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ラデク・バボラーク指揮 日本フィル (ピアノ : 仲道郁代) 2016年8月7日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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8月である。夏である。猛暑である。こんな日にクラシックの演奏会なんて、昔はなかったと思う。ちょっと外を歩くだけで汗が噴き出し、意識が朦朧とする。絶えず水分を摂取しないと熱中症になってしまう。こんなときにオーケストラの音楽を聴くなんて、全く考えられない。特に日本はこの湿気である。湿気の少ない本場欧州では、大小様々な夏の音楽祭が開催され、メジャーどころでは、バイロイトとかザルツブルクとかルツェルンで世界の名演奏家が一堂に会し、紳士淑女が集って華やかな雰囲気である。だが日本の夏は全く音楽に適していないし、そもそも外出に適していない。ところがこのコンサートはどうだ。上のポスターの表示をご覧頂きたい。11:00開場、17:00終演予定とあるではないか!! 演奏会の所要時間は普通2時間程度なのに、開場から終演まで実に6時間とは、これは一体どういうことか。あまりの暑さに、主催者が間違った情報を掲載してしまったのか?!

JR川崎駅直結で交通至便のミューザ川崎シンフォニーホールは、日本でもトップクラスの音響を誇る素晴らしいホール。そこを本拠地としているのは、東京交響楽団(通称「東響」)だ。実は今そのホールに、東響以外にもすべての在京のメジャーオーケストラが入れ替わり立ち代わり演奏会を行うという大変な内容の音楽祭が開かれているのだ。題して、フェスタサマーミューザKAWASAKI2016。音楽都市を標榜する川崎市の主催によって、7月23日(土)から8月11日(木・祝)までの間に14回のコンサートが行われる。その中には、世界的な指揮者も出れば学生オケやジャズもあり、家族向けの映画音楽の演奏会もある。これはなんと意欲的な催しではないか。会場のミューザの入り口にはこのような表示が。暑い夏に爽やかな青が涼しげである。キャッチフレーズは、「最響(さいきょう)の夏!」というもの。しかもこのシリーズ、ほとんどのコンサートが最高席でも4,000円というリーズナブルな設定で、しかも小学生から25歳までは半額!とのこと。この価格設定なら、いくら外が暑くても、家族でちょっとオーケストラでも聴きに行こうかという気になるもの。リオ・オリンピックも、時差の関係で日本の昼間には生放送がないし(笑)。
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その音楽祭に今回登場したのは日本フィルハーモニー交響楽団(通称「日フィル」)。指揮台に立つのは、ラデク・バボラーク。そんな指揮者聞いたことないぞという方もおられるかもしれない。こんな人だ。
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おっと、ここでは指揮しているのではなく、ホルンを吹いていますね。そういえば、上に掲げたこのコンサートのポスターでも、ホルンを抱えた写真が使われている。そうなのだ、このバボラーク、もとベルリン・フィルの首席で、文字通り世界トップのホルン奏者。このブログでも、NHK交響楽団との協演や、サイトウ・キネン・オーケストラでの演奏をご紹介した。いや実際のところ、21世紀は始まってから未だ20年も経っていないが、恐らくこの人がこの21世紀を代表するホルン奏者としての評価を確立するのはほぼ確実であろうと既に思われるくらい、すごい人なのだ。だが今回は、ホルンを指揮棒に持ち替えての演奏。調べてみると、指揮活動もそれなりに行っているようで、故郷のチェコで自ら創設したチェコ・シンフォニエッタを定期的に指揮しているほか、2013年10月には水戸室内管弦楽団への客演で、既に日本で指揮者としてデビューしている。だが、今回のようなフル・オーケストラを指揮する機会はこれまでにどのくらいあったのだろうか。1976年生まれ、今年40歳と未だ若いバボラーク。今回の日フィルとの協演はこの日のみで、ちょっと調べた範囲では、日本の地方オケを振るとか、ホルンリサイタルを開く様子はない。ただ、今年もこのあと、セイジ・オザワ・フェスティヴァルにホルン奏者として出演するようなので、その前に早めに来日して、このような指揮活動の機会を得たということなのだろう。気になる曲目はこちら。

 ウェーバー : 歌劇「魔弾の射手」作品77序曲
 クーラウ : ピアノ協奏曲ハ長調作品7 (ピアノ : 仲道郁代)
 ベートーヴェン : 交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55

