元禄元)年に日光東照宮の修復のための総奉行を命じられて現地へ赴いている。従ってこの寺の装飾は、直接日光の影響を受けて作られたものなのであろう。
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堂内の写真撮影は禁止となっているので撮れなかったが、相当に護摩を焚いていると見えて、内部はかなり煤けてしまっている。だがそれが堂内になんとも凄まじい空気を作り出していた。また、非常に珍しいことに、手前の礼拝用スペースから数段の階段を一旦下がって、その奥にいまします本尊、弁財天像安置場所を仰ぎ見るような構造になっている。外からの写真で分かる通り、2棟の建物がつながったような形式で、神社風ではあるが、なんともいえない独特の神秘的な雰囲気が醸し出されていた。
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また、隣に建つ阿弥陀堂は県指定の文化財であり、これもまた装飾性豊かなもの。中には入れないが、内陣中央には眠り猫のような彫刻があるらしい。
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境内には係の人の姿も見えず、閑散とした感じであったが、ちょっとほかにない雰囲気の、忘れられない場所でした。さてそれから麓の龍潭寺(りょうたんじ)へ。鬱蒼とした森の中に存在しているような印象だ。
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この寺は近江随一の禅の道場であったらしく、多くの学僧を擁し、また多くの造園家を世に出したとのこと。実際にこの寺の方丈の南には枯山水の、書院東庭には池泉回遊式の庭があり、それぞれに美しい。京都さながらの雰囲気である。
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方丈の襖絵56面を手掛けたのは、芭蕉の門人として蕉門十哲に数えられた森川許六(きょりく)の手になるもの。絵の方も狩野安信に学んだとのことで、俳人の余技の域を越えている。
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ところで石田三成の墓所はどこにあるかご存知だろうか。私も知らなかった、というより、徳川時代に墓所を作ることなどとてもできなかったろうと思うのだが、実は京都の名刹、大徳寺の三玄院という塔頭にあるらしい。調べてみると、拝観謝絶の寺(大寺院の塔頭には結構多い。第3の曜変天目茶碗を所有する龍光院も、やはり大徳寺の塔頭で、非公開寺院だ)であり、三成の墓所に詣でることはできないらしい。だがこの龍潭寺で珍しい写真を発見。三成の墓を明治41年に改葬した際に撮られた頭蓋骨。歴史の冷酷さを感じる。
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この龍潭寺からほど近いところにある清凉寺は、井伊氏の菩提寺。初代直政の死後にその墓所として創建されたが、もともとは石田三成の家臣、嶋左近の屋敷跡とも言われる。三成に「過ぎたるものが二つあり。嶋の左近に佐和山の城」と謳われるほどの人物であったという。三成が三顧の礼をもって家臣に迎えたということらしいが、それにしても三成も、散々揶揄されるのは気の毒だ。敗者なのでやむないのであろうが・・・。と思って嶋左近のことを調べてみると、なんとなんと、滋賀県の誇るゆるキャラ、ひこにゃんの引き立て役(?)キャラクターで、「しまさこにゃん」なるものの存在を発見。これがこの2人(?)のツーショット。むむむ。滋賀県恐るべし。ちなみに、「いしだみつにゃん」というゆるキャラもいるらしいので、興味のある方は検索されてみては。私はまだこの記事に書くべきことがあるので、先に進みます。それにしても、しまさこにゃん・・・。滋賀県の子供たちは、嶋左近の名前が親しいものなのだろうか・・・。
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ええっと、清凉寺の話でした。このような立派なお寺である。ちょっと暑かったこともあり、井伊家の墓所がどこにあるかまでは調べることはできなかった。
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そろそろ彦根城に向かった方がいいんじゃないの、という声が聞こえるようですが、まだまだ。彦根の歴史遺産は非常に奥深いのです。というわけで、これも前から行きたかった天寧寺に向かうこととした。ここで有名なのは五百羅漢。
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以前、目黒の五百羅漢寺をこのブログでもご紹介したが、ここにあるものはそれよりも時代が降り、また寸法も小さいものの、実際に500体の羅漢と釈迦、十大弟子が並んでいるのは壮観としか言いようがない。この寺の開基には悲しい逸話がある。井伊家第13代直中(あの直弼の父だ)の時代、男子禁制のはずの藩の下屋敷の腰元が妊娠。問い質しても父親の名を絶対に口にしなかったため、死罪となった。だがその後判明したことには、姦通相手はわが長男、直清であった。つまり直中は自らの初孫の命を摘んでしまったことになる。1828年、この母子の菩提を弔うためにこの寺が創建され、京都の仏師、駒井朝運にこれらの羅漢像を刻ませたとのこと。今調べてみると、この直清は長男ではあったものの、病弱であったため14歳で廃嫡され、1811年に20歳で死去している。彼の行状についての資料はないが、一体どのような人物であったのか。ちなみに藩主の地位は、その後直中の三男、直亮が継ぐが、実に十四男という順位であった直弼は、のちにこの直亮の養子となることで、次の藩主の地位に就くのである。

