長野県佐久市 龍岡城五稜郭跡、新海三社神社

前項でご紹介した群馬県立近代美術館での鴻池朋子展を見たあと、長野県に入り、同県東部に位置する佐久市を訪れることとした。長野県の地図やガイドブックを見ていると、ここには山や川(海はありませんが 笑)といった豊かな自然だけではなく、数々の興味深い歴史遺産が存在していることに気づく。強烈な個性を持つカリスマ領主がいて文化を奨励したというイメージではないが、諏訪大社や善光寺という全国でもほかに例のないユニークな社寺がある上、太平洋側と日本海側を結ぶ交通の要所でもあり、古くから文化が連綿と続いてきた場所である。近代に入ってからも教育に力を入れ、その流れが今日も息づく。それゆえ、長野県には何度行っても新しい発見があって楽しいのだ。今回私がこの佐久市を選んだのは、ここに五稜郭があると本で読んだからだ。な、なに?五稜郭と言えば、幕末に榎本武揚が立てこもった、あの五稜郭ではないのか。あれは函館であって、長野県ではないはず。一体どういうことだろう。いぶかしみながら現地に到着した私の目には、このような表示が映った。
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そうなのだ。五稜郭とは要するに五角形の星型城塞のことを言うのであって、それは函館とこの佐久の龍岡城と、日本に二か所存在したわけである。駐車場の脇に「五稜郭であいの館」という休憩所があって、そこに少し資料が展示してある。往年の様子を復元した模型も見ることができて、大変に興味深い。
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この城を建てたのは、三河奥殿藩主の松平乗謨(のりかた)。なぜ三河の殿様がここ信濃の地に城を建てたかというと、この龍岡という土地も奥殿藩の領地であって、実は領地面積はこちらの方が三河より大きかったという。江戸時代も押し詰まった1863年、幕府から信州への移転と陣屋(いわゆる本格的な城郭ではない)の建設について許可を得た松平乗謨は、西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでいたため、この五稜郭を作ることにしたとのこと。1867年4月に御殿などの完成を見たが、ここで時間切れ。時代は明治へと移って行ったのである。なので、「日本で作られた最後の城」であるらしい。なるほど、昭和以降には古い城の復元はあったし、マニアックな趣味人が個人で小さな城を作った例も私は知っているが(笑)、本物の殿様が作らせた本物の城となると、なるほどこれが最後なのだろう。因みに函館の五稜郭の竣工は1864年、完成は1866年なので、この龍岡城はほぼ同時代の建造。立派なものだ。
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往時の遺構はほとんど見ることができないが、その鋭い角度から一見してすぐ分かる堀だけは、かなりの部分が残っていて、なんとも情緒がある。
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入り口にある古い説明板にも、地元の人の誇りが感じられる。青く塗られた部分が堀の現存する箇所であろう。全体の半分以上である。
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城の敷地内に入ってみると、なんとそこは小学校。ちょうど夏休みなので閑散としていたが、ここで学ぶ子供たちは、いやでも歴史に敏感にならざるを得ない。さすが教育熱心な長野県。城址の有効な活用方法を知っている。でも、堀に囲まれていると、少し圧迫感があるかな(笑)。
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なんでもこの学校の校章は、星型城郭であるそうだ。なるほど。あっ、よく見ると、鳥小屋まで五角形だ!!(笑)
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実はこの場所には当時の遺構がひとつだけ残っており、それは台所と称する単純ながら比較的大きな櫓なのであるが、この日は日差しが強く、時間も限られていたので、校庭を横切ってその建物を見に行くことはしなかった。このような建物で、予約すれば内部の見学もできるという。また次回トライしたい。
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尚、この龍岡城五稜郭を築城した松平乗謨は明治の世になって大給 恒(おぎゅう ゆずる)と改名し、日本赤十字の前身である博愛社の設立に尽力したという。進取の気鋭に富んだ立派な人であったのだろう。
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さてこの龍岡城五稜郭からほんの数百メートル進んだところにも、文化財好きには見逃せない素晴らしい場所がある。新海三社神社(しんかいさんじゃじんじゃ)。佐久地方の総社であり、古来、源頼朝や武田信玄といった武将たちの信仰を受けた由緒正しき神社である。境内は森閑として訪れる人も少なく、心の底まで澄んで行くような思いに囚われる。
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ここには2棟の重要文化財の建造物がある。まず、東本社社殿。小ぶりだがなんともかたちのよい建築で、室町時代のものとされている。
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そしてその真後ろに聳えるのが、三重塔だ。神社に三重塔とは奇異にも思われるが、日本は明治まで神仏混交であり、神社と仏閣の明確な区別がない場所が多かったし、いわゆる神宮寺というものが存在した。だが明治の神仏分離、廃仏毀釈の嵐の中で、多くの文化財が失われたと聞く。この三重塔は神社の宝庫として利用されたので、破壊を免れたのだそうだ。村の人たちの素朴な信仰が貴重な文化財保存の原動力になったのだろう。これも室町時代の建築で、美しいかたちをしている。
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そして正面からこの二つの堂塔を見るとこんな感じ。何百年もコンビを組んで来た歴史の生き証人だ。
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本当に心が洗われるような場所なのだが、近隣には「ラジオ体操 朝6:30から 場所 : 新海三社神社」と手書きの貼り紙がしてあったりして、地元の人々から親しまれている神社なのだなと思う。夏の早朝、オゾンを胸いっぱいに吸い込んで室町時代の建築の前でラジオ体操をする。素晴らしいではないか。

と、このような素晴らしい場所を2ヶ所訪れた後、私は松本に移動したのだが、実は本当はこの場所でほかに見たいものもあったのだ。佐久市にあるもうひとつの重要文化財、旧中込学校校舎である。調べてみるとここは1875年末の竣工なので、あの有名な松本の旧開智学校よりも数ヶ月早く、現存する日本最古の小学校であるらしい。学制発布が1872年なので、これらの学校は本当にその直後にできているわけで、日本の近代教育の本当に最初期の遺産である。このあたりにも長野県の高い教育レヴェルが見て取れる。そのほかにも、やはり重要文化財指定の、六地蔵を刻んだ石灯篭や、境内で発掘された武田信玄の遺骨を埋めた墓所がある(その真贋を争って国との間で訴訟沙汰にもなったという!)寺など、佐久市にはまだまだ興味深い場所がいっぱいだ。また日を改めてそれらの場所も巡ってみたい。あ、それから、佐久市には、「日本で最も海から遠い場所」というのがある。看板の写真は撮りそこねたが、海から遠く離れた山の中、歴史が息づくのが佐久市なのである。

高速道路に向かう私たちの現前に、浅間山がその雄大な姿を現す。様々な人間の営みは、このような雄大な景色のもとで展開されてきたのだ。でもちょっと、電線が邪魔だなぁ(笑)。長野の旅は続きます。
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by yokohama7474 | 2016-08-22 23:10 | 美術・旅行 | Comments(0)
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