これを見てすぐに思いつくのは、最初と最後にホルンが活躍する曲を選んだのだなということ。日フィルのホルン奏者の皆さんは、いかに腕に覚えがあっても、指揮台から見ているのがほかならぬホルンの超人バボラークだと思うと、さすがに緊張なさるのではないか(笑)。指揮棒を持ったバボラークの写真。
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そしてこの川崎での音楽祭には大変ユニークな点がある。それは、一部のコンサートで当日のリハーサルが公開されるということだ。今回はまさにそれ。なるほど、これで冒頭ポスター記載の開場時刻と終演時刻の謎が解けた。今回は、11:00に開場。リハーサルが11:30から始まり、13:30に終了。その1時間後、14:30に演奏会が開場し、15:00開演、終了が17:00頃ということだ(実際の終演は17:15頃になったが)。これはつまり、昼前から夕方までの半日、生の音楽を楽しめるということ。素晴らしい企画ではないか。当日のリハーサルなので、実際にはほぼゲネプロ(ゲネラル・プローベ=本番前の通し稽古)で、それを2時間も行うということは、これは聴衆にとっては、一日に同じ演奏会を2回行くのにほぼ等しい。ちょっと疲れてしまうが、音楽作りの過程を垣間見ることができて、大変興味深い経験である。

さてリハーサルは、最初の序曲と2曲目の協奏曲は全曲を通して演奏した後、ごく一部だけを確認の意味でさらってみるという感じ。メインの「エロイカ」はさすがに長いので全曲ではなく、各楽章の冒頭から始め、途中で割愛しながら進めて行くというスタイルで、この曲だけは同じ箇所を何度も繰り返して練習していた。自由席であったので、なるべく指揮者の言葉が聞き取りやすい席についたつもりだったが、バボラークの声は小さく、また、リハーサルとはそんなものなのだろう、聴衆に聴かせることを目的としていないので、ほとんど聞き取れない。だが、例えば「エロイカ」では、第1楽章では副声部のリズムの刻みを気にしたり、第2楽章葬送行進曲で、書いてある音符が少ない箇所でも同じテンポで通せ、そうでないと自然に遅くなってしまう、という指示をかなり執拗に行っていたので、バボラークの目指すベートーヴェンは、大交響曲の表現としてありがちな情緒的な側面の強調を避け、基本的にインテンポで進めるものなのであろうと想像できた。

さて、プログラム3曲のうち、どうしても最初に触れたいのは、中間に置かれたフリードリヒ・クーラウのピアノ協奏曲だ。私がこの演奏会に行くことを決めたとき、曲目に「クーラウ : ピアノ協奏曲」とあって、知らない作曲家の名前であったので、現代曲かと思っていた。するとなんとなんと、古典派から初期ロマン派に分類される、古い時代の作曲家であったのだ。これは珍しい。クーラウは1786年生まれで、プログラムには「ベートーヴェンとほぼ同世代の作曲家」とあるが、ベートーヴェンより16歳年下。もっと生年の近い作曲家はいないのかと思うと、これが、今日の1曲目の作曲家、ウェーバーが全く同い年だ。そうすると、この組み合わせもバボラークの考え抜かれた作戦だろうか。このクーラウ、ドイツ人だがのちにデンマークに居を移したという。10歳のときに井戸に落ちて片目を失明したそうだが、この肖像画を見ても、確かに隻眼だ。
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さてこのピアノ協奏曲、1810年の作というから、作曲者24歳の若書きである。どんな曲かというと、実はクラシックファンの方なら誰でも、冒頭を聴いた瞬間にアッと思うはず。ある有名なピアノ協奏曲にそっくりなのだ。それはほかでもない、上で名前の出たベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番 (1801年出版)。聴き進めて行くうちにビックリはさらに続き、第2楽章では、抒情的な導入部からクラリネットソロの表情もそっくり。第3楽章はピアノの舞曲風のソロで始まるところがそっくり。盗作かパロディではないかと思われるほどだ。こんな面白い曲、誰が見つけてきたのだろう。会場で配布されたプログラム(ペラペラの質素なものだが)には「日本初演!?」と書いてあって、本当にそうなのか否かは確認が取れていないのかもしれないが、その可能性はあるのではないか。今回ソリストを務めた仲道郁代の言葉が掲載されているので、一部引用しよう。

QUOTE
クーラウの作品は、「ソナチネ」など子どものための曲集では有名ですし、私も弾いたことがありますが、演奏活動を始めてからは彼の作品に取り組む機会はありませんでした。ですから、今回オファーをいただいた時は、クーラウがピアノ協奏曲を書いていたことを知らなかったこともあり、とても驚きました。(中略) どうにか手に入れた楽譜を見てみると、さらにビックリすることが起こりました。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」のアイディア、調性の変化など、今の時代だったら「真似した」と思われてもおかしくないほどに似ているのです! (中略) 弾いていると思わずベートーヴェンの協奏曲にスイッチしてしまいそうなほど似た部分だらけなのですが、テクニックそのものはかなり違うと思います。クーラウの協奏曲はとても軽やかな作品です。(後略)
UNQUOTE

