2016年 08月 07日
ラデク・バボラーク指揮 日本フィル (ピアノ : 仲道郁代) 2016年8月7日 ミューザ川崎シンフォニーホール
JR川崎駅直結で交通至便のミューザ川崎シンフォニーホールは、日本でもトップクラスの音響を誇る素晴らしいホール。そこを本拠地としているのは、東京交響楽団(通称「東響」)だ。実は今そのホールに、東響以外にもすべての在京のメジャーオーケストラが入れ替わり立ち代わり演奏会を行うという大変な内容の音楽祭が開かれているのだ。題して、フェスタサマーミューザKAWASAKI2016。音楽都市を標榜する川崎市の主催によって、7月23日(土)から8月11日(木・祝)までの間に14回のコンサートが行われる。その中には、世界的な指揮者も出れば学生オケやジャズもあり、家族向けの映画音楽の演奏会もある。これはなんと意欲的な催しではないか。会場のミューザの入り口にはこのような表示が。暑い夏に爽やかな青が涼しげである。キャッチフレーズは、「最響(さいきょう)の夏!」というもの。しかもこのシリーズ、ほとんどのコンサートが最高席でも4,000円というリーズナブルな設定で、しかも小学生から25歳までは半額!とのこと。この価格設定なら、いくら外が暑くても、家族でちょっとオーケストラでも聴きに行こうかという気になるもの。リオ・オリンピックも、時差の関係で日本の昼間には生放送がないし(笑)。
ウェーバー : 歌劇「魔弾の射手」作品77序曲
クーラウ : ピアノ協奏曲ハ長調作品7 (ピアノ : 仲道郁代)
ベートーヴェン : 交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55
これを見てすぐに思いつくのは、最初と最後にホルンが活躍する曲を選んだのだなということ。日フィルのホルン奏者の皆さんは、いかに腕に覚えがあっても、指揮台から見ているのがほかならぬホルンの超人バボラークだと思うと、さすがに緊張なさるのではないか(笑)。指揮棒を持ったバボラークの写真。
さてリハーサルは、最初の序曲と2曲目の協奏曲は全曲を通して演奏した後、ごく一部だけを確認の意味でさらってみるという感じ。メインの「エロイカ」はさすがに長いので全曲ではなく、各楽章の冒頭から始め、途中で割愛しながら進めて行くというスタイルで、この曲だけは同じ箇所を何度も繰り返して練習していた。自由席であったので、なるべく指揮者の言葉が聞き取りやすい席についたつもりだったが、バボラークの声は小さく、また、リハーサルとはそんなものなのだろう、聴衆に聴かせることを目的としていないので、ほとんど聞き取れない。だが、例えば「エロイカ」では、第1楽章では副声部のリズムの刻みを気にしたり、第2楽章葬送行進曲で、書いてある音符が少ない箇所でも同じテンポで通せ、そうでないと自然に遅くなってしまう、という指示をかなり執拗に行っていたので、バボラークの目指すベートーヴェンは、大交響曲の表現としてありがちな情緒的な側面の強調を避け、基本的にインテンポで進めるものなのであろうと想像できた。
さて、プログラム3曲のうち、どうしても最初に触れたいのは、中間に置かれたフリードリヒ・クーラウのピアノ協奏曲だ。私がこの演奏会に行くことを決めたとき、曲目に「クーラウ : ピアノ協奏曲」とあって、知らない作曲家の名前であったので、現代曲かと思っていた。するとなんとなんと、古典派から初期ロマン派に分類される、古い時代の作曲家であったのだ。これは珍しい。クーラウは1786年生まれで、プログラムには「ベートーヴェンとほぼ同世代の作曲家」とあるが、ベートーヴェンより16歳年下。もっと生年の近い作曲家はいないのかと思うと、これが、今日の1曲目の作曲家、ウェーバーが全く同い年だ。そうすると、この組み合わせもバボラークの考え抜かれた作戦だろうか。このクーラウ、ドイツ人だがのちにデンマークに居を移したという。10歳のときに井戸に落ちて片目を失明したそうだが、この肖像画を見ても、確かに隻眼だ。
QUOTE
