トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 (ジェイ・ローチ監督 / 原題 : TRUMBO)

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東西冷戦体制が崩れてからはや四半世紀。映画の世界においても、冷戦時代にテーマを求める作品が多くなっているように思う。今すぐに思いつくだけでも、スピルバーグの「ブリッジ・オブ・スパイ」やコーエン兄弟の「ヘイル、シーザー!」がそうであり、いずれも質の高い役者を起用した最近の映画である。そんな中、この映画も、やはり非常に質の高い役者陣によって、今後ハリウッドの赤狩りを考えるに当たっては無視できないであろう映画になった。いや、訂正しよう。どこの誰であれ、冷戦期を専門として研究している学者でもない限り、「ハリウッドの赤狩りを考える」機会そのものが、日常の生活の中では極めて稀であろう(笑)。ではこの映画は極めて稀な人にしかアピールしないのか。全くそんなことはない。個々人では抗えない大きな社会の流れの中で、人はいかなる発想をもっていかに行動すべきなのか、その難しい問いかけに対するひとつの答えを提供する映画であり、様々な人間像をリアリティをもって描き切った秀作である。シネコンでは大作お盆映画のいくつかに押されて上映回数は極めて限定的になってしまっているが、私が見た数日前時点で、日比谷のTOHOシネマズシャンテでは、一日に数回の上映が継続しており、しかも私の見た回は、最前列にまで人が座る超満員状態。やはりこの映画館は、現代日本における映画の良心の生き続ける場所。まだこの映画をご覧になっていない方は、是非シャンテにお急ぎ下さい。

そもそも題名のトランボとは何かと言えば、人の名前である。ダルトン・トランボ(1905 - 1976)。まさに赤狩りの時代、1950年代を中心としてハリウッドで活躍した脚本家である。あの名作「ローマの休日」と、それから日本ではあまり知られていない(私も見たことがない)「黒い牡牛(原題 : The Brave One)」とで2度、アカデミー脚本賞に輝いている。但し、共産党員であることを公言して憚らなかったトランボは、刑務所に収監された時期もあり、脚本家としての才能は明らかなのに仕事を得ることができず、アカデミー賞受賞作品においても、偽名を使わざるを得なかった。この映画では、そのトランボの1947年から1970年代までの激動の生涯が描かれている。まず、本物のトランボさんの写真からご紹介する。このようにバスタブに入って構想・執筆する習慣があったらしく、映画の中でもそのまま再現されている。また、エンドタイトルでは、本人の肉声を聴くことができる。
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様々な民族が集まって形成されているアメリカ合衆国においては、自らの属する集団の利益のため、いかなる方法で他の集団と共存して行くのか、あるいは共存しない選択肢を取るのか、というテーマは極めて重いものであり、それゆえに、1950年代にハリウッドを席巻した赤狩りという現象は、いかにも米国らしい汚点と言えるように思う。第二次大戦終結とともに、それまでの同盟国から直接的な敵となったソヴィエト・ロシアの脅威のもと、まずは1950年に勃発した朝鮮戦争で東西陣営の激突が起こったわけであるが、そのような世界の動きの中で、夢を売るのが商売であったはずのハリウッドで、共産主義者の摘発・迫害が激化したわけである。そもそも、共産主義者はスパイだから国家への裏切り者であるという定義がなされたのに対して、国益のためと称して同志を売った共産主義者もまた、裏切り者との汚名を着せられたわけである(エリア・カザンの例が有名だ)。これはなんとも複雑なことではないか。戦争中にはファシズムをあれだけ嫌悪した自由の国で、ファシズムまがいのことが起こってしまったことを、21世紀の我々はいかに評価すべきであろうか。これは間違いなく誰にとっても難問なのであるが、上に書いた通り、この映画で描かれているトランボの考えや行動に多くのヒントを与えられるということは、取りも直さず、この映画では「人間」という存在の尊さと危うさが充分に描かれているということだ。

