鴻池朋子展 根源的暴力 Vol.2 あたらしいほね 群馬県立近代美術館

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別項で採り上げた演奏会を聴きに松本まで出向く際、これも毎度恒例のことなのであるが、せっかくだからどこかほかの場所にも寄って行こうと思い立った。そしてまず最初の行き先として決めたのは、高崎市にある群馬県立近代美術館。そこで開かれている鴻池朋子(こうのいけともこ)の個展を見たいと思ったものだ。鴻池は1960年秋田生まれ。現在国際的にも注目を集めているアーティストである。
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私は2009年に東京オペラシティで開かれた彼女の個展、「インタートラベラー」を見て、その独特の世界、つまり、一種不気味かつ呪術的でありながらも、決して難解でない旺盛な生命力の表現に、大変興味を持ったものであった。その後個展に接する機会はなかったが、ちょうど去年、神奈川県民ホールのギャラリーで鴻池の新しい個展が開かれているのを知った。だが残念なことに、そのときには出かけていくタイミングがなくて結局見逃してしまい、残念な思いをしていた。ところが最近調べて分かったことには、群馬県立近代美術館で現在開催中である。しかも、よく見ると副題が、横浜ではただの「根源的暴力」であったものが、今回はそこに「Vol.2 あたらしいほね」と加わっている。ということは、横浜での展覧会からも少し追加・変更があるのかもしれない。いずれにせよ、会期は8/28(日)までで、今回を逃したら次はいつ個展を見られるか分からない。というわけで、高崎まで出かけることとした。

群馬県立近代美術館は、高崎市の中心からは南に外れた場所にある。群馬県立公園・群馬の森という広大な緑地の中だ。すぐ隣にはつい先月リニューアルオープンした群馬県立歴史博物館がある。駐車場から美術館に向かう道は、このように緑と水が気持ちよく整備されている。また展覧会の看板も戸外に立っていて、色彩の乱舞で被写体が何であるのか判別しがたいが(笑)、一体なんだろうと思わせてくれて、よいではないか。
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この美術館がいつできたものか予備知識なく訪問したが、非常にモダンかつ広大な建物であり、大変に贅沢な展示空間を持っている。このような現代アートに接するには最適の場所であろうと思う。日本の地方には、立派な美術館を持っているところが多いが、ここはまた素晴らしい美術館だ。これがコンクリート打ちっぱなしの内部の様子。奥の段には既にして鴻池の作品が並んでいるが(ここまでは無料観覧できてしまいます 笑)、展覧会場は左の壁の奥に入ったところである。
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この展覧会で嬉しいのは、フラッシュなしであれば展示作品の写真撮影が可能であること。以前、村上隆の展覧会の記事でも書いたが、ネット社会の現代においては、芸術作品といえどもイメージの複製や、場合によっては一定の加工を避けられない。であれば、オリジナリティの尊重方法に対する考え方を変え、鑑賞者が芸術作品の写真を撮影して、自らの感性でアートを反復して楽しむことを認める方が、アーティスト自身にとっても得策なのではないだろうか。と勝手に整理して、写真をパチパチ撮らせて頂いたので、せめて鴻池芸術の一端でも、この記事でお楽しみ頂ければと思う。

2009年に見た展覧会の記憶で、鴻池の創り出す世界の不思議な魅力には、ある程度のイメージがあった。そこでは動物が闊歩し、大地がその存在感を示し、生きとし生けるものの持つ命が、時にはグロテスクなかたちを取りながらも、躍動しているのである。今回も会場に入ってすぐにそのイメージが立ち上がってくる。そこにはアーティスト自身の言葉もあちこちに展示されていて興味深い。まず、「ゆっくりと停止」という文章だ。

QUOTE
もし仮に再び元に戻ったとしても
同じものではいられない
四年半前のある日 地球の振動を感じた私の体は
そうつぶやいてゆっくりと制作を停止していった
あれもこれも違うと全感覚が否定しはじめたからだ
しばらくすると 私の目はなにも見なくなり
手はまるで描かなくなった
元の生活をトレースするには
まったく違う体になってしまったのだ
これには驚いた
UNQUOTE

