聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画 国立西洋美術館

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つい先日上野に赴いて、芸大の美術館で滋賀県長浜市の仏像の展覧会を見た日、いくつかほかの展覧会を見る選択肢があった。東京国立博物館での古代ギリシャ展、東京都美術館でのポンピドゥー・センター展と、それからこのメッケネムというあまりなじみのない画家の展覧会である。特にこの展覧会は、ル・コルビュジェの設計した建築として先ごろ世界遺産入りを果たした国立西洋美術館での開催である。これまでに、もう数えきれないほど足を運んだ場所ではあるが、やはり世界遺産に登録されたことは喜ばしいし、このドイツの古い版画は面白そうだ。・・・とは思ったものの、その日はたまたま大変暑かったので、上野公園の中を歩いているうちに気持ちが萎えてきてしまい、結局どの美術館を訪れることもなかったのである。それから一週間ほど経過した日のこと、たまたま中学一年生の甥っ子(サッカー少年)と話していたとき、上野公園が話題になった。「オレ、この間行ったよ。上野公園」と言うので、てっきり動物園でパンダでも見たのかと思いきや、次の一言が私を驚かしたのである。「あの、あれ見たんだよ、メッケネム」・・・な、なに?! 中一の分際で、おじちゃんの未だ見ていないドイツ版画展を見たというのか??? 聞いてみると、夏休みの自由研究用であるという。なるほどなるほど、そういうことならこちらも負けてはいられない。意を決してでかけることにしたのである。現地に行ってみると、世界遺産登録を祝う日本語・英語ののぼりがあちこちに掲げられている。
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さてこの展覧会であるが、上記のポスターの雰囲気からして、恐らくはドイツで宗教改革が起こった頃、それは取りも直さず、グーテンベルクが印刷術を発明した後の時代の版画がテーマであるようだ。そして思い出したことには、以前やはりこの西洋美術館でドイツの古い版画の展覧会を見たことがある。そう思って書棚を探してみたところ、出てきたのは1995年に開かれた「宗教改革時代のドイツ木版画」という展覧会の図録である。どうだ、おじちゃんは中一のサッカー少年が生まれるよりも早く、この時代のドイツの版画に注目していたのであるぞ。・・・といばっても、今どきの少年には通じないだろうなぁ(笑)。これがその展覧会の図録。ゴータ市というドイツの地方都市のコレクションによるものであった。
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この図録をパラパラと開いてみても、今回の展覧会の主役であるらしいメッケネムという画家の名前は出てこない。ということは、私にとって初めて目にする画家ということになるだろう。その意味では中一の甥っ子も私も、スタートラインは同じなのである。イスラエル・ファン・メッケネム(1445頃 - 1503)は、ドイツ北西部、オランダとの国境近くのボッホルトという街に生まれた銅版画家であり金銀細工師である。これは大英博物館の所蔵になる、画家自身が描いたメッケネム夫妻の肖像。芸術家の矜持と社会的成功への誇りが感じられるような気がする。当時銅版画は最先端の技術であったらしい。
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彼が活躍した15世紀末から16世紀という時代はもちろん、中世が終わりを告げ、イタリアを中心にルネサンスが花開いた頃である。美術に関しては(当時は経済もそうであったのだが)イタリアはヨーロッパでも最先端であったわけで、このメッケネムと同世代のイタリアの画家と言えば、1452年生まれのレオナルド・ダ・ヴィンチがいる。だがドイツにもルネサンスを代表する有名な画家はいて、ひとりはアルブレヒト・デューラー (1471年生まれ)、もうひとりはハンス・ホルバイン息子(1497年または98年生まれ)だ。このメッケネムはデューラーやホルバイン父よりもさらに一世代上だと認識すれば、時代環境のイメージが沸くであろうか。メッケナムの現存作品は500点ほどあるようだが、その多くは他の画家の構図を拝借したコピーであるという。現在の考え方では、芸術家にはオリジナリティが不可欠であって、オリンピックのエンブレムを他人の作品に倣ったりなどすると、世間のバッシングは凄まじいものがあるのであるが、当時は著作権の考え方など未だない時代。むしろ、他人の創造したイメージをうまく活用することで、ある構図が広範囲に普及するという点においては、オリジナルの構図を作った画家にとっても意味のあることだったようだ。メッケネムが模倣した先行画家のひとりは「E.S.の版画家」という逸名の画家(メッケネムの師匠であったとされる)。もうひとりはマルティン・ショーンガウアーという画家である。前者はアルザス地方、現在フランス領であるストラスブールの出身。後者もやはりアルザス地方のコルマール(あのマティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」がある街だ!!)の出身。加えて、デューラーは中部のニュルンベルク、ホルバイン父は南部のアウグルブルクの出身と、この時代のドイツの画家たちの活動した地域は異なっているので、同様の構図の作品が流通することで、ドイツ国内の文化レヴェル全般の向上に貢献したのではないであろうか。
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さてでは、具体例をいくつか見てみよう。まず、E.S.の版画家による「マリアのエリザベト訪問」と、それをコピーしたメッケネムの同名作品。
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このエリザベトとはマリアの親戚で、マリアと同時期に妊娠しており、そのおなかの中の子はのちの洗礼者ヨハネである。ご覧の通りこれら2作品は左右が反転している。その理由は解説書には見当たらないが、完成作の版画を見て、それを手本に版下を作ると、自然とこういうことになろう。但し、この2作は細部にはあれこれ違いがあって面白い。但し、メッケネムの初期の作品らしく、線が堅いように思われる。尚、メッケネム作品の屋根が赤いのは、後世の画家による修正である由。