天寧寺はこのように、井伊家の内部的な事情と関わる存在であるゆえ、直中以降の各藩主から愛されたようであるし、井伊直弼が大老として桜田門外で斃れたあと、血染めの遺品を目立たぬように持ち帰り、四斗樽の中に詰めて埋め、そこにこの供養塔を建てたという。
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そもそも井伊家は、初代直政が、徳川四天王のひとりとして、交通の要所である近江の国にやって来てから明治維新まで一度の転封もなく、直弼の前にも幕府の大老職を5人も出している名家である。その居城である彦根城が日本を代表する城として残ったことは本当に意義深い。城を訪れる前に彦根と井伊家の歴史に触れられる場所を訪れたからこそ、その感慨は深いものがあった。彦根城博物館には、国宝彦根屏風という名品があるものの、通常は毎年春に公開されるようで、今回は見ることは叶わなかった。だが、重文に指定された数々の井伊直弼の遺品が大変興味深かった。和歌をしたためているのはまあ常識的だが、戒名を自分でつけたりもしている。彼の墓所は豪徳寺にあるようだが、この戒名、使われているのだろうか。
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「ほっとけや」というご本人の声が聞こえるような気もしますが(笑)。
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さあそして、夕刻に近づいて爽やかに晴れ渡った空をバックに、ついに今再びの彦根城へ。
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旅先で歴史に触れ、帰宅してから歴史に想いを募らせることもある。家人は谷崎潤一郎の「盲目物語」を取り出し、その舞台が竹生島であることを再確認してから読み返し始めた。今回一緒であった兄は、渋谷の映画館の特集でかかっていた溝口健二の「西鶴一代女」の冒頭のシーンで、田中絹代がふらふらと入り込むのが天寧寺であることを発見。そうして私はというと、昨年、永田町から日比谷方面にブラブラ歩いている際に発見した井伊家の屋敷跡の井戸のことを思い出していた。これは、車で通りかかっても絶対に分からないのであるが、また、普通ここを歩いて移動する人なんてまずいないのであるが(笑)、内堀通りが湾曲している国会前の交差点のあたり、このこんもりした森が、江戸時代後期の井伊家上屋敷跡である。ここから振り返ってみると、桜田門は本当に目と鼻の先だ。ほんの数百m。でも命を取られるときは、移動距離が何百kmだろうと何百mだろうと関係ない。雪の降る安政7(1860)年のあの日、井伊直弼は、ほんの数百m先の江戸城に、ついに生きては辿り着けなかったのである。
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この井伊家の屋敷はもともと加藤清正の屋敷であったらしく、その屋敷内に昔清正が掘らせたという「桜の井」という名の井戸が、今もポツネンと残っている。
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都内の真ん中で、ほんのわずか、歴史の残り香を嗅いだ瞬間、神秘的な気分を味わった。我々の日常に一瞬だけ風穴が開き、そして何事もなかったかのようにいつもの時間が戻ってくる。

ここで私は白状しなければならない。なぜ今回彦根城に行きたかったのか。もちろん、井伊直弼の具現する日本の近代化の悲劇に想いを馳せるという意図もあった。だが、より直接的な理由は、我が家のガラクタ「世界遺産」コーナーに展示してあるガジェットの中で、国宝の城としては、姫路城、松本城、犬山城はあるのに、彦根城は未だなかったのである!! もちろん、最近国宝に昇格した松江城のガジェットもないが、以前未だ重文の頃に行ったきりなので、また次回訪問時に買えばよいと考えている。ところが彦根城は、昨年行ったばかりなのに、ガジェットを買い忘れてしまったのだ!! そんなわけで、今回無事、土産物屋が閉まる直前になんとかゲットすることができ、ほっと一安心だ。
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お、そこで軽蔑したような目で見ているのは誰だ。ま、まさか、いしだみつにゃん・・・???
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by yokohama7474 | 2016-07-23 02:14 | 美術・旅行 | Comments(0)
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