ハイ・ライズ (ベン・ウィートリー監督 / 原題 : High-Rise)

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先般、公開中の映画をざっと調べているときに、この映画のタイトルが目に入った。おぉこれは、J・G・バラード原作の、あの「ハイ・ライズ」ではないか。原作そのままの題名にしてくれてよかった。もしそうでなければ、見逃していたかもしれない。しかも、主演はトム・ヒドルストンにジェレミー・アイアンズ。これは必見だろうと思ったのだが、映画館の予告編やチラシでは、この映画を見た記憶がない。調べてみると、あろうことか、全国で5つの劇場でしか上映されておらず、東京でも単独館上映である。まあ今時J・G・バラードだなどと喜ぶ人もほとんどいないということだろうか。8/6(土)に公開されたので未だ二週間しか経っていないが、危ない危ない、この手の映画には早く行っておくに限ると思って出かけてみたところ、あにはからんやかなりの混雑。もちろん、上映している劇場が小さいせいもあるが、東京の文化度をなめてはいけない。願わくは、もう少し上映を継続して欲しいものだ。

なぜ私がこの映画の原作を知っているかというと、もう随分前に読んだからだ。なぜ読んだかというと、答えは簡単。同じ作家の原作による「クラッシュ」を鬼才デイヴィッド・クローネンバーグが映画化したのを見て(当時、「裸のランチ」「M・バタフライ」と問題作を立て続けに世に問うていた)、この奇妙な作品世界を作り出したJ・G・バラードとはどんな作家だろうと思い、購入したのがこちらのハヤカワ文庫。もうかれこれ20年くらい前になるわけである。
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今調べてみると、J・G・バラード(この呼び方が響きがよくて好きだが、本名はジェームズ・グレアム・バラードだそうだ。意外と普通の名前 笑)は、1930年生まれで2009年没なので、「クラッシュ」が映画化されたときには未だ現存作家であったわけだ。「クラッシュ」は、自動車の破壊に性的興奮を覚える人たちの話で、笑えるような恐ろしいような内容。でも、機械に淫するある種のモダニズムをあのようなかたちで表現する点、なんともユニークだと思ったものであった。そしてこの「ハイ・ライズ」は、上記のような超高層マンションにおいて上層階と下層階で対立・紛争が起きるという、これまたシュールな内容で、この原作を読んだときのなんとも言えない居心地の悪さは、絶対に忘れない。細部にリアリティがあるものの、全体が夢の中の話のようである。実は、前項で「都市と都市」という作品を採り上げた1972年生まれの小説家チャイナ・ミエヴィルも、尊敬する作家のひとりとして同じ英国のJ・G・バラードを挙げており、なるほどと理解できる反面、私の個人的な感覚では、やはりバラードの研ぎ澄まされた簡潔さの方が、饒舌なミエヴィルよりも数段上であると思うのだが、いかがなものだろうか。

この小説の発表は1975年。当時でもニューヨークとか香港には超高層マンションは既にあったと思うが、バラードの出身国である英国には、ロンドンですら未だにそれほど高いビルは存在しないし、ましてや住居となると、ほとんど(全く?)ないのではないか。従ってここで描かれる超高層マンションの生活は、何やら近未来じみたまさにSF的な設定であり、それゆえに、生活の場として人々が毎日出入りする場所でありながら、上層階と下層階で違う世界が混在する不思議な場所としての超高層マンションは、シュールな感覚に満たされている。そのような原作のシュールさを、よく映像化していると思う。尚、ここで描かれている時代設定は、車の外見からも、原作が描かれた1970年代のようだ。従ってインターネットも携帯電話も、ここには登場しない。