ここで述べられているのは言うまでもなく、2011年の東日本大震災の際にアーティストを襲った無力感であろう。今回の展覧会には、この散文に対する補遺というべき文章が展示されていて、昨年の横浜の展覧会からも展示内容が変化していることが明記されている。またこれは、アーティストが自身の言葉で語る最上の作品解説である。
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今回展示されている作品には、つなぎ合わせた牛革を使用したものが多い。それについての理由等も作者自身の言葉で説明されていたが、私の見るところ、上の鴻池の文章の最後にある「美術館の本性とは狩りのような場」という言葉が、革という有機物のイメージとぴったりで、いつも死と隣り合わせの生が巧まずして表現されていると思う。牛革に魚を描いてしまうこの生々しい感性。
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これは地球の奥から覗いている不思議な顔。2009年の展覧会でも、銀色に輝く大きな顔があったのを思い出す。目も鼻も口もあり、ということはつまり生命を示す「表情」が出てくるべきものが「顔」であるのに、この顔の無表情なこと。地震という、自らにとってはほんのちょっとした活動によって、人間に甚大な損害を見舞った地球の、茫然とした表情であろうか。
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彼女の創り出す空間はこのように、決して暗い情緒的なものではない。だがそこにはまぎれもなく、何か人間の根源的なものに訴えかける不思議な力があるのだ。狼をはじめとする動物たちは彼女のメジャーなモチーフであるが、これらのイメージは「可愛い」と言いうる一方で、死んでいるのか眠っているのか分からない点、仮想の死を生きているという逆説的言辞で形容したくなる。
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彼女自身、冒頭の言葉の中でインスタレーション触れているが、会場ではプロジェクターによって壁に映される冬の映像や、テント状の空間の中に投影される狐らしき動物の影絵などが、ノスタルジックな思いを誘う。
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そしてメインの大きな展示室には、このような巨大な垂れ幕状の作品が。これも牛革を利用した巨大キャンバスである。ここで描かれた毒々しい生命活動は、圧倒的な力で見る者に迫ってくる。
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この展示室にはほかにもいくつも中規模の作品が並ぶ。本物の鳥の羽の塊を大量に使ったり、巨大な和服をかたどった牛革キャンバスに、滝のような、あるいは血管のような模様を描いたり。素晴らしいヴィジョンに圧倒される。
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そして最後の展示室には、鉛筆で描いたデッサンや版画が並び、小型鴻池ワールドを展開する。実在の動物であれ空想の動物であれ、いずれも確かな存在感に溢れている。展覧会全体のタイトルである「根源的暴力」とは、最初は地震のことかと思ったが、ここまで展覧会を見てくると、生きることそのことも意味しているのではないかと思われてくる。動物は生きるためにほかの命を奪うが、それこそ根源的暴力。人間世界ではそうはなっていないものの、彼女の作品を通して鑑賞者は、人間もその一部をなしているこの世界に存在する「根源的暴力」の恐ろしさと尊さに気づくのである。
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このように鴻池ワールドを堪能したわけであるが、どの作品も強烈な存在感があるのに、不快感を抱かせることがない。説教臭さも皆無である。従って今後彼女の一般的な知名度は上がって行くものと期待しよう。次の個展が待ち遠しい。

ところで東京に戻ってから、なんの気なしに手に取った一冊の本に、面白い情報を偶然見つけた。手に取ったのは、書棚に積んであって未だ読んでいない、磯崎新の建築談義シリーズ全12巻のうちの1冊。イタリア、マントヴァのパラッツォ・デル・テについての巻。私はこの宮殿にあるジュリオ・ロマーノの壁画が大好きで、実際に現地を訪れたこともあるのだが、このシリーズの面白いところは、建築家の磯崎新が、様々な建築と、それに関連することしないことに言及してその博識ぶりを発揮することなのである。この巻の冒頭では、なぜかリチャード・マイヤーという建築家との交流の話になって、そのマイヤーがある公共建築を手掛けていたとき、自分もやはり公共建築を手掛けていたとある。その公共建築こそ、ほかならぬ群馬県立近代美術館なのである!!1974年、実に40年以上前の作品だが、とてもそうとは思えないモダンさである。恐れ入りました。今後地方の美術館を訪れるときには設計者をちゃんと調べることとしよう。
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by yokohama7474 | 2016-08-21 22:24 | 美術・旅行 | Comments(0)
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