大妖怪展 / 伊藤晴雨幽霊画展 江戸東京博物館

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毎年この時期になると、かならずどこかで妖怪や幽霊の絵画の展覧会が開かれるものである。日本独特の暑さを少しでも和らげようという、先人から伝わっている納涼手段である。子供の頃からの怪奇好きの私としては、この手のイヴェントはとことん楽しみたいと思うわけであるが、今回のこの展覧会は一味も二味も違う。何せ企画をしたのがあの美術史家の安村敏信だ。安心して下さい。この方はあの「奇想の系譜」で、若冲や蕭白に注目して日本美術史の評価を変えてしまった辻惟雄(つじ のぶお)の弟子で、長らくあのユニークな江戸美術や日本絵画の紹介で知られる板橋区立美術館の学芸員を務め、最後は館長にまで登りつめた方。
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昨今、ちょっと面白そうな日本美術の展覧会や出版物でこの人の名前を頻繁に目にするが、そのような人が企画する妖怪展が、面白くないわけがない。今回も街の書店では妖怪関係の書物が並んでいて、なんとなんと、あの雑誌の Tokyo Walker が別冊を組んで、その名も「大妖怪展 Walker」。ここには展覧会の図録にない情報もあれこれあり、何よりもこの安村と、国際日本文化研究センター所長の小松和彦の対談も載っていて、興味は尽きない。
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そんなこともあってか、私が出かけたときには会場の江戸東京博物館は押すな押すなの大混雑。絵巻物の展示が多いので、この混雑には正直参った。だが、東京での会期中であっても展示替えが何度かあるし、この後9月には大阪のあべのハルカス美術館に巡回し、そこでしか展示されない作品もあるという。これは大阪で再挑戦する価値ありかなとも思っている。だがこの東京での展覧会でも、混雑の中たっぷり1時間の間、飽きることなく異形の者たちの共演を心から楽しんだ私である。これが会場の様子。どの展覧会も同じような感じではあるが、ことこの展覧会に関しては、さしずめお化け屋敷に入って行くようなワクワク感がある。ちなみに、この写真の手前の人物の顔がないが、これは心霊写真でものっぺらぼうでもなく、プライバシーの観点から私が加工したものなので、ご安心を(笑)。
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この展覧会の特色は、縄文時代の土偶から現代の妖怪ウォッチまでをカバーし、妖怪画にとどまらず、地獄絵図や幽霊画までをも広く網羅していることだ。なので、実際の題名としては、「妖怪」というよりも、「超自然」とか「怪奇なもの」がよりふさわしい内容である。その際重要なことは、展示品に数々の国宝・重要文化財を含んでいることだ。これは単に怪奇なものを描いた作品の展覧会ではなく、れっきとした本格的な日本美術の展覧会であるのだ。では早速、「大変混雑」している会場内の様子をレポートする。

まず最初に展示されているのは、江戸時代後期の天才画家、葛飾北斎の作品。北斎の長く幅広い画業の中で、怪奇なものは様々に描かれているが、これは「狐狸図」。1848年、北斎実に89歳の作品だ。白蔵主(はくそうず)という僧に化けた狐と、茂林寺の僧に化けた狸。いずれも全く怖くないが、練達の筆がなんとも味わい深いではないか。
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そして、なかなか面白いものが続く。長野県小布施市に北斎を何度も呼び寄せた豪商で儒学者でもあった高井鴻山(たかい こうざん)の妖怪画である。この小布施には見事な北斎の肉筆画が残されているほか、この鴻山の旧居なども見ることができる。私もかなり以前に一度そこを訪れた際、鴻山についての地元発行の本などを買って帰ったものだ。この、墨だけで描いた妖怪どもの風流かつパワフルなことはどうだ。こんな絵を描くことのできた豪商は、一体どのような人だったのか。久しぶりに小布施に行ってみたいなぁと思ってしまいました。
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それから妖怪画の絵巻物があれこれ並んでいる。実は展示の順番は前後するのだが、日本の妖怪絵巻として最高傑作と言われているのは、大徳寺の塔頭である真珠庵の所蔵する「百鬼夜行絵巻」。室町時代、土佐派を代表する土佐光信の筆によるものとされており、重要文化財に指定されている。私は子供の頃からこの絵巻物の中のいくつかの妖怪たちの図像に親しんできたが、ここでは長い年月を経て人間に使用されてきた様々な器具や道具に魂が宿って妖怪と化しているところが描かれている。そこにはつまり、モノを大事にする日本人の感性が如実に表れていると考えてよいだろう。幽霊に比べて妖怪は、人を脅かすことには熱心でも、人に恨みを抱いているわけではないので、どこか愛嬌がある姿に描かれているが、その直接的な表現が室町時代にまで遡るとは、本当に興味深いことだ。