私が劇場に行ったときには、特典でポストカードがもらえたのだが、そのデザインはこれだ。
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主人公、医師ロバート・ラングを演じるのはトム・ヒドルストン。このブログでも、彼の出演作「クリムゾン・ピーク」をご紹介したし、「マイティー・ソー」シリーズの悪役ロキでも知られるし、ジム・ジャームッシュの近作「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」でも忘れられない演技を披露していた。1981年生まれなので今年35歳。これから様々な役を演じてますます映画を面白くしてくれる逸材であろうと思う。プログラムの紹介欄を見て知ったが、彼は貴族の血筋を引いていて、しかもケンブリッジを首席で卒業しているという!! ご覧の通り引き締まったからだで、オバサマたちの視線を釘づけという感じであろう。だがその一方で、巧まざるユーモアも表現できるし、段々歯車が狂って行く閉鎖社会の中で、その狂気を楽しむかのような達観した態度が、医師ラングの演技としては万全だ。
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一方、このマンションを設計した建築家アンソニー・ロイヤルを演じるのは、今や英国の宝の域に近づきつつある、ジェレミー・アイアンズだ。
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この人も幅広い役を演じているが、以前のカフカ役や「ロリータ」(1997)での演技などから、不思議でシュールなキャラクターを演じる才能はよく知られている。バットマンの執事役よりは、よっぽどこちらの方が似合っている。もちろん1948年生まれだから既に70近い年齢に至ってはいるものの、端正な顔立ちと贅肉のない痩躯は変わりなく、役者の中にも、こんな風に年を取ることのできる人はそうはいないだろう。

この映画には、女優もあれこれ出てはいるものの、正直なところ、あまり印象には残らない。もともと女性の描き方にあまり興味のない原作であり、演出であると言ってしまうと言い過ぎだろうか。そもそも、顔も誰が誰だか時々分からないこともあり、後半で女たちが共同で作業するような部分にも、何か新しい展開というイメージはない。実際この映画は、ストーリーテリングとしてはちょっといかがなものかという点もあり、多くの人が難解で退屈と思うであろうが、それにはこのような女優の使い方も影響しているかもしれない。原作から外れたキャラクターの想像には、作り手はあまり興味がないのかもしれない。

ただ、この映画で提示されるヴィジュアル・イメージは、なかなかに面白い。1970年代の設定ということで、マンションのあちこちも何かガッチリ大柄にできているように思われる。上の写真でもある通り、テラスは荒い模様の石でできていて、ロンドンに実際にあるバービカン・センター(ロンドン交響楽団の本拠地であるホールや劇場、ギャラリー等のある場所だが、居住棟もある)を思い出したものである。なのでこの映画は、ストーリー展開が何を意味しているとか、登場人物たちの行動原理はこうだろうとか、英国の階級社会がどうできているとかいうことはあまり考えずに、シュールな雰囲気とビジュアルを楽しめばそれでよいのではなかろうか。下手にストーリーを深読みすると、大変退屈になるものと思いますよ(笑)。こんなシーンでは、感性が試されるような気がする。
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この映画の監督、ベン・ウィートリーは私にはなじみのない名前だが、1972年生まれで、最近活躍が目立つ英国の監督であるとのこと。また、製作のジェレミー・トーマスは聞いたことのある名前だと思ったが、「戦場のメリークリスマス」や、「ラストエンペラー」「シェルタリング・スカイ」「魅せられて」等のベルトルッチ作品、また「クラッシュ」を含むクローネンバーグ作品や、上で触れた、トム・ヒドルストン出演のジム・ジャームッシュの「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」も製作している。大製作者ではないか。
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最後に、この映画に関連する音楽と美術について。冒頭すぐに髭を生やしたラングがサヴァイヴァル生活を送る様子に使われているのは、バッハのブランデンブルク協奏曲第4番。リコーダーが明るく楽しく、凄惨な状況とのギャップを強調する。この音楽は終結部近くでも、同じ場面に回帰するときにも使われていた。それから、建築家ロイヤルの住まうペントハウスには様々な美術品が展示されていて、詳細映像は出てこないが、ひとつは明らかだ。壁面を飾る大作は、ゴヤの「黒い絵」の中の「魔女の夜宴」である。
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この作品はプラド美術館に収蔵されているので、ここで出てくるのは当然複製ということになるが、ラングが「あれって美術館にある絵だよね」と言うセリフがあり、その意図はよく分からない(ほら、だからストーリーを考えてはいけないと言ったでしょう 笑)。もっともその言葉は、エレベーターのすぐ左にかかっていた作品について出たもののようでもあった。そちらはよく見えなかったが、マックス・エルンストではなかったろうか。もし再度この映画を見ることがあれば、再確認しよう。

J・G・バラードの作品世界に久しぶりに触れることができたことはなかなか楽しかったが、今回調べて初めて知ったことを恥を忍んで告白すると、実はスピルバーグが映画化した「太陽の帝国」の原作もバラードなのだ!! 自伝的な小説らしい。なるほど、なかなか一筋縄ではいかない作家である。短編集でも買って読んでみたくなった。
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by yokohama7474 | 2016-08-21 01:17 | 映画 | Comments(0)