次は同じくE.S.の版画家とメッケネムの「聖バルバラの殉教」。
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これは左右反転していないが、理由は恐らく、処刑する人物(聖バルバラの父、ディオスクルス)が右手に剣を持つ必要があったからだろうとのこと。反転していない構図も、やればできるじゃないか(笑)。ここでもやはり師匠の腕の方が上に見えますね。

ところがこれはどうだろう。ショーンガウアーの「聖母の死」と、メッケネムによるそのコピー。
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このショーンガウアーの作品は発表当時から人気を博したものであるらしく、細部の表現が素晴らしいが、ここでメッケネムは、やはり左右反転の構図ながらも、ひとつ重要な違いを生み出した。それは瀕死の聖母の表情だ。オリジナルのショーンガウアー作品では既に意識なく弱々しく見えるが、メッケネム作品では未だ目を開いて蝋燭をしっかり握っている。

メッケネムの宗教作品をさらに2つ。いずれもオリジナルに倣ったコピー作品のようだが、「聖アントニウスの誘惑」と「聖アグネス」。前者の悪魔に表された奇想が面白いし、後者の衣の表現も手が込んでいる。
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さてこれは少し複雑な構図の作品、「聖グレゴリウスのミサ」。ミサの途中にキリストの姿が顕現した奇跡を表したものであるが、聖堂内の様子といい、群像の処理とといい、よく描かれている。実はこの作品、免罪符として使用された銅版画として最初期の例であるらしく、本来は画面の下に、熱心に祈りを唱える者は2万年(!)分の煉獄での罪が免除されると銘記されていたとのこと。カトリック教会による免罪符の濫発に反旗を翻したのが、ほかならぬドイツ人の宗教改革者マルティン・ルターであったわけで(来年2017年は宗教改革500周年だ)、そう考えると、ドイツでの印刷術の発達が、宗教改革を必要とするような教会の堕落を作るきっかけとなり、また同時に、それに抵抗したルターの活動自体も、やはり発達した印刷術に支えられていたということがよく分かる。
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メッケネムの宗教画の興味深い例を最後にもうひとつ。彼が最晩年に手掛けたとされる「磔刑」と、その版画に100年以上後に別の画家が彩色したものだ。メッケネムの作品が100年経っても高い人気を保っていたことの例であろう。
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さて本展のタイトルは、「聖なるもの、俗なるもの」であって、冒頭のポスターには「いつの世も、人間は滑稽だ」というコピーが記されている。ここまで見てきた宗教画には滑稽な要素はあまりないが、実はこの展覧会、ここからが面白いのだ。様々な世俗的なシーンが描かれているが、これらの多くは宗教画とは異なりメッケネムのオリジナルが多いとのこと。うーん、やはりこの画家、聖より俗により親近感を持つ、かなり人間的な人であったのではないか(笑)。

