アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団 2016年7月25日 サントリーホール

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7月も最終週に入り、そろそろ音楽シーズンも終わりかと思いきや、昨日まではチョン・ミョンフンが東京フィルで情念一杯の「蝶々夫人」を採り上げていたことは既にご紹介済であり、それに加えて、まだこの顔合わせ、アラン・ギルバートと東京都交響楽団のコンサートが残っていたとは!! 実は昨日、私が今年の1月に書いたこのコンビの前回の演奏会の記事に何十もアクセスがあって、どうしたことかと思いきや、私が昨日オーチャードホールでプッチーニの抒情に溺れていたちょうどその頃、サントリーホールではこのコンビのマーラーが鳴り響いていたわけである。昨日の演奏についての論評を知りたくて検索した結果、既に古新聞となった1月の、しかもやたら長い記事(笑)に辿り着いた方々には、大変申し訳ありませんでした。

アラン・ギルバートは日系アメリカ人で、天下のニューヨーク・フィルの音楽監督だ。つまりは昨日の記事の主人公、チョン・ミョンフンと同クラスの世界一流のステイタスを誇る指揮者である。東京はついに、このクラスの指揮者が同じ日に別の在京オケを振るような高い水準の音楽都市になったということである。この点はなんらの誇張もなく、事実と認識されたい。
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あ、それから、前回の記事で私が憤りを表明しておいた淋しい客席の入りであるが、今回はほぼ満席であったので、その点では大変嬉しかった(笑)。さてそれでは、そのギルバートが今回、東京都交響楽団(通称「都響」)との三度目の共演に選んだ曲目は何であったか。
 モーツァルト : 交響曲第25番ト短調K.183
 マーラー : 交響曲第5番嬰ハ短調

周知の通り、モーツァルトが生涯で書いた50曲ほどの「交響曲」というジャンルにおいて、短調の曲はたった2曲しかない。この25番と、それから有名な40番。どちらもト短調である。そして、その40番の方は、偶然ながらつい先日、7月21日にチョン・ミョンフンと東京フィルが演奏している。ついでながらチョンと東フィルは、今日のメイン曲目であるマーラー5番も、今年2月26日に演奏しているのである。いずれも人気曲なので、たまたまそういうことになっているだけであろうが、東京で鳴り響いている音楽の質の高さを、再度強調する理由づけにはなるだろう。また今日は、ギルバートと親しい友人である指揮者の大友直人の姿も客席にあった。これは今年の1月、大友が音楽監督を務める群馬交響楽団にギルバートが客演したときの様子。
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さて、私見ではニューヨーク・フィルは未だに世界でも最もプロフェッショナルなスーパー・オーケストラのひとつなのであるが、そこの音楽監督を務めるとなると、多様なレパートリーへの順応性が求められるに違いない。従って、ギルバートのレパートリーとしてモーツァルトがどの程度中核をなすものか分からないが、当然素晴らしい演奏を聴きたいし、実際私が以前ニューヨークで聴いた彼のハイドンなどは、小股の切れ上がったなかなかの秀演であった。今日のモーツァルトはどうであっただろう。正直私はここでは、手放しの絶賛は留保しておこうと思う。この曲らしい疾走感のある演奏ではあったが、弦を主体とするアンサンブルの、より精緻かつ有機的な音の絡みを聴きたかった気がするからだ。管楽器も、今の都響なら、もっともっとニュアンス豊かに演奏できるのではないだろうか。何もギルバートが大柄だから音楽もおおざっぱと言う気は毛頭ないが、期待が強かったせいか、全体的に平板なような気がしてしまったのである。うーん、聴き手の立場から気楽に発言するのは気が引けるが、音楽とは本当に難しいものである。