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このコーナーの展示品で私の目を引いたのは、なんといっても、白隠和尚の手になる「法具変妖之図」。白隠とは江戸時代の有名な禅僧で、ユーモアたっぷりの墨絵の数々で知られるが、このように彩色の妖怪画を描いていたとは驚きだ。以下で見る通り、図像としては上記の真珠庵の絵巻物から引用しているケースが多いようだが、なんとも大らかで自由闊達。本当に楽しんで書いているのがよく分かる。ここにも禅の精神となにか通じるものがあるのであろう。
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そして、有名な「稲生物怪録絵巻」(いのうもののけろくえまき)も展示されている。これは、古い屋敷に夜ごと妖怪が出現し、あの手この手で若い侍、稲生平太郎を脅かそうとするが全く効果なく、妖怪の親玉が最後に根を上げて登場するというもの。よく少年の通過儀礼の隠喩であると解説されているが、まあ、そうであろうとなかろうと、そこで描かれた妖怪の数々は極めてユニーク。私はこの絵巻物が大好きで、これに関する画集も何冊か所持しており、3種類の写本が今日まで伝わっていることも当然知っている。今回展示されているのは、その中で最も由緒正しい、物語の舞台である広島県三次(みよし)市に伝来したもの。これ、このイメージ、なんとも凄まじいイマジネーションではないか!!因みにこの絵巻、国学者の平田篤胤も論考しているとのこと。ここには日本独自の何かがある。
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この展覧会には、地獄極楽図が多く展示されているが、この東京の長徳寺所蔵の「六道絵」は本当に楽しい。いや、怖い絵を見て楽しいなどと言っては不謹慎で、きっと江戸時代当時には、これを見た庶民が地獄に堕ちたくないという思いを抱くのが制作者の狙いであったろうが、このなんともマンガ的な鮮やかな作品には、巧まぬユーモアがある。馬に乗る地蔵菩薩とはほかで見たこともなく、庶民の間で独自に発展した地獄の責め苦とそれからの救済というイメージに、死後の安楽を願う素朴な人間の感情が表れている。でもちょっと自由すぎませんか、これ(笑)。
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今回出品されている珍品の中でも、これは大変面白い。1762年に作られた「姫国山海録」(きこくせんがいろく)という書物で、中国の地理書である「山海経」に倣って、日本各地の幻獣、妖虫を「記録」したもの。生息地は北海道から九州に及ぶらしい。これは鎌倉に出るという虫。いやそれにしても、存在しない動物の数々を、まるで見てきたような記述をしているのは、一体どんなホラ吹きか(笑)。その意図は一体何であったのか。
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これは1832年制作の「百鬼夜行図巻」から。この絵巻物の最初には、行灯のもとに集まって百物語をする人々が描かれている。そう、怪奇譚を100続け、最後に蝋燭を吹き消すと怪奇現象が起こるという、あれだ。江戸時代末期の人たちは、外国の脅威を感じるまでは日常生活にそれほど危険がなく、このようなのんきな娯楽を考えたということか。それにしても、いろんな妖怪を考えるイマジネーションは素晴らしいものだと思う。
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鹿児島を舞台に、勇敢な若侍、大石兵六(おおいし ひょうろく)が妖怪たちと戦いながら、人を化かす狐を捕まえるという「大石兵六物語絵巻」(18世紀)。この顔の長い妖怪はぬっぺっぽうと名前がついているが、まるで表面が曲がった鏡に写った顔のようで、一度見たら忘れない。
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実は鹿児島には、この兵六をキャラクターとしたお菓子、兵六餅というものがあるらしい。なるほどこれか。調べてみると、やはり鹿児島名物であるボンタン飴(なぜかでっかいパッケージをNHKホールの売店で売っているのが前から気になっているが・・・)と同じメーカーの製品であるらしい。郷土の誇りでしょうな。
