井上章一著 : 京都ぎらい

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京都のイメージにぴったりの抹茶色のカバーに、デカデカと「京都ぎらい」と題名が書いてあり、しかも、「新書大賞2016 第1位」と謳い文句が出ている本が積んであるのは、書店を覗くといやでも目に付くものである。しかも副題が「千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く」と、これまた刺激的。ここで「全部」という漢字ではなく、「ぜんぶ」とひらがなになっているあたりも、いかにも京都らしい柔らかさがあって、これはどうやら、京都人が自らの故郷を非難する本であろうと察しがつく。なんと言っても日本でいちばんの観光地であり、昨今では海外から旅行者の人気の的である京都に関して、一体何がそんなに問題であるのか。

実は私がこの本を手に取った理由は、キャッチーなこの装丁だけではなく、この著者の名に覚えがあったからだ。井上章一。この本における肩書は、「国際日本文化研究センター教授」とある。この教育機関のことはよく知らないが、調べてみると、哲学者の梅原猛が初代所長、心理学者の河合隼雄が第 2代所長を務めた機関で、日本文化の研究に携わる錚々たる研究者たちが顔を揃えているようだ。この井上氏は1955年京都府生まれ。京都大学工学部建築学科及び同大学院修士課程修了。もともとは建築の専門家であるが、これまでの著書には「現代の建築家」という専門そのままの本もあれば、「霊柩車の誕生」「美人論」から、果ては「阪神タイガースの正体」という本まで含まれる、熱狂的タイガースファンであるらしい。実は私は以前この人の著作を1冊読んでいて、それは「つくられた桂離宮神話」という本なのである。さらに言えばその本を読む前に、2冊ほど関連する別の本を読んでいた。今本棚からそれら3冊を出して来よう。
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桂離宮は、ほぼ同時期、17世紀前半に造営された日光東照宮の極めて高い装飾性との対照において、その簡素な精神性に日本美の極を見るとする論調が歴史的に主流である。この井上氏の著作では、その論調を作り出したドイツの建築家ブルーノ・タウトに異を唱え、そのタウトの考察が戦時体制においてナショナリズムの高揚に利用されたということが述べられている。私自身は、ブルーノ・タウトの名前と桂離宮神格化については、30年以上前、高校生の頃に読んだ、それこそ梅原猛の著作で知ったのだが、桂離宮を初めて参観したのはそれから10年以上経ってからだった。一方で、その頃には既にモダニズム建築に対する興味も芽生え、また外国人から見た日本文化にも興味があったので、自然にタウトの著作に親しむこととなった。そうなると今度はそのアンチテーゼとしての井上氏の本に興味が沸いた、という順番であったわけである。そうして読んだ井上氏の言説を、大変面白いと思ったのであった。実証的な論の展開は大方忘れてしまったが、あとがきに紹介されたエピソードが面白くてよく覚えている。引用しよう。

QUOTE
私は、桂離宮の良さがわからないと、正直にまず書いた。無理解を前提にしながら、仕事をすすめてきたのである。この態度は、しかし多くの同業者から、つぎのように批判されてきた。
「桂離宮がわからないようなやつに、建築史を研究する資格なんかない」
「桂離宮を語るのなら、美の本質に肉薄すべきだ。それをないがしろにするのは、邪道である」
いまでも、「井上です」と自己紹介をしたときに、からまれることがある。「君か、桂離宮がわからんなどという暴言をはくのは」、と。
UNQUOTE

著作を世に問うに当たって、これほど正直に自らの立場を明確にできるとは、大変勇気のいることである。世の中には常識というものもあれば良識というものもある。実はそれらと、先入観、集団への帰属意識、他人から白眼視されることへの恐怖、といったものとの距離は、意外と近い場合もある。私はこの井上氏の「つくられた桂離宮神話」を読んで、やはり何事も自分の直感を大事にすべきであること、そしてごく自然な感性で物を見ること(つまり、他人がよいと言うからよいのではなく、自分がよいと思うからよいのだという素直な信念)を学んだのであった。もちろん、私自身が桂離宮を美しいと思うか否かとは別問題として(笑)。
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そんな中、久しぶりにこの著作家の本を読んでみたのだが、この語り口には覚えがある。いや、この本の方が格段に口語的で読みやすい。誰でもが読み通せるだけの平易な内容であるがゆえに、新書大賞なるものを受賞するのもむべなるかな。内容は要するに、洛西の嵯峨という京都「府」出身の自分が、実際に京都の中心である洛中生まれの人々から見れば「郊外」の生まれとしてしか扱われないことへの積年の恨みに端を発し、京都というこの複雑な土地柄における坊主と姫の歴史的関係(?)、訪問者を歓迎するために庭園を発達させた寺院の歴史的機能、初期の江戸幕府の寺院復興への貢献、足利尊氏の天龍寺創建は後醍醐天皇の霊魂の鎮魂のためである等々、聖俗取り混ぜたとりとめない京都論が展開する。ここに記載されている場所にイメージのある人なら、なるほどなるほどと思う箇所が多々あることだろう。また、引用されている実際の会話にかなり笑いを誘われることであろう。タブーを恐れずに歯に衣着せぬ論調の箇所もあり、さすが件の井上氏、勇気があるなぁと思ってしまうこと請け合いだ。このような飄々としたお方。
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一方、このような本の中には、笑いながらも日本人のイヤな部分が見えてくることも事実。ここに書かれたことを知らず、ただ純粋に京都に日本の歴史を感じ、桂離宮に簡素な日本美の極を感じていた方が、実は幸せかもしれない(笑)。読書経験をいかに実生活に活かすかは、読んだ人次第ということだろう。

by yokohama7474 | 2016-07-28 22:42 | 書物 | Comments(2)
Commented by スネ毛の聖子No1 at 2016-09-01 09:01 x
しばらく訪問せず失礼をば。娘が今春から京都暮らしなので、私もこの本を早速読みました。なかなか洒脱な語り口で、洛中人のいやらしさを語りながら、でもやっぱり「京都」ブランドにあこがれているよね、という感じもあり、楽しく読めました。娘曰く、学生にはとても住みやすい街だそうです。
Commented by yokohama7474 at 2016-09-01 21:29
ご無沙汰しました。お嬢さん、京都に暮らせるとは、羨ましいです。私も学生からやり直したいですねぇ。笑
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