これは「詩編と格言の図解」。5人の人物それぞれに教訓的な格言が添えてある。例えば右端の人物は道化師で、猫を可愛がっている。猫は道化師の顔を舐めて愛想を振りまいているが、次の瞬間には背中に爪を立てるだろうという教訓。猫に甘えられて嬉しそうな道化師の顔は、次の瞬間には苦痛にゆがむことになるわけだ。
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これは展覧会のポスターにもなっている「モリスカダンス」。題名はムーア人(モリスコ)たちの剣舞を起源とする中世ヨーロッパの民衆の踊りである。画面奥の中央にいる女性に対して多くの男性たちが求愛の踊りをしている。この熱狂と皮肉。肉体表現の躍動感に溢れていること。まさに人間世界の滑稽さを表しているではないか。
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メッケネムの視線は、民衆の日常生活にも注がれ、数々のアイロニーあふれる作品が残されている。これは「ズボンをめぐる闘い」。右下の地面に落ちた布を男性が拾おうとしているところに、女性が意地悪な笑みを浮かべて箒を手に殴り掛かっている。この布はズボンで、男性の権力を表しているらしい。当時夫にあると認識されていた家庭の支配権を妻が力づくで奪い取るところ。おー、なんと恐ろしい(笑)。
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ほかにも男女関係に関する皮肉を含んだ作品がいくつもあるが、もしかしたら中一の甥っ子がこの記事を見るかもしれないので、教育的配慮でこのあたりにとどめます(笑)。ご興味ある向きは、是非会場でご確認を。当時の民衆は、このような皮肉たっぷりの版画を見て、ニヤニヤ笑ったものであろうか。

この画家のドラマ性という点も見てみたいので、また少し毛色の変わった作品をご紹介する。これは「ユディト」。旧約聖書に出てくる、巨人ホロフェルネスの首を切ったあの女性である。優雅な姿勢で平然と侍女に生首を持たせるユディト。テントの中には首を失ったホロフェルネスの遺体。左奥の戦闘は、ホロフェルネス死後の戦況の一変を表しているとのこと。なかなか侮れないドラマティックなシーンを作り上げているではないか。
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宗教画であっても、同様のドラマ性を感じさせる作品が多く残されている。これは連作「受難伝」から「哀悼」。十字架から降ろされるキリストである。一見古雅ではあるが、迫真の筆と言ってもよい独特の表現力を感じる。
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会場には、金銀細工師としての顔も持っていたメッケネムの活動を偲ばせる参考作品もいくつか展示されているが、私が面白いと思ったのは、それよりもデザインの見本である。いくつかオーナメントが展示されているが、これは「花と8人の野人のオーナメント」。上部には蜂と蜘蛛が花に張り付いていて、その花びらの下には2組の男女が助け合って登っており、そのさらに下では、4人の男たちが争っている。欲望に身を委ねることへの警告という内容であるらしい。でも、例えば宮殿の広大な壁にこのような妙な模様が入っていても、ちょっと気づきませんよね(笑)。
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そんなわけで、私としては初めて知る銅版画家の、まさに聖と俗とをともに併せ呑む逞しさを充分に堪能した。いつの時代にも、またどの場所であっても、人間には様々にリアルな感情があり、社会的な営みがあり、つらいことや楽しいことを繰り返して生きてきたのだなということを、改めて感じることのできる機会であった。この記事を、そのまま中一の甥っ子の自由研究に転用して欲しいくらいである。20年以上前の展覧会に触れている点で、即刻アウトであるが(笑)。

by yokohama7474 | 2016-08-15 02:35 | 美術・旅行 | Comments(0)