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ここから幽霊画の展示コーナーに入る。昨年9月5日の記事で、谷中全生庵の幽霊画コレクションの展覧会を採り上げたが、今回もその全生庵からの出品もある。だが、これまでに見たことのない幽霊画で、なかなか面白いものがあったのでご紹介する。まずこれは、勝川春章(このブログでは何度もその名前が登場する、肉筆の美人画を得意とした画家だ)の手になる「雨中幽霊図」。いやー、とても春章の作品とは思えないくらい怖いですなぁ。この長い顔が、超自然の存在であることを意味しているのだろう。決して下手だから顔が長くなっているのではないことは、春章の作品をあれこれ見てきた私が保証します(笑)。
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これも一度見たら忘れない異様な作品。夕岳(ゆうがく)という画家の「提灯に幽霊」。明治末か大正の、20世紀に入ってからの作品らしい。この場合はもしかして、画家の技量の問題で顔が大きくなってしまったのかも(笑)。でもすごい迫力だ。福島、南相馬市の金性寺の所蔵する幽霊画コレクションのひとつ。
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それから、沢山の錦絵による妖怪変化の図像がズラリ。よく知られた北斎の「百物語」(と言いながら現在までわずか5作品しかシリーズが確認されていない)や、「相馬の古内裏」をはじめとする歌川国芳の逸品が並ぶ。その中でいくつかご紹介する。これは国芳の「竹沢藤次曲独楽 お岩稲荷怪談廻り」(たけざわとうじきょくごま おいわいなりかいだんまわり)。竹沢藤次とは、江戸に大きな見世物小屋を構えて、コマ回しとゼンマイ仕掛けのからくりで大評判になった興行師であるようだ。右端の巨大な顔は、累(かさね)であるらしい。きっとこのような大きな首をからくりで動かしたのであろう。洋風の隈取りで表されているが、実際にもこんな感じだったのであろうか。
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国芳の数々の作品に続いては、月岡芳年の登場だ。彼の活躍は既に明治にも入ってくるのだが、「血まみれ芳年」と呼ばれた天才絵師の面目躍如とする作品がいくつも展示されている。これは、舌切り雀に材を採った「おもゐつゝら」、つまりは重いつづら。この爺さんの表情、リアルすぎる。
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この展覧会は、時代を行ったり来たりして、題材も一部繰り返しの部分があるのだが、次のコーナーは「版本の妖怪」。江戸時代を中心とする印刷物の中の妖怪の描かれ方が紹介されている。ここで出てくるビッグネームは、もちろん鳥山石燕(とりやま せきえん)。18世紀後半から19世紀前半、数々の出版物で妖怪を名前入りで紹介した。これはきっと庶民に大うけだったのではないだろうか。この図像は水木しげるにも直接の影響を与えていて、私も子供の頃に読んだ妖怪図鑑の数々では、このような石燕のイメージそのままか、それを水木しげるが若干アレンジしたものが沢山掲載されていたものだ。これぞ妖怪図像のスタンダードであると思うが、百鬼夜行の類の巻物に描かれた妖怪よりは、ちょっとリアルな怖さが含まれている。背景がどれも日常にあるものばかりだからということもあるのかもしれない。
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と思っているとなぜか展覧会はここでまた絵巻物と、一部は屏風絵に戻る。おなじみの土蜘蛛や大江山の酒呑童子が、源頼光とその配下の四天王に、バッタバッタとなぎ倒されている。
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実はこのあたりは既にあまり会場の混雑もなく、ある意味でクライマックスになっている迫力の作品の数々が、比較的楽な環境で鑑賞できる。もしかして、それを見越しての作品陳列であったのか??? まあ中には、この平安時代の「沙門地獄草子断簡」のように、その残虐度において子供には見せられない作品もあるので、その配慮もあるのかもしれない。いやそれにしても、いかに地獄の鬼たちの所業とはいえ、なんとも残酷ではないか。12世紀のスプラッターだ。