音楽ファンは先刻ご承知の通り、日本のオケはマーラーの演奏頻度が高く、中でも都響は、歴代のシェフにマーラーを得意とする指揮者が多かったこともあり、そのマーラー演奏には定評がある。若杉弘、ガリー・ベルティーニ、エリアフ・インバルのもとで何度もマーラーの交響曲全曲演奏に取り組んで来た実績は、他の在京オケと比較しても冠絶している。特にインバルとの最新のマーラー・ツィクルスはすべて録音され、音楽評論家も(先般亡くなった辛口評論家、宇野功芳ですら)唸る名演揃いであった。その意味で、都響は間違いなく日本を代表する世界的なマーラー・オーケストラである。だが、ちょっと待て。歴史的背景を含めた世界有数のマーラー・オーケストラを挙げるとするなら、ギルバートが音楽監督を務めるニューヨーク・フィルは必ずその筆頭に挙げられる存在だ。なにせ、作曲者自身、作曲者の弟子であるブルーノ・ワルター、そして20世紀にマーラー・リヴァイヴァルを成し遂げた立役者レナード・バーンスタイン、それから、やはり20世紀の最高のマーラー解釈者となったピエール・ブーレーズらが歴代の音楽監督を務めているわけであるからだ。そう思うと、19世紀以来の歴史における世界有数のマーラー・オーケストラの音楽監督が、21世紀に世界に認められる実績を作った日本のマーラー・オーケストラを指揮するこの機会に、興奮を禁じ得ないのである。これは1910年、死の前年にニューヨークを歩くマーラーの姿。
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さて、この曲の冒頭のソロトランペットのファンファーレは、指揮者によってきっちり振る人と、キューだけ出して奏者に任せる人がいるが、今回のギルバートは前者。ソロとはいえ、細かい表情づけを目指したものと思われた。だがしかし、ファンファーレの後のトゥッティが、意外と決まらない。それに続く葬送行進曲は、テンポはしっかりしているものの、どういうわけか、あまりギリギリと心に迫ってくる感じがない。マーラーには独特の音楽との一体感が必要であると私は思っていて、以前同じ曲でチョン・ミョンフンの熱演にごくわずかな違和感を覚えたのも同じ感覚なのであるが、今日のギルバートも、例えば同じオケでインバルが何度も聴かせてくれた、あたかもマーラー自身が呼吸をしているような一種の夢幻的な感覚(オケが鳴るとか鳴らないとは違う感覚)までは、残念ながら感じることはできなかった。部分部分には、都響の素晴らしいソノリティに耳が刺激される瞬間もあったものの、マーラーの表現している、したたかな演技をも含んだ世界苦は、なかなか立ち現れて来なかったと思う(もちろん私の主観なので、違う感想を持たれた方も大勢おられよう)。第2楽章、第3楽章も、素晴らしい音が鳴ったときもあれば、第3楽章のホルン合奏の一部のように、あまりキレイでない音が鳴ったときもあり、正直なところ、もうひとつ乗り切れないと思っていたのだが、音楽とは面白いものだ。第4楽章アダージェットの後半、弦楽器が大きな盛り上がりを見せる場面で、突然私の胸に何かがググっと迫ったのである。そして音楽はそれから終楽章のロンドに入り、きれいごとでは済まされないオケの献身的かつ攻撃的な演奏によって、ついに大きな視野が開けた気がしたのである。終わってみれば素晴らしい感動。本当にライヴは面白い。聴く側の体調や心理的な面も影響しているだろうが、私としては今日の演奏は、あのアダージェットの最後の部分で何かが変わったように思われたのであった。鳴っていた音楽の印象としては、例えば同じマーラーのクック編曲による第10番全曲版の終結部に出て来る、あの世界の終わりのような絶美の弦の上昇シーンが、早くも5番に立ち現れたようなイメージであった。今でもあの音が耳に残っている。