このブログは政治史についてのゴタクを書くのが趣旨ではないので、映画の話に戻すと、まず主役を演じるブライアン・クランストンの存在感が素晴らしい。
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もともとテレビドラマで人気を博した役者のようで、最近の出演作のリストには私が見た映画も何本かあるが、いずれも思い出すことができない。つまり、それなりの規模の映画で、主役としてこれだけ重要な役を演じたことは、これまであまりないのではないか。この役は、例えば最近のゲイリー・オールドマンならうまく演じるだろうし、実際、映像を見ていても彼そっくりに見えるシーンも多々ある。だが、ゲイリー・オールドマンには既に数々のヒット作でのイメージができてしまっているので、実在の人物を描くこの映画においては、このブライアン・クランストンの起用の方が新鮮だし、実際に成功であったと思う。ここでのトランボ像には、娘であるニコール・トランボ(エンドタイトルには、この映画のコンサルタントとして名前がクレジットされている)の目を通した父親像が基本にあることは明白である。共産主義者であることを隠すこともないが、過激な行動に出ることもないトランボ、また、友人には温かく接するが、友人の行為に対しては冷ややかに見ることもできるトランボ、家族を何より大事に思っているが、ここぞというときには仕事の鬼と化すトランボ。ユーモアと深刻さが錯綜するそのような複雑な人格を、本当にリアルに描いていて素晴らしい。

そして、妻を演じるダイアン・レインが、失礼ながら予想外に素晴らしい!! というのも、最近のスーパーマンシリーズ(私が酷評した「バットマンvsスーパーマン」を含めて)でのクラーク・ケントの母親役は、なんとも疲れた田舎のオバチャンという感じであるところ、この映画では、献身的に夫を支えながらも自己の内部で葛藤を抱えるクレオ夫人を、美しく、しかも気品と味わいをもって演じている。昔の子役時代から長い時間を経て、年相応の役を演じることができる女優に大きく成長したわけである。因みに私と同い年である(笑)。
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そして、強硬な反共産主義者としてトランボの敵となる役でありながら、不思議と憎めないジャーナリストを演じるヘレン・ミレンがまた素晴らしい。この人ならこう演じてくれるだろうという期待そのままだ。
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そしてそして、この人を忘れてはいけない。トランボの娘ニコラを演じる、エル・ファニング。
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日本ではどの程度知名度があるか分からないが、かつてスピルバーグの「宇宙戦争」などで子役として活躍したダコタ・ファニングの妹である。姉ダコタは1994年生まれで、このエルは1998年生まれ。今でも多分姉の方が有名であると思うが、私は2011年公開のJ・J・エイブラムスの「Super 8」で、これは姉よりすごい子役かも、と思い、同じ年のコッポラの「ヴァージニア」(どういうわけか、公開にあたってはあまり大々的に宣伝されなかったが、今日に至ってもコッポラの最近作だ)で、ほほぅこれはやっぱり、と思ったものである。その後「マレフィセント」などにも出演していたが、今回のような等身大の女性を演じるのは珍しいのではないか。上記の通り、ここで彼女の演じるニコラは、映画全体におけるトランボの人間像に大きく影響する重要な役だ。エル・ファニングについて実在のニコラ・トランボは以下のようにコメントしている。

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ファニングはとても強い人です。10代の頃の自分がアイデンティティを探りながらどう感じていたかを彼女に伝えました。私が想像する当時の私を、ファニングは正確にとらえてくれました。当時の私を生き返らせたようでした。
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役者として、自分がその役を演じた実在の人物からこんなコメントをもらえるとは、冥利に尽きることだと思う。因みにファニングは別インタビューで、「ニコラはとても強い人」とコメントしていて、お互いの強さをたたえ合っているのが面白い(笑)。この映画でのニコラは、父トランボに似て、居丈高にまた声高に何かを主張するわけではなく、自制心と客観性をもって自らの信念を貫く人として描かれているが、そういう人が本当に強い人なのでしょう。

それから、私の大好きなジョン・グッドマンが、いつもの通りここでも面目躍如であり、もう何も言うことはありません(笑)。
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こんなに素晴らしい映画を作った監督はジェイ・ローチという1957年生まれの米国人。経歴を見ても、これまであまりメジャーな映画を監督しているようには思えないが、唯一の例外は、「オースティン・パワーズ」の3作。あの下品なパロディ・スパイ映画には全く良識がない、全くけしからん、と怒りながらも、3本とも喜んで劇場で見ている私としては、何やら複雑な思いである(?)。
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脚本家をめぐるこの映画の脚本を書いたのは、本作の製作も手掛けたジョン・マクナマラという人物であるが、彼の師匠はイアン・マクラレン・ハンターという脚本家であったらしい。実はこのハンターという人物の名前が、「ローマの休日」には脚本家としてクレジットされているのだ。ハンターはマクナマラに、実際にこの名画の脚本を書いたのは自分ではなく、トランボであると告げたという。つまりこの映画には、赤狩りをめぐって実際に起こったことの残照があるということだ。それは何か特別なことではないだろうか。

