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チャイナ・ミエヴィル著 : 都市と都市

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一風変わった小説を読んだ。1972年英国出身のチャイナ・ミエヴィルの「都市と都市」という2009年に発表された小説だ。原題はそのまま、"The City & The City" であり、このハヤカワ文庫の翻訳(日暮雅道訳)で、500ページを超える大部な作品である。裏に記載されているあらすじの最後の部分には、「ディック - カフカ的世界を構築し、ヒューゴ賞、世界幻想文学大賞をはじめ、SF/ファンタジー主要各賞を独占した驚愕の小説」とあるし、上の写真の帯の部分には、「カズオ・イシグロ絶賛!」とある。フィリップ・K・ディックは言うまでもなくSF界の永遠のカリスマだし、カフカはもちろん20世紀初頭の不条理小説の大家として世界文学史上に堂々と名を留めている。これら作家の作り出す世界は私も大好きだし、それに加えてブッカー賞を受賞した現役作家として飛ぶ鳥を落とす勢いのカズオ・イシグロまで絶賛と来ると、これは読まずにはいられないでしょう、やはり。これがミエヴェルの写真。うーん、このスキンヘッドにマッチョな体つきには、なにやらただならぬ雰囲気を感じてしまうが、結構フレンドリーな方らしいです。
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この小説の設定は大変にユニークで、それは、東欧あたりに存在するという設定の二つの都市国家、ベジェルとウル・コーマが舞台となっていて、この二つの都市国家は同じ場所に存在しているのだが、言語や政治・経済が異なっていて、それぞれの住民は相手の国のことを見てはいけない(見えても見えないふりをする)ルールになっていて、もしそれを破ると、「ブリーチ」(Breach、つまり義務を守らないという言葉そのものだろう)と呼ばれる超法規的警察権力によって処罰されるというもの。このように書いていてもさっぱり訳が分からないが(笑)、設定について詳細な説明はない。まさに不条理の世界そのものだ。物語は、ベジェルで米国人女子大生の殺害死体が発見され、同国の警官であるティアドール・ボルルが、ウル・コーマにも乗り込んでその謎に迫るというもの。ストーリーテリングのトーンはハードボイルド風であり、SFでもミステリーでもホラーでもない、なんとも名付けようのない作品である。私はこれを読んでいて、イスラエルとパレスティナのイメージかと思っていたのだが、ネットで調べると、どうやらモデルはオランダにあるバールレ=ナッサウという街であるらしい。この街についてはWikipediaもあるので、ご興味おありの向きはご覧頂ければと思うが、ベルギー国境から5km程度の距離にあるものの、街の中に実に21ヶ所ものベルギーの飛び地が存在しているという。場合によっては家の中を国境線を通っていることもあり、そのような家に住む家族は、正面玄関のある方の国民になっているそうだ。オランダ側の人口6,000人、ベルギー側2,000人という小さい規模の街であるが、歩いていると何度も国境を越える街とは、なんともユニーク。12世紀にブラバント公爵(おぉ、ワーグナーの「ローエングリン」ですな)がブレダという地域の領主にこの土地を与えたものの、自ら所有する部分は譲らなかったという。このブラバント公の所有地が今のベルギー領らしい。以下の地図で、黄色はオランダ、青がベルギーだ。オランダの中のベルギーの飛び地に囲まれたオランダの領地という場所もあり、なんとも面白い。
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さて、このようなモデル都市はあるものの、この作品で描かれているベジェルとウル・コーマの関係ほど複雑ではない。正直その関係は、読んでいてもあまりヴィヴィッドにイメージされることがない。それが作者の作戦なのかもしれないが、多分に映画的なヴィジュアル性を伴う文章というものは、意外と読んでいる人のイメージを刺激しないものだ。従い、500ページもある大部な作品で延々それをやられると、読者の方は相当辟易してくるものだ。加えて、殺人事件とその謎に迫る主人公の活躍は、胸がスカッとするというものでもなく、手に汗握る展開とは、お世辞にも言えないと思う。驚愕の謎解きがあるかと言えば、私としては否定的にとらえざるを得ない。むしろ、架空の場所を設定して自ら延々と同じような描写を続ける作者の姿を思うと、ちょっと偏執狂的な感じがすると言ってもよいし、もっと言葉を選べば、「いやぁご苦労さんですなぁ」ということになろうか。

もちろん、舞台が架空の街であれ、合理性を欠く禁忌の描写や、先史時代の謎を巡る言説に、普遍的な人間社会の宿命を感じる部分も、あるにはある。そして、この奇妙な設定が一種独特の情緒を生んでいることも確かだと思う。だが、やはり私は、実際に人間が辿ってきた歴史の方に興味がある。いかに優れたイマジネーションを持つ作家であっても、現実世界の歴史以上に面白い作品を書くことは至難の業だろう。あらゆることに関する詳しい情報が簡単に手に入る現代、歴史的事象は考えられないくらいのリアリティをもって我々の前に立ち現れてくる。わざわざ架空の世界のトラブルに深いりする小説を手に取る必要が、一体どのくらいあるだろうか。

というわけで、ちょっと特殊な設定を持つ小説だけに、「読んだ」という事実は忘れないと思うが、むしろ現実に存在するオランダのバールレ=ナッサウを訪れてみたいと思わせるきっかかになった小説として記憶に残るかもしれない。

by yokohama7474 | 2016-08-20 22:57 | 書物