クーラウの作品は、「ソナチネ」など子どものための曲集では有名ですし、私も弾いたことがありますが、演奏活動を始めてからは彼の作品に取り組む機会はありませんでした。ですから、今回オファーをいただいた時は、クーラウがピアノ協奏曲を書いていたことを知らなかったこともあり、とても驚きました。(中略) どうにか手に入れた楽譜を見てみると、さらにビックリすることが起こりました。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」のアイディア、調性の変化など、今の時代だったら「真似した」と思われてもおかしくないほどに似ているのです! (中略) 弾いていると思わずベートーヴェンの協奏曲にスイッチしてしまいそうなほど似た部分だらけなのですが、テクニックそのものはかなり違うと思います。クーラウの協奏曲はとても軽やかな作品です。(後略)
UNQUOTE
その後の仲道の発言は、ベートーヴェンには頑固なところがあるが、クーラウは自然に流れて行くという違いがあるという点にも触れている。私はこの人のピアノをいつも素晴らしいと思っているのだが、彼女の強みのひとつは、このような平易な語り口ではないだろうか。ベートーヴェンの後期のソナタなどは当然のようにシリアスに弾ける人でありながら、一方で、多くの人に親しみを与えつつ音楽の間口を広げる活動も続けていることは素晴らしい。
さて、そんなことで、珍しい協奏曲を知った嬉しさに駆られて、帰宅してから調べてみると、数は少ないがいくつかは録音もあることが判明。もう一度自宅で聴き直し、クーラウのベートーヴェンへの思いを追体験することとしたい。私はピアノは弾けないが、曲を口ずさんでいるうちに、自然とベートーヴェンの曲にスイッチするかもしれない(笑)。
バボラークの指揮ぶりについて少し語ろう。リハーサルで「魔弾の射手」序曲が始まったときにすぐ思ったのは、大変どっしりと構えて丁寧に音を紡いで行くタイプだなということであった。初顔合わせの日フィルの面々も、非常に繊細に指揮に反応し(もちろん昨日までにも練習所でリハーサルをしているはずだし)、普段あまり演奏する機会のないホールでの素晴らしい音響を楽員たち自身が楽しむような印象であった。序奏のすぐあとに出てくるホルンは、リハーサルでは冒頭だけ少し危なげであったが、本番ではバッチリ決まって、バボラークもこれなら満足だろう。ドイツの深い森を思わせるこの曲の魅力を再認識させるような美しい演奏であったが、惜しむらくは、終結部手前で一旦オケが沈黙してから一気に雪崩れ込む直前で数人、フライングの拍手が出てしまったこと。日本の聴衆の質は非常に高いのだが、曲の終わりに自信のない方は、周りを見てから拍手するようにしましょう(笑)。
メインの「エロイカ」だが、一家言のある演奏であったことは確かだが、一方で課題も感じた。テンポはかなり遅めで、全体としては昨今流行りの古楽風の疾走感はない。ヴァイオリンの対抗配置も取らず、第1楽章提示部の反復もない。そして、これは最近ではかなり珍しいことだと思うが、第1楽章終結部手前の例のトランペットの「行方不明」の箇所(本来高らかに英雄のテーマを吹き鳴らすはずのトランペットが途中で沈黙してしまう)では、昔の演奏さながら、トランペットは行方不明にはならず、堂々とテーマを吹いていた。リハーサルで見た通り、バボラークは過分にロマンティックな表情づけを行わないものの、一方では無機質な硬直した音楽を避けるべく、各楽器同士の絡み方には繊細さを求めていて、音楽の盛り上がりにも敏感な指揮ぶりであった。だが、オケと初顔合わせということもあり、融通無碍とは言えなかったように思う。以前にも書いたことだが、ベートーヴェンの演奏で「静かだな」と思うと、大抵は失敗した演奏になるのだが、今日は何度か静かな瞬間があったと私は思う。音そのものの精度は高かったが、全体の流れの中で、指揮者の目指す独自のベートーヴェン像がそこに立ち現れたかというと、残念ながらそうではなかったと思う。だが、人間の営みである音楽では、もちろんこのようなことも起こるわけで、またバボラークの指揮を聴いてみたいと思う。あ、それから、是非ホルンの演奏活動もアグレッシブに続けて行って頂きたい。この写真のように、二刀流で(笑)。