さて、映画自体から少し外れて、書いてみたい話題が2つ。ひとつは、この映画の後半で重要な役割を果たす「スパルタカス」という映画について。言うまでもなくこれは、あの天才スタンリー・キューブリックの監督作ではあるものの、とても彼らしくない歴史物の大作で、キューブリック自身は自らの作品として終生認めていなかったと言われているのは周知の事実。実質的には、主役と製作総指揮も担当したカーク・ダグラスが仕切った映画であったのだが、この脚本には、ダグラスの決断で、トランボ自身の名前がクレジットされた。これは1960年のことで、この映画にも描かれている通り、同じ年に公開されたオットー・プレミンジャー監督の「栄光への脱出」とともに、いわばハリウッドにおける赤狩り時代の終焉を世間に告げることとなった作品のようである。もちろん、裏切り者扱いされていた共産党員の実名を出すことには大変な勇気が必要であったはずであるが、そのカーク・ダグラスの作品にかける思いは、この「スパルタカス」からヒシヒシと伝わってくるのである。私がこの映画を劇場でのリバイバルで見たのは、もう25年前の1991年であったが、大変な感動を覚えたのをつい昨日のように思えている。手元に当時のプログラム(1968年の最初のリバイバル時のものの復刻)を持ってきたので、見て頂きたい。
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ここに見られる「文部省選定」というお墨付きは、私にとっては「じゅげむじゅげむ」という呪文以上の意味は持たないが(笑)、このカーク・ダグラスの精悍な表情はどうだ。因みに映画「トランボ」の中でも、大変よく似た俳優に演じさせていて、なかなかよい。このプログラムには、映画評論と音楽評論の双方を手掛けていた岡俊雄による1968年当時の文章が載っているが、「スタンリー・キューブリック」のことを「スタンリイ・カブリック」と表記してあって、何やら時代がかっている。
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チェックしてみたところ、この岡俊雄の文章の中に、脚本のトランボについて触れた部分もある。「アメリカの左翼的歴史文学者として有名なハワード・ファストの原作をとりあげ、脚本を一時ハリウッドの赤追放にひっかかっていたダルトン・トランボの手にゆだねた」ことが、奴隷革命映画としての史劇スペクタクルになった原因だと述べられている。やはり、カーク・ダグラスのやったことの意味は非常に大きかったのだ。ちなみに今回調べて分かったことだが、このカーク・ダグラス、未だ現存しているのだ!!今年実に100歳になる。今や、息子のマイケル・ダグラスでさえ癌にかかったりしている中、すごい生命力だ。改めて敬意を表しよう。

もうひとつの話題は、トランボの友人でありながら、仲間の共産主義者たちの名前を公聴会で明らかにする「裏切り者」の俳優、エディ・ロビンソンが所有する絵画について。彼は実在の人物であるそうだが、裕福な家庭の出身なのであろう。劇中で仲間内が会合する彼の邸宅には、印象派を中心とする美術コレクションが飾られているのだが、ゴッホの有名な「タンギー爺さん」が一旦売りに出されて、「裏切り行為」の後、エディの羽振りがよくなるとまた戻ってくるというシーンがある。今回、帰宅して手元のゴッホの画集を調べてみると、ゴッホの描いたタンギー爺さんの肖像は2点あって、ひとつはパリのロダン美術館蔵。もうひとつは「個人蔵」とある。この絵だ。
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本当にこの絵をハリウッドの俳優が所有していたことがあるのだろうか。ちなみに、私が画集で調べた以上のことを今はネットでホイホイと簡単に調べることができる。なんとWikiでは、ゴッホの全作品を、その多くは画像つきで見ることができるのだ!!おまけにサイズや制作年や所有者も記載されていて、いや全く、こんなに便利だと人間、バカになってしまう(笑)。それによるとこの「タンギー爺さん」はギリシャの海運富豪であるスタブロス・ニアルコスのコレクションに入っていたらしいが、現在ではそれも実は明確ではないらしい。もしこの愛すべき作品が数奇な運命を辿っているとするなら、その発端は、もしかするとハリウッドの赤狩りの間接的な影響なのだろうか・・・。

と、毎度のごとく快調に脱線したので(?)、もうこのあたりで「トランボ」について語るのはやめておこう。ひとつ確かなことは、考えるヒントが沢山含まれた作品であるということだ。映画史に知識のない人であっても、一見の価値ありと思います。

by yokohama7474 | 2016-08-16 00:36 | 映画 | Comments(0)
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