その後の仲道の発言は、ベートーヴェンには頑固なところがあるが、クーラウは自然に流れて行くという違いがあるという点にも触れている。私はこの人のピアノをいつも素晴らしいと思っているのだが、彼女の強みのひとつは、このような平易な語り口ではないだろうか。ベートーヴェンの後期のソナタなどは当然のようにシリアスに弾ける人でありながら、一方で、多くの人に親しみを与えつつ音楽の間口を広げる活動も続けていることは素晴らしい。
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そして今回のクーラウの演奏。協奏曲でありながらピアノの前に譜面を置き、譜めくり担当者までつくという異例の事態ではあったものの、大変に溌剌とした涼やかな演奏であった。見ていると両手の交錯もあり、ピアノの華やかな効果をまさに「自然に」発揮するような曲であり演奏であったと思う。仲道はまた、リハーサル時には冒頭のオーケストラの序奏部分もピアノでなぞっており、本番の際にはそれはなかったが代わりにピアノの前で指揮するような身振りを見せ、オケとの一体感を自ら作り出していたと思う。来年、なんとデビュー30周年ということで(女性に対して年齢の話は失礼とは言うものの、昔から本当にお変わりなく、とても私より2つ年上とは思えないですな!)、これからも沢山のコンサートを開いて行くようだが、日本の中だけではなく海外でも積極的に活動して欲しい。

さて、そんなことで、珍しい協奏曲を知った嬉しさに駆られて、帰宅してから調べてみると、数は少ないがいくつかは録音もあることが判明。もう一度自宅で聴き直し、クーラウのベートーヴェンへの思いを追体験することとしたい。私はピアノは弾けないが、曲を口ずさんでいるうちに、自然とベートーヴェンの曲にスイッチするかもしれない(笑)。

バボラークの指揮ぶりについて少し語ろう。リハーサルで「魔弾の射手」序曲が始まったときにすぐ思ったのは、大変どっしりと構えて丁寧に音を紡いで行くタイプだなということであった。初顔合わせの日フィルの面々も、非常に繊細に指揮に反応し(もちろん昨日までにも練習所でリハーサルをしているはずだし)、普段あまり演奏する機会のないホールでの素晴らしい音響を楽員たち自身が楽しむような印象であった。序奏のすぐあとに出てくるホルンは、リハーサルでは冒頭だけ少し危なげであったが、本番ではバッチリ決まって、バボラークもこれなら満足だろう。ドイツの深い森を思わせるこの曲の魅力を再認識させるような美しい演奏であったが、惜しむらくは、終結部手前で一旦オケが沈黙してから一気に雪崩れ込む直前で数人、フライングの拍手が出てしまったこと。日本の聴衆の質は非常に高いのだが、曲の終わりに自信のない方は、周りを見てから拍手するようにしましょう(笑)。

メインの「エロイカ」だが、一家言のある演奏であったことは確かだが、一方で課題も感じた。テンポはかなり遅めで、全体としては昨今流行りの古楽風の疾走感はない。ヴァイオリンの対抗配置も取らず、第1楽章提示部の反復もない。そして、これは最近ではかなり珍しいことだと思うが、第1楽章終結部手前の例のトランペットの「行方不明」の箇所(本来高らかに英雄のテーマを吹き鳴らすはずのトランペットが途中で沈黙してしまう)では、昔の演奏さながら、トランペットは行方不明にはならず、堂々とテーマを吹いていた。リハーサルで見た通り、バボラークは過分にロマンティックな表情づけを行わないものの、一方では無機質な硬直した音楽を避けるべく、各楽器同士の絡み方には繊細さを求めていて、音楽の盛り上がりにも敏感な指揮ぶりであった。だが、オケと初顔合わせということもあり、融通無碍とは言えなかったように思う。以前にも書いたことだが、ベートーヴェンの演奏で「静かだな」と思うと、大抵は失敗した演奏になるのだが、今日は何度か静かな瞬間があったと私は思う。音そのものの精度は高かったが、全体の流れの中で、指揮者の目指す独自のベートーヴェン像がそこに立ち現れたかというと、残念ながらそうではなかったと思う。だが、人間の営みである音楽では、もちろんこのようなことも起こるわけで、またバボラークの指揮を聴いてみたいと思う。あ、それから、是非ホルンの演奏活動もアグレッシブに続けて行って頂きたい。この写真のように、二刀流で(笑)。
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冒頭に述べた通り、欧州ではバイロイトやザルツブルクやルツェルンで音楽祭が開催されているこの夏の時期、本来ならそれらの音楽祭に参加していても何の不思議もない大ホルン奏者が指揮棒を持って炎暑の東京(正確にはその近郊だが 笑)で音楽を奏でているとは、思えば大変なことである。川崎市には、また来年も面白い企画をお願いしたいものであります。知られざる作品にも大いに興味ありです。

by yokohama7474 | 2016-08-07 23:54 | 音楽 (Live)