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最後に、お口直しという意味で、非常にユニークな図像をご覧頂こう。「熊野観心十界図」(くまのかんしんじっかいず)。画面中央に「心」の文字があり、その上に何やらアーチ型の橋が架かっている。実はこれ、右から左に向けて人間が歩行するうちに成長して年を取るところが描かれているのである。この写真では切れてしまっているが、下の方には地獄の風景。真ん中には地蔵や阿弥陀の姿も見られる。女人救済を強調するもので、同様の作例は多いとのことだが、私の目にはこれはまるで、西欧中世の写本のように見える。いつの時代にも、独特のヴィジョンを持った芸術家はいたのだなと実感する。
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さて展覧会はその後、いくつかの土偶と、妖怪ウォッチャーのキャラクターたちの展示があって締めくくられる。土偶を妖怪に分類するのは若干無理あるものの、日本人が大昔から持っていた神秘のヴィジョンの再確認という意味では、まあ理解できる。一方、私は妖怪ウォッチャーに関する知識はほぼゼロであり、別に知りたいとも思わないが(笑)、まあ、企画上、子供を呼ぶためには致し方なかったのかなぁと、少し戸惑いを覚えたのは事実。企画全体にも関係することだが、これだけの意義深い展覧会であれば、あまり子供向けの要素を入れない方がよかったのではないか。図録の作り方はまるで子供向きであって、それは本来の展覧会の趣旨と、果たして合致したものであったか否か。この点のみ、正直なところ少し違和感を禁じ得なかった。

さて、同じ江戸東京博物館で、ほかにも2つの特別展示がなされていたので、それも観覧した。ひとつは、江戸無血開城に貢献した山岡鉄舟に関するもの。もうひとつは、伊藤晴雨という画家が残した幽霊画である。鉄舟については、昨年9月5日の全生庵についての記事で少し触れたが、その全生庵自体、鉄舟が、明治維新に準じた人たちの菩提を弔うために開いた寺なのである。たまたまなのかどうなのか、その寺は落語家の初代三遊亭圓朝が集めた幽霊画を所蔵しているのであるが、ここに、五代目柳家小さん(1915-2002)のコレクションであった伊藤晴雨の幽霊画が寄贈され、今回はそれをまとめて展示しているもの。全部で19点あり、まとめて公開されるのは今回が初めてなのかもしれない。実は私の中にはおぼろげな記憶があって、昨年全生庵に行ったときに、小さんのコレクションと称する作品を何点か見たような気がするのだが、定かではない。いずれにせよ、今回の全幅まとめての公開は大変貴重な機会なので、大妖怪展をご覧になる方には是非お勧めしておこう。

伊藤晴雨(1882-1961)は、一般にはさほど知られた名前ではないかもしれないが、琳派の絵師に弟子入りした画家で、本の挿絵等々、幅広い活躍をしたが、最も知られているのは、アンダーグラウンドな分野、すなわち女性の緊縛等を描いた作品の数々だ。それゆえ画家としての晴雨に対して世間の偏見が存在すること自体は致し方ないが、私は以前、芸術新潮誌で晴雨の特集を読んで、そのイメージが一新したものだ。彼は幽霊画も数々描いているようだが、そこには確かな描画技術と、見る者をぞっとさせるような情緒面への訴えがある。それだけの技量のある画家であったということだ。

会場で売られていた画集の表紙はこれだ。銀色の縦に長いハードカバーで、厚みはさほどない。ちなみにこの作品は、「真景累ヶ淵」。
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これは「姑獲鳥」(うぶめ)。子供を抱えて顔を見せない羽のある妖怪の姿に、深い情念を感じる。まるでデッサンのような軽さに画家の確かな技術が表れている。
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かと思うと、ユーモアもある。これは「盂蘭盆会の亡者」。足つきのナスやキュウリにまたがって、楽しそうではないか。しばしの現世回帰に、自分たちが死んでいることを忘れているのではないか。
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これはまた、非現実的恐怖を味わえる作品。「東海道四谷怪談 深川三角屋敷の場」。お岩が死ぬときに着ていた着物を洗っていると、中から櫛を持った手がニュッと出てくるという歌舞伎のシーンに基づくもの。長い腕に強い恨みがこもっている。
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このように、大妖怪展と併せて見ることで、怪奇を描く表現力には様々なものがあるということを実感できる、よい展覧会であった。今後全生庵ではこのコレクションも併せて公開して頂ければありがたいと思います。晴雨の作品だからというわけではないが、決してお子様向け展示にはしないで頂きたい(笑)。


by yokohama7474 | 2016-08-17 01:15 | 美術・旅行 | Comments(0)