実は今日のプログラムを読むと、曲目解説の箇所にわざわざ、「今回の演奏では、アラン・ギルバートとニューヨーク・フィルのボウイングを使用します」と書いてある。ボウイングとは、弦楽器の弓の上げ下げのこと。よくコンサートマスターが決めると聞くが、ここでわざわざこの断り書きを入れた理由は、これまでこの曲の演奏で都響が採用してきたボウイングとは違うものだったのだろう。それも演奏には何らかの影響があったかもしれない。それから、これは大変面白いのだが、ステージに向かって右側の席にいた私には、ハープ奏者を斜め横から見ることになったのだが、その横顔が、どうも日本を代表する世界的ハーピスト、吉野直子に似ているような気がして仕方なかったのだ。もちろん都響にも専属のハーピストはいるだろうし、さすがにここに吉野直子が登場するのは変だと思っていたのだが(サイトウ・キネンの演奏会ではあるまいし)、プログラムのメンバー表を見ると、なんとハープ奏者名の記載はないのだ。だが、ソリストを招聘しているとの記載もない。そこで帰宅してから都響のフェイスブックを見たところ、なんとなんと、やっぱり本当に吉野直子なのであった!! これは驚きだ。でもなんでプログラムに記載がないのだろうか。世界的名手に失礼ではないか?!
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まあそんなわけで、図らずも東京のコンサート事情の侮れなさを再認識する結果となったが、以前も書いた通り、ニューヨーク・フィルを退任したあとのアラン・ギルバートには、少しでも多く来日の機会を作ってもらって、都響との関係を深めてもらいたいものだ。余談だが、彼の後任として2018年からニューヨーク・フィルの音楽監督に就任するのは、オランダ人のヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。もともとヴァイオリニストで、オランダの名門、コンセルトヘボウ管のコンサートマスターだ(記憶違いでなければ、バーンスタインがこのオケを指揮したベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の録音でソロを弾いているのが彼であったと思う)。現在はダラス交響楽団の音楽監督という、正直それほどメジャーではないポストにいるので、天下のニューヨーク・フィルに栄転とは、ギルバート抜擢時に続く、これまたビックリの大抜擢なのであるが、実は私は彼の生演奏を一度だけ聴いたことがあって、それはロンドン・フィルを指揮した、やはりここでもマーラー5番!!だったのだ。それは実に鳥肌立つような個性的かつ壮絶な演奏で、これはすごい指揮者だぞと思ったものである。その意味では、ニューヨークの音楽界は今後、この小柄な怪人指揮者によって刺激的になるものと思う。東京も負けてはいられませんね!!
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by yokohama7474 | 2016-07-25 23:31 | 音楽 (Live) | Comments(4)
Commented by あむ at 2016-07-28 05:30 x
ズヴェーデンの記述について一言申し上げますが、
ダラス交響楽団の名前を出す前に貴方もアジア人ならばズヴェーデンが香港フィルの常任指揮者であることを第一に書くべきではないでしょうか。
ズヴェーデンは今現在も香港フィルの常任指揮者で活発な演奏活動をしています。
貴方は欧米の方ばかりに目が向き過ぎているように思います。

ズヴェーデンの音楽作りは積極的なのでニューヨークフィルに行ったらギルバートよりは成功すると私は思います。
Commented by yokohama7474 at 2016-07-28 18:33
> あむさん
コメントありがとうございます。なるほど香港フィルですか。以前エド・デ・ワールトが音楽監督であったことは知っていましたが、今はズヴェーデンだとは寡聞にも知りませんでした。2代続けてのオランダ人音楽監督ということになりますね。ご指摘の通り、欧米のみならず、アジアでのクラシック音楽の活況ぶりをもっと視野に入れて行くようにしたいと思います。またお立ち寄り下さい。
Commented by KIX at 2016-07-30 18:09 x
ギルバートの演奏は恰幅のよい響きがしますね。
でもその響きの中に内面性を感じさせることがあまりないように思います。
悪く言えば響きだけであまり中身がない演奏のように思います。
その意味でもギルバートはまだまだこれからの人だと思います。
Commented by yokohama7474 at 2016-07-30 22:26
> KIXさん
コメントありがとうございます。アラン・ギルバートが素晴らしい才能を持つ指揮者であることは間違いないと思うので、まだまだこれから、日本でも実演に触れる機会が多くなるとよいですよね。よろしければまたお立ち寄り下さい。
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